第74話 盾で作る一瞬
脛当てを包んだ布へ紐を回すと、テッサが結び目を確かめた。
拾ったときより、ずいぶん丁寧な手つきだった。
「そんなに引っ張ったら、開けるとき困るぞ」
「途中で落ちるよりいいでしょ」
「確かに」
荷物は最初の資材庫へまとめ、入口に近い棚の下へ寄せた。灯り用の折り畳み台も、回収する品として記録に加わっている。
サナが隣の扉へ向かった。
「もう一部屋を確かめよう。荷物を背負うのは、それから」
俺は短槍を手に取り、テッサは盾へ腕を通した。
見つけた脛当ては、まだ布の中だ。
金具を調べ、革紐を替え、持ち主と値段を相談してからでなければ使えない。
今の装備で、残りの仕事を終わらせる必要があった。
◇
隣の扉は、錠を外すと少し押しただけで動いた。
作業員が横へ退き、サナが隙間から中を見る。リオは廊下に置いた台へ集光灯を載せ、開いた扉の奥へ光を向けた。
部屋の片側で、棚が倒れていた。
石壁には大きな割れ目があり、その下に砂と木屑が溜まっている。
光が棚の裏を横切ったとき、灰色のものが動いた。
「いる!」
リオの声と同時に、岩トカゲが壁を蹴った。
サナは扉の前から身を引き、作業員を最初の資材庫へ下がらせた。俺も槍を構えたが、飛び出した影は穂先の外を通った。
テッサの盾へ、爪が当たる。
硬い音が響き、盾の端が大きく振れた。
「っ、端に来た!」
彼女は足を踏み替えて耐えた。
岩トカゲは盾を蹴るようにして床へ落ち、すぐに向き直った。尾を含めれば俺の腕より長い。平たい背の鱗が、灯りを鈍く返している。
「奥にも一匹!」
リオが言った。
開いた扉の上を、別の岩トカゲが這っていた。サナはそちらへ剣先を向け、最初の資材庫の入口を塞ぐ位置へ動いた。
「上は私が見る。そっちを頼む!」
作業員の灯りが、開いた戸口から廊下を照らしていた。
俺たちの後ろには階段がある。下がり続ければ、欠けた段へ追い込まれる。
前の岩トカゲと、その足元を見る。
右には壁。
左には、最初の資材庫の前まで続く平らな床があった。
「テッサ、左へ寄れるか」
「少しなら」
「リオ、階段から離れて。こっちの後ろへ」
リオが灯りの台を避けて動き、弓を構えた。
その間、俺は槍先を低く差し出した。
岩トカゲが噛みつこうと頭を振る。届く前に引くと、爪が石床を掻いた。
靴底へ細かな震えが伝わった。
目の前の魔物が踏ん張った振動なのか、サナの足音なのか。それだけでは分からない。
俺は《足場確認・初段》を意識しながら、見えている床と、自分の足の感触を確かめた。
踵の下で、小石が動いた。
そこへ体重を残さず、石のない場所へ半歩ずらす。槍を戻したときも、足が流れなかった。
魔物の居場所を当てるより、今は自分の足を置く方が先だった。
岩トカゲが、低く身体を沈めた。
「来る!」
テッサが盾を向ける。
俺は横から突こうとしたが、彼女の盾が揺れた瞬間、穂先を止めた。
まだ、敵と盾の位置が重なっていた。
今、無理に出せば、また盾へぶつける。
岩トカゲの頭が盾を打ち、テッサが短く息を吐いた。爪を掛けようとする前脚を押し外すと、魔物は床へ戻った。
彼女は追わなかった。
盾の角度を直し、左足を少し引いた。
「次、横へ流す」
前を向いたまま言った。
「できるか?」
「真ん中で止めるより、さっきの方が腕が動いた。でも、足が残った」
風吐きトカゲの息を避けたときも、鉈の刃を逸らしたときも、テッサは盾の角度を変えていた。
ただ、今度は逸れた先まで決めようとしていた。
「俺から見て右へ。壁の方だ」
「うん」
背後から、弦を引く小さな音がした。
「そこなら、見える」
リオだった。
俺は一歩だけ左へ寄り、彼の正面を空けた。
◇
岩トカゲは、今度も盾へ向かってきた。
床を蹴り、低い位置から頭を突き上げる。
テッサの盾が、斜めに動いた。
早すぎない。
頭が触れた瞬間、彼女は盾を押し返さず、片足を短く引いて身体を回した。
爪が木の表面を擦った。
今までなら、そこで盾ごと押されていた。
今回は岩トカゲの頭が横へ滑り、身体がその後を追った。勢いが壁側へ流れ、魔物は前脚を突っ張って止まろうとする。
その脇へ、矢が飛んだ。
リオは、隙間ができてから弓を引いたのではなかった。
テッサが動く前から構え、盾の外へ身体が出るのを待っていた。
矢が前脚の付け根に刺さる。
岩トカゲの片側が沈んだ。
「出る!」
俺は槍を突き出した。
硬い背へは向けない。持ち上がった頭の下、鱗の薄いところへ穂先を入れる。
柄に重さがかかった。
さっき確かめた床へ足を置き、腰が流れるのを止める。短く引いて構え直すと、岩トカゲは尾で床を叩いたが、こちらへ向き直れなかった。
もう一度、狙って突いた。
動きが弱まり、やがて止まった。
俺は槍先を向けたまま、少し距離を取った。
隣では、サナが壁から落ちたもう一匹を仕留めていた。すぐに剣を下ろさず、開いた資材庫の奥へ目を向けている。
「ほかは?」
「今、見える範囲にはいません」
リオが答えた。
サナは頷き、作業員を中へ留めたまま、灯りの向きを変えさせた。
俺たちも配置を保った。
終わったと思って肩の力を抜くには、まだ早かった。
◇
二つ目の資材庫を確かめ、壁の割れ目と倒れた棚の裏に、ほかの岩トカゲがいないと分かってから、ようやく盾を下ろした。
テッサが左腕を曲げ伸ばしする。
「痛めた?」
俺が聞くと、彼女は首を振った。
「最初のは響いた。でも、最後のは違った」
持ち手を握った手を見ている。
「盾が持っていかれる方へ、足も動かしたら……腕だけで頑張らなくて済んだ」
サナが近づいてきた。
「最後の、狙ってやった?」
「一応」
「なら、いい受け流しだった。《盾受け流し》を習ったことは?」
テッサが顔を上げた。
「角度を変えるのは、講習で。でも、今みたいに動けたのは……」
そこで言葉を切り、俺を見た。
俺にも、はっきりとは言えなかった。
似た動きは、以前からしていた。けれど今回は、テッサが行き先を決め、俺たちに伝え、その場所へ敵を動かした。
「次に同じようにできるかは、分かりません」
テッサが答えた。
「じゃあ、戻ったらゆっくり確かめよう。盾の角度だけ覚えても駄目だよ。足が残れば、最初みたいに捻られる」
サナは床へ目を落とした。
「相手が大きすぎても使えない。流す先に仲間がいたら、もっと困る」
「はい」
テッサは素直に頷いた。
俺はリオへ向き直った。
「矢、早かったな」
「先に引いたから」
「いつ?」
「テッサが、横へ流すって言ったとき」
彼は弦を確かめながら続けた。
「外へ出たのを見てからだと、前脚を突いて、また背中を向けられると思った。だから、出るところを待ってた」
「流せなかったら?」
「射たないつもりだったよ」
リオが顔を上げる。
「でも、今のは見えた」
風の迷宮では、彼が射つ場所を作るために俺たちが動いた。
今回は、俺たちが作る場所へ、先に矢を用意していた。
できることが一つ増えると、仲間の動き方まで変わる。
それを、さっきの一瞬で見た気がした。
◇
二つ目の資材庫には、持ち帰れる物があまり残っていなかった。
割れた壁から雨水が入るらしく、木箱の底は崩れ、布も傷んでいた。作業員は使えそうな金具だけを選び、割れ目の位置と広さを記録した。
その先は調べなかった。
今回の調査範囲を終え、俺たちは最初の部屋へ戻った。
脛当てを包んだ荷物は、そのまま棚の下にあった。
テッサがしゃがみ、少し持ち上げて重さを確かめる。
「これを着けてたら、さっきも楽だったかな」
「脚は守れるかもしれないけど、腕は同じじゃないか」
「そうなんだよね」
彼女は笑った。
「両方、ちゃんと使えるようになりたい」
俺は回収品の包みを背負い、短槍を持った。
帰りは、サナが先に階段を下りた。作業員が続き、俺たちは荷物の幅を確かめながら、一人ずつ左側を通る。
集光灯はリオが持ち、段を照らした。
荷物が増えた分だけ、行きとは身体の釣り合いが違う。
それでも、どこを通ればいいかは分かっていた。
入口から川面が見えたとき、ようやく背中の重さを嬉しいと思えた。
◇
中継所へ戻り、回収品と記録を渡した。
脛当ては、金具の傷みを調べてからベルナへ送ることになった。購入希望も伝わっているが、まだ値段は決まらない。
テッサは少し名残惜しそうに包みを見送った。
そのあと、彼女が最初に頼んだのは、道具の柄を一本貸してほしいということだった。
「今、やるの?」
俺が聞くと、盾を持ち上げて頷く。
「忘れる前に。強くは押さなくていいから」
荷運びの邪魔にならない、平らな場所を借りた。
サナが足元を見て、石を二つ脇へ退ける。リオは少し離れ、テッサの横から動きを見ることにした。
俺は借りた柄を両手で持ち、盾の面へゆっくり押し当てた。
テッサが盾を傾ける。
柄は少し滑ったが、途中で止まった。
「足、まだ動いてない」
リオが言った。
「分かってる。今、盾の方ばっかり考えた」
もう一度構え直す。
今度は足が先に動きすぎ、柄を受ける前に盾の端が逃げた。俺は押すのをやめ、二人で元の位置へ戻った。
サナが、テッサの足の位置を少し直した。
「大きく避けようとしなくていい。相手が進む分だけ、こちらも動く。まずはゆっくり合わせて」
三度目。
俺が押すと、盾に抵抗がかかった。
次の瞬間、その抵抗が横へほどけた。
柄が盾の表面を滑り、俺の手が狙っていた場所から外れる。
テッサは足を残さず、盾の後ろに立っていた。
「今の」
リオと俺の声が重なった。
テッサが顔を上げた。
「さっきと似てた」
「俺も、押してたところがなくなった」
彼女は盾の縁を見て、それから足元を見た。
同じ盾だ。
新しい脛当ても、まだ着けていない。
それでも、もう一度できた。
サナは頷いた。
「それを覚えよう。速くするのは、同じ動きでできるようになってから」
テッサは、今度は迷わず返事をした。
「はい」
しばらく軽く動きを確かめ、腕が疲れる前に終えた。片づけようとすると、リオが俺の持つ柄を指した。
「次は、僕も合わせる練習をしたい」
「矢は射つなよ」
「射たない。盾の横が、いつ空くかを見たいんだ」
俺も槍を入れる位置を確かめたかった。
テッサが敵を流した先へ、リオの矢が届く。そのあと、自分がどこへ踏み込めば、二人の邪魔をせずに攻撃できるのか。
一度うまくいったからこそ、次に試したいことが増えていた。
テッサが盾を置きかけて、俺たちを見る。
「今日は、ゆっくり一回だけね」
「分かった」
俺はもう一度、柄を構えた。
向かい側で、彼女が少し笑った。
新しい道具を見つけたときとは、違う嬉しさだった。
今度持って帰れるものは、袋に入れなくてもなくならないようにしたかった。




