第63話 銅札の、その先へ
風吐きトカゲの素材を受付台へ載せると、買い取り担当の男が包みを開いた。
俺たちは三人とも、向かい側の長椅子に座っていた。誰から座ろうと言ったわけでもない。空いているのを見つけたら、自然と足がそちらへ向いた。
「喉袋まで持ち帰れたか」
男が広げた薄い膜には、矢が通った穴があった。倒したあと、回収できるところを教わっていた通りに切り分けたものだ。
リオが少し身を乗り出した。
「そこ、俺が射ました」
「見れば分かる。切り取るときに裂いた穴じゃないな」
「やっぱり、値段は下がりますか」
「丸ごと使える品よりはな。ただ、穴のない部分にも使い道はある」
男は膜を軽く引き、戻り方を確かめた。
「伸ばして戻る性質を使うんだ。送風用の道具なんかに回る。こっちの端は傷も少ない」
リオの肩から、少し力が抜けた。
俺は矢の穴を見た。あそこへ当たったおかげで、最後は槍を入れる場所ができた。
「穴がなかったら、持って帰れてないかもしれないしな」
「そうだけど、両方できたらよかった」
リオは悔しそうに笑った。
命があれば十分だと思う。それでも、うまく倒して、素材も傷めず持ち帰れたら嬉しい。
そういう欲が出るところまでは、俺たちも来たらしい。
買い取り担当は魔石と残りの素材もまとめて確かめ、金額を書いた紙を差し出した。
テッサが先に覗く。
「……思ってたよりある」
「喉袋だけの値段じゃないぞ。魔石も、使える皮も入ってる」
皿へ硬貨が並べられる。銅貨の中に銀貨が混じる音を聞いて、俺も少し背筋を伸ばした。
道具の補充と手入れの費用を引き、残りを三人で分けても、ちゃんと金が残る。
買った装備を使って仕事を終え、その稼ぎで次に出かけられる。
当たり前のことなのかもしれないが、短剣の研ぎ代を払うたび短槍が遠ざかっていた頃には、なかなか思うようにならなかった。
「今日は肉にしよう」
テッサが言った。
「先に補充代」
「分かってる。そのあとで肉」
「俺も賛成」
リオがすぐに続く。
俺は紙をもう一度見た。
「……そのあとなら、俺も」
満場一致だった。
◇
討伐の場所と経過を報告すると、受付の女性は迷宮の図面に小さく印をつけた。
柱を使って風を避けたこと。膨らみきる前にも、短い風を吐いたこと。奥に石のアーチがあり、その先は調べず戻ったこと。
リオが短い風の向きを説明し、テッサが柱の陰でも砂は回り込んできたと付け加える。
俺一人で話すより、記録が詳しくなっていった。
「三人とも、所属はリーヴェで登録されていますね」
「はい」
「こちらでも、護衛と討伐の完了記録が増えています。昇級審査への申請は考えていますか?」
俺は返事をする前に、胸元へ手をやった。
服の上からでも、銅札の形は分かる。
「鉄札に、ですか」
「ええ。ただ、今回一体倒したから、そのまま昇級ということではありません。リーヴェでの記録を取り寄せて、審査を受けられるか確認します」
テッサが俺を見た。
リオも、今度は金額の紙ではなく、受付の女性を見ている。
「ここに滞在したままでも、申請できるんですか?」
「できます。照会には日数がかかりますが。記録を確認してから、審査の内容や日程をお知らせします」
遠くへ来たら、積み重ねた仕事まで置いてくるわけではないらしい。
第三水路の泥さらいも、資材運びも、採石場の仕事も。
あの頃は、その日の報酬を受け取れば終わりだと思っていた。それがここへ届いて、次の札を目指す材料になる。
「俺、申請したい」
口にすると、思っていたよりはっきりした声が出た。
「俺も」
リオが頷く。
テッサは自分の札を服の外へ出して、指先でひっくり返した。
「鉄札になったら、依頼板で読む場所も増える?」
「受けられる依頼の範囲は広がります。ただし、得意不得意まで変わるわけではありませんよ」
「じゃあ、三人で読むところからだね」
俺たちはそれぞれ申請書を書いた。
名前を記入し、登録した支部を書き、今泊まっている宿の名前を添える。拍子抜けするくらい、普通の手続きだった。
書き終えても、首から下がっているのは同じ銅札だ。
けれど、受付へ紙を渡すときには、初めて登録した日を思い出していた。
あの日、戦闘経験はないと答えた。
今なら、あると言える。得意な武器も、組んでいる仲間も、自分の口で説明できる。
「よろしくお願いします」
俺の隣で、二人も同じように頭を下げた。
◇
翌日は休みにした。
正確には、何もしない日にはならなかった。
テッサは盾の傷と留め具を職人に見てもらい、俺は短槍と剣の手入れをした。リオは回収した矢を一本ずつ並べ、使えるものと直すものを分けていた。
宿の部屋の床が、いつの間にか小さな道具屋になっている。
「踏むなよ」
「踏める場所を残してくれ」
リオに言われ、俺は壁沿いを歩いた。
盾は縁の手入れと調整で済んだ。テッサが受け取ってきたあと、三人で買い足す物を確かめる。
灯りの油。布。食料。矢。
必要なものを買っても、昨日の稼ぎは全部なくならなかった。
夕食には、約束通り肉を頼んだ。
テッサは皿が置かれるなり、付け合わせの芋を端へ寄せた。
「それも食べるだろ」
「食べる。肉の大きさを確かめてるだけ」
「どうだった?」
「合格」
俺は笑って、自分の皿へ手を伸ばした。
ガルドなら、芋まで残すなと言うだろう。俺たちが鉄札の審査を申し込んだと聞いたら、何と言うだろうか。
浮かれるなと叱られる気もする。
それでも、いつか札を見せに帰りたかった。
「何、笑ってるの?」
「食堂にいたときのことを思い出した」
「鍋の人?」
「その呼び方、本人の前でするなよ」
テッサが肉を噛みながら頷く。覚えているのかどうか、少し怪しかった。
俺はもう一口食べた。
今日の肉の味も、帰ったら話せる。
◇
その次の朝、俺たちは風鳴りの迷宮へ向かった。
今回の目的は、風吐きトカゲのいた広間の先を確かめることだった。
出発前にギルドで図面を見せてもらうと、アーチの先には川を見下ろす通路と、古い橋が描かれていた。そこまでは入口側の回廊から続く範囲だという。
ただ、橋より奥へ進む道は、別に確認が必要だった。
「今日は橋の手前までだな」
「帰る分の時間も残そう」
リオが図面を見ながら答えた。
テッサは川を示す線へ指を置く。
「地下なのに、橋があるんだ」
「川があれば、渡りたい奴もいるんだろ」
「その橋を作った人は、どうやって向こうへ行ったんだろうね」
俺は答えに詰まった。
水道橋の補修資材は運んだ。だが、最初の橋をどう作るのかは知らない。
「……それも、見てから考えるか」
迷宮へ入ると、岩の穴を抜ける風が低く鳴った。
前に歩いた道でも、同じように通れるとは限らない。リオが先の岩棚を確かめ、テッサが曲がり角の内側を見た。俺は短槍を持つ位置を変え、二人の動ける幅を空ける。
狭いところでは、後ろへ出る柄も確かめた。
初めて《鉄輪》で槍を握ったときには、それだけで棚へぶつけそうになった。今は足を止めずに、持ち替えられる。
できるようになったことは、こういう小さな動きの中にもあるらしかった。
風吐きトカゲの広間では、入口からしばらく様子を見た。
床には戦いの跡が残っている。柱の根元に寄った砂。爪で削られた筋。俺が槍を引いたとき、靴で擦った場所まで分かる気がした。
けれど、広間に動くものは見えなかった。
奥のアーチまで進み、もう一度周囲を確かめる。
「この柱には世話になったね」
テッサが、風を避けた太い柱を見上げた。
「お礼は?」
「今度も壊さず使う」
「使う予定は、できればない方がいい」
リオの言葉に、俺も頷いた。
アーチの先は、緩い下り坂になっていた。
俺は灯りを掲げた。足元には平たい石が敷かれ、ところどころ継ぎ目がずれている。壁には細い水の筋があり、その先から、風とは違う音が聞こえた。
途切れずに続く、低い響きだった。
「水だ」
リオが言った。
少し進むと、灯りの外側にも青白い明かりが見え始めた。
壁に光る鉱物が混じっている。明るい部分と暗い部分が重なり、通路の先だけが淡く浮かび上がっていた。
俺たちは出口の手前で止まった。
石床の端。左右の壁。頭上。
危ないものがないか確かめ、それから、もう数歩だけ前へ出た。
通路は、広い空洞に張り出した石の足場へ続いていた。
その下を、川が流れている。
青白い光を細かく砕きながら、水が岩の間を抜けていた。向こうの壁まで続く空間は、灯りを掲げても全部を見渡せない。
川の上には、石の橋が架かっていた。
低い弧を描く、古い橋だった。欄干の一部は欠けているが、道の形は対岸まで続いている。その先には、また別の通路が口を開けていた。
テッサがゆっくり息を吸った。
「……本当に、あった」
図面で見たばかりだ。それでも、俺も同じことを思った。
紙に引かれた線と、自分の目で見る橋は違う。
水の音がする。ひんやりした空気が頬へ当たる。濡れた石の匂いまでした。
リオは弓を持ったまま、対岸を見ていた。
「橋の向こうにも、道があるな」
「ああ」
俺は答えたが、すぐには足を動かさなかった。
今日は、ここまで来られたことを少し味わいたかった。
冒険者になって最初に運んだのは、水道橋を直すための木材や工具だった。
あのときは、倉庫と作業場の間を往復するだけで一日が終わった。テッサの盾が柱にぶつからないか、そんなことばかり見ていた。
今も、橋のそばにいる。
隣にはテッサがいて、リオがいる。俺の手には、あの頃欲しかった短槍がある。
「ノル」
呼ばれて顔を向けると、テッサが少し笑っていた。
「いい休憩場所、見つけたね」
「端には座るなよ」
「分かってる」
リオが荷物から水袋を出した。
俺たちは川から離れた壁際へ寄り、荷物を下ろした。見張る場所と帰り道を確かめてから、石の上へ腰を下ろす。
銅札は、まだ銅札のままだった。
それでも、食堂で聞くだけだった景色を、今日は俺が見ている。
俺は水袋を受け取り、対岸へ続く橋をもう一度眺めた。




