第66話 まだ、銅札
最初の角から出てきたのは、棒と小盾を持った男だった。
胸には赤い布をつけている。審査前に説明された、妨害役の印だ。
テッサが盾を構え、俺は止めた荷車の横へ出た。
男が棒を突き出す。
盾に当たる音がして、テッサの肩が少し下がった。彼女は押し返そうとせず、男が回り込もうとする側へ足を動かした。
「右、空ける」
「出る」
俺は盾の右から槍を出した。
男は小盾で受けたが、その分だけ足が止まる。テッサが半歩進み、荷車の前から男を遠ざけた。
「今、動かせる!」
俺は槍を引き、取っ手へ戻った。
リオが後ろを見ながら荷台を押す。角を曲がり切ったところでテッサも下がってきた。
男は追ってこなかった。
俺は息を吐いた。
できた。
荷物を置き去りにせず、相手を追い回さず、三人とも先へ進めた。
その手応えがあった。
◇
二つ目の曲がり角の手前で、道が左右に分かれていた。
正面の道は狭く、左の道は少し広い。仕切りの上には、どちらも目的地へ続くことを示す白い布が下がっている。
ただ、左側には板が斜めに置かれ、車輪止めになっていた。
「左、板を退ければ通れる」
リオが言った。
俺は荷車を止めた。
正面なら、そのまま通れそうだ。だが、荷車の両側に人が立つ余裕はない。
左なら広い。
そう考えたところで、正面の角から二人目の妨害役が出てきた。
「前!」
テッサが間へ入る。
俺も槍を構え、男が荷車へ近づかないよう先端を向けた。
「左へ回ろう。リオ、板を退けられるか」
「できる」
リオが弓を背へ回し、板へ向かった。
俺はその間、テッサの横を見ていた。
男は正面から盾を叩き、少し下がった。テッサもつられて一歩進む。
槍が届きそうだった。
もう一歩押せば、荷車を動かす場所が作れる。
俺も前へ出た。
「後ろ、来た!」
リオの声で振り返った。
最初の男だった。
曲がってきた道から現れ、荷車の後ろへ回ろうとしている。リオは板の端を持っていたが、すぐに下ろした。
俺は二人の男を交互に見た。
前にテッサ。
後ろにリオ。
荷車は、その間にある。
「テッサ、後ろを頼む!」
言い終わると同時に、俺は正面の男へ向き直った。
テッサが後ろへ来る。
そう思っていた。
だが、彼女はまだ前にいた。
「今、離れられない!」
盾へ棒が押しつけられている。男の足が、彼女の外側へ回っていた。
俺は後ろへ戻ろうとして、荷車の取っ手へ腿をぶつけた。
痛みより先に、木の鳴る音がした。
リオが板を下ろして下がった場所には、荷車の車輪があった。避けるために身体を横へ向けたところへ、男の棒が伸びた。
布を巻いた先端が、リオの胴へ触れた。
「被弾。リオ、その場で動くな」
審査員の声が響いた。
リオの足が止まる。
俺はようやく後ろへ回ったが、もう遅かった。
「全員、止め」
正面の男が棒を下ろした。
テッサも盾を引く。
車輪止めの板は、道を塞いだままだった。荷車は一歩も進んでいない。
誰も怪我はしていない。
それなのに、リオの服へ棒が触れた場所から、目を離せなかった。
◇
審査員は、俺たちをその場に立たせたまま尋ねた。
「ノル。後ろを頼むと言ったとき、テッサの返事は聞いたか」
「……聞く前に、動きました」
「何をするつもりだった」
「前を俺が受けて、テッサに後ろへ回ってもらおうと」
「交代するなら、お前が前へ入る必要があったな」
俺は頷いた。
言葉にすると、簡単だった。
けれど、実際には俺はテッサの場所へ入っていない。槍を向けただけで、彼女が動けると思っていた。
審査員はテッサを見た。
「お前は、なぜ前へ進んだ」
「相手を離せば、荷車を動かせると思って」
「荷車は動かせたか」
テッサの視線が、斜めに置かれた板へ落ちた。
「まだでした」
「盾で作った場所まで、守る相手がついて来られるとは限らん」
彼女は唇を結び、頷いた。
次に、リオが呼ばれた。
「板を動かす前、誰が後ろを見ることになっていた」
「決めてませんでした」
「引き受けた時点で、自分の持ち場が空くとは分かったか」
「分かってました。でも、すぐ済むと思って」
俺は顔を上げた。
「俺が頼んだんです」
「頼まれたことを引き受けられるか判断するのも、本人の役目だ」
責めるような声ではなかった。
それが、かえって堪えた。
誰か一人のせいにすれば、話は簡単だった。
俺が指示を間違えた。
テッサが進みすぎた。
リオが後ろを空けた。
どれも起きたことだった。だが、どれか一つだけを直せば済むとも思えなかった。
「相手が二人いると分かった。板はまだ動かせない。今なら、どうする」
審査員に聞かれ、俺は来た道を見た。
広い場所まで、少し戻れる。荷車を寄せれば、三人が同じ側へ集まる余地もあった。
「まず、三人が動ける場所まで戻ります。荷車を下げられなければ、いったん手を離して集まります」
「戻れと伝えるだけでいいか」
俺は首を振った。
「誰がどこを見て、誰から動くかまで決めます」
「それを、動く前にできるようにしろ」
審査は、そこで終わった。
◇
結果を待つ間、俺たちは訓練場の端に座っていた。
練習用の武器は返した。膝の上に置いた手には、まだ槍を握っていた感覚が残っている。
テッサは盾の縁についた土を払っていた。
リオは水袋を持ったまま、飲んでいなかった。
「ごめん」
俺が言うと、二人が顔を上げた。
「後ろを見てもらってたのに、板まで頼んだ」
「俺も、誰かに代わってって言えばよかった」
リオが答えた。
「見てくれてると思ったんだ」
「私も、ノルが前に来たと思ってた」
テッサが盾へ目を落とす。
思っていた。
三人とも、それを当てにして動いた。
橋鼠を相手にする前、ベックに言われたことがある。隣にいるだけで、相手の考えが分かると思うな。
今なら、声をかけ合うくらいできる。
そう思っていた。
声を出しても、引き継げたことにはならなかった。
審査員が紙を持って戻ってきた。
俺たちは立ち上がった。
「今回は、三人とも昇級を認めない」
分かっていたつもりだった。
それでも、胸の奥が沈んだ。
男は紙を開き、一人ずつ名前を呼んだ。
「ノル。普段の間合いでは動ける。だが、状況が重なると、自分の動作と仲間への指示が噛み合わなくなる。返事を待つ間、何をしておくかも考えろ」
「はい」
「テッサ。正面を止める力はある。守る相手の位置が変わったときに、盾の位置を選び直すのが遅い。個別の課題でも同じ傾向が出ていた」
テッサが頷く。
「リオ。射てるかどうかの判断はできている。だが、弓以外の仕事を渡されたとき、自分に残る役割を整理できていない」
「はい」
男は紙を閉じた。
「組んで動いているから、互いに補えている部分はある。それは長所だ。ただ、誰かがいつもの仕事をできなくなったときに、三人まとめて崩れていいわけじゃない」
俺はリオを見た。
もし、棒ではなかったら。
その先は、考えたくなかった。
「再審査の申請はできる。直すところを確かめてから来い」
男は受付へ出す紙を渡した。
そこには、俺たち三人の名前と、不合格の文字が並んでいた。
◇
ギルドを出ると、通りはいつも通りだった。
荷車が通り、店先で客が値段を聞き、焼いたパンの匂いがした。
俺たちだけが、どこへ足を向ければいいのか分からないように立っていた。
「飯、どうする」
俺が聞いた。
「食べる」
テッサが答える。
「お腹は減ってる」
「俺も」
リオが続いた。
祝いの飯になるかもしれないと思っていた。
今日は、そうならなかった。
食堂で頼んだ煮込みは熱く、パンも柔らかかった。だが、いつもより食べ終わるまで時間がかかった。
テッサが匙を置いた。
「三人で受かるつもりだった」
「俺も」
リオが答えた。
俺は頷いた。
受けられるだけで十分だとは、思っていなかった。
ちゃんと受かりたかった。
「悔しいな」
口にすると、テッサがようやくこちらを見た。
「うん」
それだけで、少し息がしやすくなった。
◇
宿へ戻り、俺たちは机に訓練場の道を描いた。
荷車の代わりに小箱を置く。三人の位置には、拾った木片を並べた。
俺がテッサの木片を後ろへ動かすと、彼女に止められた。
「そのとき、私はまだここ。前の人がいるから」
「ああ。そうだった」
戻して、今度は自分の木片を動かす。
リオが荷車を指した。
「そこ、取っ手がある」
紙の上でも、すぐには動けなかった。
俺は手を止めた。
頭の中で思い描いていた道は、実際より広かったらしい。
「最初に、俺が板を退けに行った方がよかったかな」
「その前に、後ろをどうするかじゃない?」
テッサが言う。
「俺、板はあとでって言えた」
リオが木片を戻した。
少しずつ、さっきとは違う動き方が見えてきた。
ただ、これを覚えて同じ道を通れればいいわけでもない。
「明日、役を替えてやってみよう」
俺が言った。
「俺が後ろを見て、リオが荷物。テッサは途中で動けなくなったつもりで」
「ずっと動けないの?」
「最初は少しだけ」
「分かった。でも、その次はノルね」
「ああ」
いつもの位置にいるときだけでなく、そこから動かなければならなくなったときも練習する。
今日は、何を練習すればいいのかまで分かった。
だからといって、不合格が嬉しくなるわけではなかった。
机の端に置いた紙を見るたび、まだ胸が重くなった。
◇
道の図を脇へ寄せたあと、俺はもう一枚の紙を広げた。
ガルドへ手紙を書くつもりだった。
ベルナへ着いたこと。仕事を続けていること。地下の川と橋を見たこと。
書こうと思っていた話は、いくつもある。
そこに、鉄札になったと書けるはずだった。
「書くの?」
テッサが聞いた。
「うん」
「受かってからでもいいんじゃない?」
俺はペンを止めた。
その方が、書きやすい。
よい知らせだけを選んで、元気にやっていますと伝えれば済む。
だが、書き始めた紙には、まだ一行しかなかった。
ベルナで、三人とも元気にしています。
俺はその下へ、続きを書いた。
鉄札の審査を受けましたが、今回は落ちました。
字にすると、もう一度言われたような気分になった。
少し迷ってから、さらに続けた。
仲間と交代するときに、うまく動けませんでした。練習して、もう一度受けます。
リオが横から覗き、何も言わずに頷いた。
テッサはしばらく考えてから、紙を指した。
「三人とも怪我はしてないって、書いて」
「最初に元気だって書いたぞ」
「落ちたって書いたあとにも」
俺は頷き、その一文を足した。
三人とも怪我はしていません。
そこまで書くと、ようやく地下の橋の話へ進めた。
水が青く光って見えたこと。古い石橋を渡ったこと。宝箱から、少し変わった灯りを見つけたこと。
書いている途中で、首の銅札が机の縁へ触れた。
小さな音がした。
今日は、替えられなかった。
隣を見ると、テッサもリオも、同じ色の札を下げていた。
「次は、帰って見せたいな」
俺が言うと、テッサが頷いた。
「三人でね」
リオは机の上の木片を、自分の手元へ引き寄せた。
「明日、後ろを見る役から教えて。ノルがどこまで見えるのか、俺も確かめたい」
「分かった」
俺は手紙の最後に、また書きます、と添えた。
銀色でも、鉄色でもない札を胸に下げたまま、三人で明日の練習を決めた。




