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第67話 隣からは見えないもの

 テッサの盾を構えて、最初に思った。


 前が見えない。


「もう少し下げて」


 言われた通りにすると、今度は顔が心細くなる。


「それだと、頭に当たるだろ」


「だから相手を見るんだよ。ずっと隠してたら、何してるか分からないでしょ」


 俺は盾の上から、練習用の棒を持つテッサを見た。


 いつもは、この盾の横に立っている。前へ出るときには声をかけ、空けてもらった場所へ槍を出す。


 盾の後ろから見る景色は、思っていたより狭かった。


 昨日の審査に落ちたあと、俺たちは役割を替えて練習すると決めた。


 朝の訓練場で、まず俺が盾を借りた。荷物の代わりに置いた木箱をリオが運び、テッサが進む先を棒で塞ぐ。


 武器を取り替えて強くなろう、という話ではない。


 二人の場所から、何が見えるのか知りたかった。


「左、通れる?」


 後ろからリオに聞かれ、俺は盾の左側へ顔を向けた。


 その瞬間、反対側から棒が伸びた。


 脇腹の手前で止まる。


「今、こっち見てなかった」


「左を聞かれたから」


「うん。だから私も、すぐには見られないときがある」


 俺は棒の先を見てから、頷いた。


 昨日、後ろを頼むと言った。


 あのときテッサが何を見ていたのか、今なら少し想像できた。


 目の前の相手が棒を引く。次にどこへ来るのかを考える。盾の位置を直し、足を動かす。


 その途中で、俺は後ろへ回れと言った。


 言われた方には、まだ終わっていない仕事があった。


「もう一回、頼む」


 盾を構え直すと、テッサは少し笑った。


「腕、平気?」


「そろそろ重い」


「まだ始めたばっかりだよ」


「知ってる」


 だから困っている。


 ◇


 次は、テッサが木箱を運んだ。


 俺が後ろを見て、リオが前へ立つ。弓は使わず、横道を見つけたら知らせるだけの練習だった。


「右、空いてる」


 リオの声で、テッサが箱を右へ向ける。


 俺も続こうとして、箱の角に足をぶつけた。


「痛っ」


「後ろ見てた?」


「ああ」


「じゃあ、こっちの箱は見えないね」


 テッサが箱を下ろした。


 後ろを見れば、前が見えない。


 当たり前のことだった。だが、いつも後ろにいるリオが、自分の足元や俺たちの動きまで確かめながら歩いているとは、あまり考えていなかった。


 リオが俺の立っていた位置へ戻る。


「俺は、ここから少し横にずれる。二人が見えなくなるときは、先に言うようにしてる」


 彼が立つと、箱の端と横道が同時に見えた。


 真後ろにいればいいわけではないらしい。


「荷物がもっと大きかったら?」


「もっと離れるか、見えないって言う。全部は見られない」


 俺は頷いた。


 リオはよく気づく。


 それに甘えて、見えていない場所まで任せていたかもしれなかった。


 ◇


 役割を戻したあと、俺たちは交代の練習をした。


 テッサが盾を構え、リオが前から棒を当てる。俺が代わりに前へ入り、テッサが木箱の側面へ移る。


 最初は、声を細かく分けた。


「前へ入る」


「まだ」


「入れる場所、空いてる?」


「右。足が来たら下がる」


 俺は彼女の右へ入り、練習用の槍をリオへ向けた。


 棒がこちらへ向く。


「入った」


「下がる」


 テッサが盾を引いた。


 今度は、前が空かなかった。


 俺が槍を構え、彼女が箱の横へ回る。リオは棒を下ろした。


「できたね」


 テッサが言う。


 俺も頷いたが、喜ぶ前に息が漏れた。


「喋ること、多いな」


「毎回全部言ってたら、その間に来るよ」


 リオの言う通りだった。


 何度か繰り返すうち、言うことは少しずつ短くなった。


 どちらから入るか。


 まだ動けないのか。


 代わったのか。


 同じ言葉を使っていても、足が入っていなければ交代にはならない。俺が近づきすぎれば、テッサは盾を引けなかった。


 一度、彼女の踵を踏んだ。


 その次は、離れすぎて棒が間へ入った。


 昨日の失敗を分かったつもりでも、身体はすぐには動かなかった。


 休憩になり、俺たちは壁際へ座った。


「合図、もっと早く出せるようになりたいな」


 俺が言うと、テッサは水を飲んでから答えた。


「私は、まだって言ったあとも考えたい」


「何を?」


「どうすれば動けるか。昨日、離れられないって言っただけだったから」


 リオが頷く。


「俺も、板を退ける前に、後ろを頼めばよかった。でも、それを頼まれた人が動けないかもしれないんだよな」


 俺は足元に置いた木の槍を見た。


 全員が一度に、別のことをしようとしていた。


 誰かが今の仕事を続け、その間に別の誰かが動く。その順番を作らなければ、声だけ揃えても同じことになりそうだった。


「急ぐと、全部いっぺんに済ませたくなるんだな」


「ノル、よく二つ続けて言うよ」


 テッサに言われ、顔を上げた。


「そうか?」


「こっち見て、あれ動かして、みたいに」


「……言ってるかもしれない」


「私は最初のをやってる」


 リオが小さく笑った。


 俺は笑えなかったが、覚えておこうと思った。


 ◇


 午後は仕事を入れていた。


 訓練だけで一日を終えたい気持ちもあったが、宿代は審査に落ちても減らない。


 依頼は、川沿いの倉庫から船着き場まで荷物を移す補助だった。


 船へ積み込むのは船頭たちが行い、俺たちは品を確かめながら、決められた場所へ運ぶ。木箱と布の包みが中心で、壊れ物には赤い紐が結ばれていた。


 倉庫番は俺たちを見ると、戸口の壁を指した。


「武器はそこへ置いていい。通り道へ倒すなよ」


 短槍と盾を壁際へ寄せる。リオも弓を置き、矢筒の紐を締め直した。


「赤い紐の箱は二人で持て。船へ渡す板には入らんでいい。こっちの線までだ」


 床の目印を確かめ、仕事を始めた。


 最初のうちは、何も問題はなかった。


 リオが箱の印を読み、俺とテッサが運ぶ。所定の場所へ下ろすと、船頭が引き取っていく。


 戦う相手はいない。


 それでも、二人で持つ箱は、一人の都合では動かなかった。


「そっち、上げるよ」


「待って。指、入れ直す」


 テッサの返事を聞き、俺は持ち上げるのを待った。


 たったそれだけで、腰へ余計な力を入れずに済んだ。


 昼を過ぎると、別の荷車が倉庫へ来た。


 戸口へ荷物が置かれ、空いていた道が狭くなる。俺たちが次の箱を抱えて出ようとしたとき、先で船頭が手を上げた。


「少し待ってくれ。積む場所を直す」


 俺たちは足を止めた。


 後ろからは、空箱を抱えた作業員が来ていた。戸口の脇には新しい荷物があり、そのままではすれ違えない。


 俺はリオを見た。


「あの空箱を――」


 動かしてくれ、と言いかけた。


 リオは受領用の板を持ち、倉庫番に品数を伝えているところだった。


 俺は口を閉じた。


 目の前の箱を持ったまま、別の誰かに道を作らせようとしている。


 少しだけ、昨日に似ていた。


「テッサ。一度戻して、下ろせるか」


「後ろ、見える?」


「見えない。確認する」


 箱越しに作業員へ声をかけた。


「二歩戻ります。先に下がってもらえますか」


 男が頷き、空箱ごと退いた。


 テッサと歩幅を合わせて戻り、元の場所へ箱を下ろした。腕から重みが抜ける。


 リオがこちらへ来た。


「待たせた?」


「いや。今なら動ける?」


「うん」


 俺は戸口を指した。


「先に、空箱を戻す人を通そう。そのあと道を空けたい」


 リオが外へ声をかけ、俺とテッサで脇の荷物を動かした。


 詰まっていた人の流れが、少しずつ動き始める。


 大したことではない。


 箱を下ろし、人を通し、もう一度持っただけだった。


 けれど、さっきより少ない力で、仕事を続けられた。


 ◇


 最後に残ったのは、細長い木箱だった。


 俺とテッサが前後を持ち、リオが先の道を見る。


 戸口を出るとき、前を持っていたテッサが止まった。


「右へ曲がりたいけど、まだ曲がれない」


 箱の後ろ側が、倉庫の中に残っている。


 俺からは外の荷物が見えず、テッサからは戸口の内側が見えない。


 リオが横へ回り、両方を見た。


「あと一歩、真っすぐ。そのあと、前だけ右へ」


「分かった」


 言われた通りに進むと、箱の角が柱を避けた。


 テッサが右へ動く。


 俺はその場で向きを変え、箱の後ろを少し左へ送った。


「通った」


 リオの声で、二人とも息を吐いた。


 線の内側へ下ろすと、船頭が箱の端を押し、印を確認した。


「これで揃った。助かったよ」


 倉庫番が控えへ印をつけ、俺たちへ渡す。


 銅札の仕事だった。


 昨日までと同じ報酬の範囲で、特別な依頼でもなかった。


 それでも、最後の箱を下ろしたときには、三人で顔を見合わせた。


「今の、ぶつけなかったな」


「うん」


 テッサが肩を回す。


「リオ、両方見えてた?」


「横からなら。でも、荷物がもっと高かったら見えなかったと思う」


「じゃあ、そのときは止まる」


 俺が言うと、リオが頷いた。


 見える場所へ移る。


 それでも見えなければ、聞く。


 言葉にすれば簡単なことを、今日は何度も身体で確かめた。


 ◇


 武器を受け取り、倉庫の外へ出た頃には、川が夕日の色になっていた。


 船頭たちが渡し板を上げ、綱を外している。


 さっきまで俺たちが運んでいた箱が、荷台に並んでいた。


「あれ、どこまで行くんですか」


 俺が尋ねると、倉庫番は川下を指した。


「途中で二つ荷を下ろして、最後は下流の町までだ」


「遠い?」


 テッサが聞く。


「風と水次第だな。歩くのとは違う」


 その答えが少し面白かった。


 俺たちは道を歩いてベルナへ来た。次に出かけるときも、街道を行くつもりでいた。


 だが、目の前の荷物は川を下っていく。


 船が岸から離れると、リオが小さく手を上げた。船頭も片手を上げ返す。


「船で行く仕事も、あるんだろうな」


 リオが言った。


「弓、揺れても当てられる?」


 テッサに聞かれ、彼は少し考えた。


「今は分からない。乗ったことないし」


「私、盾より先に酔うかも」


「俺は、槍を落とさないようにするところからだな」


 誰も、できるとは言わなかった。


 それでも、三人とも船を見ていた。


 昨日は、次の審査のことばかり考えていた。今も悔しいし、鉄札にはなりたい。


 だが、その先でやりたかったことまで、なくなったわけではなかった。


 俺は完了報告の控えを折り、鞄へしまった。


「明日の練習、朝でいいか」


「うん。今日できたところから」


 リオが答える。


「午後は?」


 テッサに聞かれ、俺は川から目を戻した。


「依頼板を見よう。三人でできる仕事を探す」


「船の仕事も?」


「条件だけなら、読めるだろ」


 テッサが笑った。


 俺も少し笑った。


 川を下る船は、まだ見えていた。さっきまで自分たちの腕の中にあった荷物を載せ、俺たちの知らない場所へ向かっている。


 いつか乗ってみたいと思った。


 その前に、明日はもう一度、二人の立つ場所から周りを見てみよう。

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