第68話 射つための時間
採集の仕事を選んだのは、荷物が軽そうだったからではない。
依頼票には、薬草の採取を行う薬師に同行し、周囲の見張りと運搬を手伝う、と書いてあった。場所はベルナ郊外の岩場。岩トカゲの目撃があるため、護衛補助が必要だという。
採る草は薬師が見分ける。
俺たちは、薬師が草を見ている間、ほかを見る。
「採集してる人って、ずっと下を向いてるんだね」
テッサが依頼票を覗き込んだ。
「たぶん。俺たちが見てればいい」
そう言ってから、俺は続きを読んだ。
同行する薬師は一人。採集場所は二か所。予定量が集まるか、昼を過ぎた時点で帰路につく。魔物が多ければ中止。
仕事の終わりまで確かめて、二人を見る。
リオが頷いた。
「受けよう。昨日の練習、外でも試したい」
「試すために危ない方へ行くのは、なしな」
「分かってる」
テッサは盾の肩紐を直した。
「じゃあ、今日は草を見てる人を見失わないようにしよう」
俺たちは依頼票を受付へ持っていった。
◇
薬師は、白い布で髪をまとめた年配の女性だった。
背負い籠と小さな刃物、それから草を包むための布を持っている。俺たちの武器を見たあと、最初に確かめたのは、集合時刻ではなかった。
「危なくなったら、どう言えばいい?」
俺は少し考えた。
「まず、俺たちを呼んでください。下がってほしいときは、場所も言います」
「草を置けと言われたら?」
「置いてください」
「はいよ。そこは惜しまないことにする」
返事が早かった。
テッサが背負い籠を見る。
「いっぱいになってても?」
「持ち帰る人がいなくなったら、ただの草だからね」
その言い方で、少し安心した。
街の外へ出ると、道沿いの草が朝露に濡れていた。岩場は低い丘の斜面にあり、ところどころに灌木が生えている。歩く場所さえ選べば、険しい道ではなかった。
最初の採集場所では、薬師が岩の陰へしゃがみ込んだ。
「この辺りにある。似た葉もあるから、抜くのは私に任せて」
俺たちは頷き、立つ場所を分けた。
テッサは薬師の近く。
俺は道へ戻れる側。
リオは少し高い石のそばで、斜面の上と草の間を見た。
誰が何を見るか、出発前にも話した。現場へ来ると、岩の大きさも、草の高さも思っていた通りではない。
「リオ、そこから下も見える?」
「左は見える。右の岩の裏は見えない」
「じゃあ、右は俺が見る」
俺は二歩だけ場所を変えた。
それで、薬師の姿が岩に隠れかけた。
「ノル、私からは見えてる」
テッサの声がした。
「分かった」
全部を自分で見ようとすると、動くたびに別の場所が見えなくなる。
今日は、そのたびに一人で戻らずに済んだ。
◇
一か所目は、何事もなく終わった。
薬師が布を畳み、採った草を籠へ入れる。俺たちは水を飲み、二か所目へ向かった。
次の場所は、岩が段になった斜面だった。
上から落ちたらしい石が、足元にいくつも転がっている。その間に細い道があり、少し奥には平らな場所が見えた。
リオが足を止めた。
「上にいる」
指の先を見る。
灰色の岩に、灰色の背中が重なっていた。岩トカゲだった。腹を石へつけ、長い尾を横へ流している。
こちらに気づいているのか、まだ動かない。
俺は薬師へ声をかけた。
「ここで待ってください。テッサの後ろへ」
女性が頷き、籠を抱え直した。
岩トカゲまでは、槍では届かない。弓なら狙える距離だった。
「リオ、射てるか」
「ここだと、枝が邪魔。右へ寄れば」
リオが動こうとしたとき、下の草が揺れた。
もう一匹いた。
岩の間から頭を出し、こちらを見ている。上の一匹より近い。
「下にも一匹!」
俺は槍を向けた。
岩トカゲが草から出る。短い脚が地面を掻き、身体が低くなる。
来る。
「テッサ、近い方を頼む。俺が――」
言いかけて、止めた。
テッサの後ろには薬師がいる。
彼女を前へ動かせば、守る相手を誰が見るのか決めなければならない。
俺は槍先を下げ、近い一匹の進む先へ出した。
「俺が下を見る。薬師さん、そのまま」
岩トカゲが踏み込んだ。
槍を突き出す。頭へ当てようとはせず、近づく身体の前へ刃を置いた。
相手が身を捻る。
穂先は肩の鱗を擦り、深くは入らなかった。俺は追わずに引き戻し、岩トカゲが回る方へ足を動かした。
「上、動いた!」
リオの声がした。
顔を上げたい。
だが、目の前の一匹から目を離せなかった。
「どっちへ?」
「右の岩。まだ降りてない」
それだけ分かれば、今はよかった。
俺は下の一匹を見たまま、声を出した。
「リオ、右へ動けるか」
「行ける。でも、荷物が足元にある」
彼のそばには、薬師から預かった包みが置いてあった。
少し前なら、どかしてくれと言っていたと思う。
今、リオが弓から手を離せば、上の一匹を狙う人間がいなくなる。
「テッサ、薬師さんごと左の平らなところへ下がれる?」
「行ける。今、動く」
テッサが盾を向けたまま、女性へ声をかけた。
「私の後ろ。足元の石、跨いで」
薬師が動く。
二人が包みから離れたところで、リオが一歩後ろへ引き、別の角度へ移った。荷物をどかさなくても、通れる場所ができた。
上の岩トカゲが頭を持ち上げる。
「射つ!」
弦が鳴った。
矢は前脚の付け根へ入り、岩トカゲが石の上で身をよじった。尾が枝を叩き、灰色の身体が低い段へ落ちる。
俺はそちらへ向かなかった。
目の前の一匹が、また動いたからだ。
◇
下の岩トカゲは、槍先を避けて左へ回ろうとした。
その先にはテッサがいる。
「左へ行く!」
「受ける!」
盾が斜めに出た。
岩トカゲの頭が当たり、横へ流れる。テッサは押し潰そうとはせず、薬師との間へ盾を残した。
相手の身体が、俺へ横を見せた。
前脚の後ろ。
俺は踏み込み、槍を突いた。
刃が入り、柄へ重みがかかった。足を止めずに引き戻すと、岩トカゲは地面へ腹をつけた。
まだ尾が動いている。
距離を取り、もう一度構えた。
「上のやつ、こっちへ来る!」
リオが言った。
矢を受けた一匹が、低い岩を伝って下りてきていた。動きは遅いが、止まってはいない。
俺の前には、まだ一匹いる。
テッサの後ろには薬師。
リオは矢を番えようとしていたが、近づかれる方が早そうだった。
「リオ、左へ。テッサの後ろまで」
彼が顔を向ける。
「そっち、入れる?」
「入れる。薬師さん、もう半歩左へ」
テッサが場所を空けた。
リオが弓を低くして動く。
俺は起き上がろうとした一匹へ槍を出し、押し留めた。そこへ、もう一匹が岩の陰から現れる。
間に合わない。
そう思ったところで、テッサの盾が俺の右側へ出た。
「右、止める!」
岩トカゲが盾へ爪をかけた。
テッサが足を引き、重みを逃がす。その後ろで、リオが弓を引いていた。
「盾の外、空けて!」
俺は槍を引き、左へ退いた。
矢が通った。
近い距離から首の脇へ刺さり、岩トカゲが盾から落ちる。
俺は先に傷を負わせた一匹へ向き直った。身体を持ち上げようとしたところへ、もう一度槍を入れた。
しばらくして、二匹とも動かなくなった。
俺たちはその場からすぐには近づかなかった。
上の岩。
草の間。
来た道。
見る場所を分け、ほかに動くものがないか確かめる。
「薬師さん、怪我は?」
テッサが聞いた。
「ないよ。あんたたちは?」
俺たちは互いの顔を見た。
リオが首を振り、テッサも頷いた。
「大丈夫です」
答えてから、ようやく息を吐いた。
◇
薬師は二か所目の採集を、手前の範囲だけで終えることにした。
「奥にもありそうだけど、今日はこれで足りる」
籠を見せられ、俺は頷いた。
草の名前は、まだ全部覚えられなかった。似た葉を指してみたら、一つは違うと言われた。
武器を持って周りを見ているだけでも難しいのに、この中から必要なものを選ぶ仕事もある。
帰り道では、リオが籠を持った。
俺は後ろへ回り、テッサが薬師と並ぶ。
いつもの位置とは違ったが、誰がどこを見るかは決めてあった。
道が狭くなるところで、リオが止まる。
「籠が枝に当たる。少し待って」
「後ろ、見てる」
俺が答えると、彼は持つ位置を変えた。
その間、テッサは先へ行かなかった。
たった数秒だった。
でも今日は、その数秒を作れた。
◇
町へ戻る前に、薬師が休憩を取ろうと言った。
道端の平らな石へ座り、俺たちも水を飲んだ。
「さっき、助かったよ」
リオがテッサへ言った。
「矢、間に合ったね」
「うん。下がる場所があったから」
彼は弓を膝へ載せた。
「俺、早く射てるようになればいいと思ってた。今日も、もっと早く番えられたらって」
「早い方がいいんじゃない?」
テッサが聞く。
「それはそう。でも、射てる場所にいないと、早くしても駄目だった」
俺は頷いた。
リオが弓を使えるようにする。
それは、敵を盾で止めることだけではなかった。荷物を置く場所、下がる道、身体を向ける時間。そういうものも必要だった。
「最初、テッサを前へ呼ぼうとした」
俺が言うと、彼女はこちらを見た。
「聞こえてた」
「薬師さんが後ろにいたのに」
「途中で変えたでしょ」
「ああ」
変えられた。
昨日の審査では、言った通りに二人が動くものだと思っていた。今日は、二人が今いる場所を見て、言い直した。
それで全部うまくできたわけではない。
二匹目が下りてきたときには、やはり焦った。槍を引く足も少し遅れた。
でも、誰か一人に全部押しつけずに済んだ。
「次は、籠を置く場所も先に決めよう」
リオが言った。
「そうだな」
「あと、私の後ろに入るなら、左右を言って」
テッサが付け加える。
「分かった」
話していると、薬師が水袋の口を閉めた。
「帰り道で、次の話ができるならいいね」
俺たちは顔を上げた。
女性は籠の中の布を直し、立ち上がった。
「さあ、もう少し歩こう。草は採ったあとも仕事があるんだ」
俺も槍を持って立った。
今日は、鉄札にはならない。
帰って報告をしても、首の札は同じ色のままだ。
それでも、昨日できなかったことが、少しできた。
リオが籠を持ち、テッサがその横へつく。
俺は後ろを確かめてから、二人に続いた。




