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第70話 鉄札になった日

 審査用の短槍を返すと、右腕が少し痛んだ。


 袖を上げて確かめてもらったが、骨や関節に異常はないらしい。軽く打った跡を見せたあと、俺は受付脇の長椅子へ戻った。


 テッサは盾を両膝の前へ立て、リオは借りていた棒を返したところだった。


「大丈夫?」


 テッサが俺の腕を見た。


「少し痛い。でも動く」


「じゃあ、そこ押さえるのやめたら。さっきから触ってる」


 言われて手を離す。


 触るたびに、荷物へ目を向けてしまった瞬間を思い出していた。あそこで視線を外さなければ、もっと落ち着いて終われたはずだった。


 隣へ座ったリオが、訓練場の方を見た。


「袋、結構重かったね」


「何が入ってた?」


「本当に布と着替え。下に石でも入ってるかと思った」


「審査のために?」


「うん」


 テッサが自分の盾を見下ろした。


「重くするなら、最初に言ってほしいよね」


「お前の盾の話じゃないぞ」


「持つ人には大事なことだから」


 いつもの調子で話しているのに、誰も立ち上がらなかった。


 受付の奥で紙がめくられる。その音がするたび、三人ともそちらを見てしまう。


 前は、途中で止められた。


 今回は最後まで運べた。


 けれど、それだけで合格なのかは分からなかった。


 やがて、髪を後ろで束ねた審査員が、記録を持って戻ってきた。


「三人とも、こちらへ」


 俺たちはほとんど同時に立った。


 ◇


 机の上には、今通ってきた道の図が置かれていた。


 審査員は袋を落とした場所へ指を置いた。


「まず、ここを聞く。ノル。なぜ荷物を残した」


「拾おうとすると、依頼人を止める必要がありました。二人を相手にしながら、その場に留まるのは危ないと思いました」


「中身を確かめたのは、そのあとだな」


「はい。最初は、先に人を動かすことしか考えられませんでした」


 俺は図の狭い通路を見た。


「すぐ必要な薬や、代わりのない物だったら、同じようには扱えなかったと思います。先に聞いておけばよかったです」


「護衛する物と人の条件は、出発前に確認しておけ」


 審査員が紙へ短く書き込んだ。


 注意されたことは分かった。だが、それがどのくらい悪かったのか、顔からは読み取れない。


 次に、テッサへ向き直った。


「前へ入ったとき、ノルをすぐには下げなかったな」


「私の盾が間に入ってからじゃないと、隙間ができるからです」


「自分が入ったと、どう伝えた」


「声をかけました。でも、その前に一度、相手の棒を受けました。私の方を向いたのを確かめてからです」


 審査員は頷き、図の別の場所を指した。


「リオ。依頼人が荷物を拾おうとしたときは?」


「止めました。あの人が屈むと、僕の後ろから出てしまう位置だったので」


「最後には取りに戻っている」


「そのときは妨害役が止まり、道が通れると確認できました。ノルが依頼人のところへ来たのを見てから、離れました」


 三人分の返答が終わった。


 俺は机の縁へ目を落とした。さっきから背筋を伸ばしているせいで、戦っていたときとは違う場所が疲れてくる。


 審査員は紙を揃えた。


「前回は、誰かが動いたあとに、残った役目が空いた。今回は、引き継ぐ相手の位置を確かめてから動いている」


 顔を上げる。


「ノルは一度、目を離して打たれた。その後も自分だけで埋めようとしていれば、護衛は崩れていただろう」


「……はい」


「だが、持ち直した。テッサも相手を追わず、リオも依頼人を残して荷物へ走らなかった。状況に合わせて、三人で仕事を続けられた」


 テッサの指が、盾の持ち手から離れた。


 審査員は俺たちを順に見た。


「前回の個別審査と、今回の結果を合わせて判断する。ノル、テッサ、リオ。三名とも、D級への昇級を認める」


 すぐには返事が出なかった。


 隣で、テッサが息を吸った。


「三人とも?」


「三人ともだ」


 今度は、はっきり聞こえた。


 リオが小さく頭を下げる。俺も慌てて続いた。


「ありがとうございます」


 声が思ったより大きくなった。


 審査員の口元が、少し緩んだ。


「今後も、依頼ごとの条件は確認しろ。鉄札になったからといって、どこへでも入れるわけじゃない」


「はい」


「それと、今日は腕を休ませろ。合格した日に壊すなよ」


 俺は右腕へ伸ばしかけた左手を、そのまま下ろした。


 ◇


 札を受け取るまでには、少し時間がかかった。


 名前と登録の記録を照合し、昇級の日付を書き入れる。俺たちはその間、預けていた自分の武器を受け取り、身支度を整えた。


 短槍の柄を持つと、ようやく実感が湧いてきた。


 俺は、鉄札になる。


 青い剣を見て欲しくなり、短槍の値段を聞いて肩を落とした自分が、今はその槍を持って、別の街で昇級を待っている。


「ノル」


 テッサに呼ばれ、顔を向けた。


「口、緩んでる」


「お前もだろ」


「私はいいの。受かったから」


 ずるい言い方だったが、俺も同じ理由なので文句は言えなかった。


 リオは弓の紐を確かめていた。その手が止まり、こちらを見る。


「また落ちたら、何て言おうか考えてた」


「誰に?」


「二人に」


 思わず、テッサと顔を見合わせた。


「たぶん、俺も落ちてたら同じこと考えたな」


「私も」


 テッサが盾を持ち上げた。


「でも、今日は考えなくていいでしょ」


 リオは少し黙ってから、笑った。


「うん」


 その顔を見て、ようやく三人で受かったのだと思えた。


 受付から名前を呼ばれた。


 机の上には、小さな鉄の札が三枚並んでいた。


 銀のように明るくはない。飾りもなく、表面は鈍い灰色をしている。それでも、刻まれた名前はよく見えた。


 ノル。


 自分の名前なのに、確かめずにはいられなかった。


 首から銅札を外す。


 紐を持ち上げたところで、一度だけ手が止まった。


 第三水路で泥を掻き出したときも、橋鼠の前で短剣を握ったときも、これが胸元にあった。坑道で担架を運んだ日にも、リーヴェを出た朝にも。


「あの。古い札は、残せますか」


 受付の職員が顔を上げた。


「登録札として使えないよう、処理してからならお返しできますよ」


「お願いします」


「私も」


 テッサがすぐに言った。


 リオも、自分の札を机へ置く。


「僕のも、お願いします」


 三枚の銅札が、新しい札の隣へ並んだ。


 俺の札には、小さな擦り傷があった。いつ付いたのかは覚えていない。表面のくすみも、最初にもらった頃より濃くなっている。


 同じ形の札を見比べていると、テッサが横から覗いた。


「売らないよ」


「まだ何も言ってないだろ」


「言われる前に」


 リオが笑った。俺も笑ったが、札を受け取るときは、落とさないよう両手を使った。


 新しい紐を首へ掛ける。


 鉄札は服の上へ落ち、小さく胸に当たった。


 冷たい。


 初めて銅札を掛けたときも、こんな感触だった。


 ◇


 ギルドの隅の机を借り、俺は紙を一枚広げた。


 テッサが椅子の背に手を置く。


「もう手紙?」


「書けるうちに書いとく。帰って飯を食ったら、何もしたくなくなりそうだ」


「今日は食べる方が忙しいからね」


「何を頼むつもりだよ」


「肉」


 迷いがなかった。


 俺はペン先へインクを含ませた。


『ガルドさんへ。


 二度目の審査で、鉄札になれました。テッサとリオも一緒です』


 そこまで書いて、手が止まった。


 昇級したら、もっと立派なことを書けると思っていた。強い魔物の話や、難しい試験をうまく切り抜けた話。


 実際には、今日も一度打たれた。荷物の中身を聞くのも遅かった。


 それでも、書けることはあった。


『途中で失敗しましたが、二人が一緒に動いてくれたので、最後まで依頼人を運べました』


 肩越しに見ていたテッサが、少し眉を上げた。


「運べましたって、担いだみたい」


「……連れていけました、か」


 書き直すと、隣に座ったリオが笑った。


 俺は続きを書いた。


『まだ鍋を軽々と持てるわけではありませんが、外でできる仕事は増えました。


 旅に出てよかったです』


 ペンを止める。


 これなら、きちんと伝わる気がした。


 食堂が嫌で出たわけではない。戻りたくないわけでもない。


 ただ、あの夜に話した通り、外へ出てみたかった。その先で、隣を歩いてくれる二人に会えた。


 最後に、今日は少しうまいものを食べるつもりだと付け足した。


「そこまで書くの?」


 リオが聞いた。


「ガルドさんなら、そこを一番詳しく聞きそうだから」


「じゃあ、食べてから続きを書けば?」


 テッサの提案は正しかった。


 俺は紙の下を少し空け、インクが乾くのを待った。


 ◇


 手紙を鞄へしまう頃には、窓から入る光が低くなっていた。


 夕食へ向かう前に、俺たちは依頼板の前へ寄った。


 同じ壁に並んでいるのに、今までより見られる場所が広い。


 鉄札以上を条件にした依頼票へ、テッサが顔を近づける。


「報酬、上がってる」


「移動する日数も増えてる」


 リオが下の欄を指した。


 一日分だと思って見ていた額が、二日分だった。俺は危うく喜びかけた口を閉じ、隣の依頼へ目を移した。


 討伐だけではない。荷の護衛、街道の確認、迷宮で使う資材の搬入。仕事の名前は見慣れていても、任される範囲が少し違った。


 その中の一枚で、指が止まった。


《川沿い中継所・補修資材搬送護衛》


 行きは荷船に同乗し、川下の中継所まで資材を届ける。帰りは、空になった運搬具を載せた荷車に付き添う。


 予定は二日。途中の宿泊場所も記されていた。


「船だ」


 テッサが言った。


 リオが、俺の手元から依頼票へ視線を移す。


「この前、乗ってみたいって言ってたね」


「ああ」


 荷物を運び終え、岸から見送った船を思い出した。


 船は曲がり角の向こうへ消えた。その先にも道や町があることは知っていたが、俺たちは岸に残ったままだった。


 今度は、乗って行けるかもしれない。


「先に、話を聞こう」


 俺が言うと、二人が頷いた。


「船の上で盾を置く場所も聞いて」


「僕は、岸までの距離を知りたい。弓を使うなら、船がどう動くかも」


「俺は……船酔いしたらどうするのか」


 テッサがこちらを見た。


「まだ乗ってないよ?」


「乗ってから聞くよりいいだろ」


 笑いながら、依頼票を外す。


 胸元で鉄札が揺れた。


 これを掛けたからといって、昨日より重い物を持てるようになったわけではない。槍の腕も、昼の審査から急に上がったりはしない。


 それでも、持っていける依頼票が一枚増えた。


「ノル、見せて」


 テッサが紙の端を持ち、リオも反対側から覗き込む。


 三人で読もうとすると、少し狭い。


 俺は紙を持つ手を下げ、二人に見える角度へ向けた。


 川下の中継所には、まだ行ったことがない。


 帰ってからガルドに書くことが、また増えそうだった。

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