↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
62/88

第59話 矢の通る場所

 風鳴りの迷宮は、入口に着く前から場所が分かった。


 岩の間を抜ける風が、細く長い音を立てている。笛に似ていたが、同じ音は続かない。高くなったかと思うと途切れ、別の穴から低い音が返ってきた。


「誰か吹いてるみたいだね」


 テッサが盾の肩紐を直した。


「ずっと吹いてたら、息が切れるだろ」


「交代してるのかも」


 岩の中で笛を吹く仕事は、依頼板にはなかったはずだ。


 朝のうちにギルドで最新の報告を確かめ、灯りと消耗品を買い足してから来た。今回歩くのは、入口に近い回廊と、その先の柱の広間まで。奥へ下りる縦穴には入らない。


 入口脇の小屋で名前と予定を伝えると、係の男が壁に貼った図を指した。


「回廊の上にも目を配れ。昨日は岩トカゲが出てる」


 図には、平たい胴と長い尾を持つ魔物が描かれていた。爪を岩の割れ目へ引っかけて登り、上から飛びついてくるという。


「背中は硬いんですか?」


 俺が聞くと、男は首を振った。


「岩潜りみたいな板はない。ただ、爪を掛けたまま向きを変える。壁にいるから動けないと思うなよ」


 俺たちは頷き、石の入口へ向かった。


 中から吹いてきた風が、リオの外套を後ろへ膨らませた。


 彼は布の裾を押さえ、暗がりを見た。


「ここから出てくるんだ」


 昨日、図面の上で話していた風に、ようやく触れた。


 ◇


 入口近くの通路には、昼の光が届いていた。


 天井の高い場所に細い穴が開き、差し込む光の中を埃が流れている。壁は滑らかなところと、爪で掻いたような筋のあるところに分かれていた。


 テッサが前を歩き、俺が灯りを持って続く。リオは少し間を空け、上と後ろを交互に見ていた。


 道が二つに分かれるところで、俺たちは図面を広げた。


 左は壁沿いの細い道。右は幅があるが、途中に柱が並んでいる。どちらも先で合流していた。


「左から行こう。戻るときも、同じ方で」


 俺が言うと、二人が頷いた。


 分かれ目の岩の形を簡単に書き足し、通った側を記録する。図面だけを見ていると、実際の道まで同じ太さに思えてしまう。左の道は、テッサの盾が壁に触れないよう気を遣う幅だった。


 少し進むと、足元へ横から風が当たった。


 壁の下に、拳が二つ入るほどの穴がある。近づけた灯りの炎が、覆いの中で傾いた。


「出口には使えそうにないな」


「荷物だけなら通せるかも」


「取りに行けないだろ」


 テッサは穴を覗くのをやめ、歩き出した。


 通路を抜けた先は、思っていたより明るかった。


 太い柱が何本も立ち、その間へ天井の光が落ちている。柱の根元は床と一続きだが、途中には石を積んだような線もあった。


 自然にできた洞窟なのか、誰かが造った建物なのか。


 見比べようとしたところで、リオが小さく声を出した。


「止まって。右の柱」


 俺は足を止めた。


 床ではなく、頭より高い場所へ目を向ける。


 灰色の尾が、柱の陰へ引っ込んだ。


 ◇


 岩トカゲは、尾まで含めると俺の腕より長かった。


 腹を柱へ貼りつけ、爪のある指で凹凸を掴んでいる。頭は平たく、横へ広がった口の端から、細い舌が出入りしていた。


 灯りを向けると、丸い目がこちらへ動いた。


「もう一匹。左の張り出し」


 リオが続けた。


 見上げると、壁から突き出た岩の上に、もう一つ頭があった。


 俺たちを挟むほど離れてはいない。それでも、同時に見るには首を動かす必要がある。


「通路まで戻る?」


 テッサが盾を身体へ寄せた。


「まず二歩。上を見たまま」


 俺は入口側の平らな岩へ灯りを置き、両手で短槍を構えた。


 後ろの足を引く前に、靴底で床を確かめる。砂が薄く載っていたが、その下は硬い。半歩ずつ下がると、テッサも同じだけ動いた。


 左の岩トカゲが腹を持ち上げた。


 後ろ脚が曲がる。


「左、来る!」


 灰色の身体が岩から離れた。


 テッサが盾を斜め上へ向ける。爪が木の表面を擦り、続いて重い音がした。


 彼女は盾を高く掲げたまま耐えなかった。膝を曲げ、身体ごと右へ向きを変える。


 盾の縁から滑った岩トカゲが、俺の前へ落ちた。


 俺は槍を突き出しかけ、踏み込みを小さくした。


 近い。腕を伸ばしきれば、穂先が相手を越えてしまう。


 後ろの手を引き、距離を取り直して突く。刃が前脚の後ろへ入った。岩トカゲは身体を捻り、長い尾で床を叩く。


 槍を押さえつけようとせず、動きが緩んだところで引き抜いた。起き直ろうとした首元へ、もう一度刃を入れる。


「右は?」


「柱にいる!」


 リオの返事がすぐに来た。


 一匹目の動きが止まるのを確かめ、俺は槍を戻した。


 右の柱では、残る一匹が身体を横へ動かしていた。前脚を掛け替えるたびに頭が見え、すぐ石の向こうへ隠れる。


 リオは弓を持ち上げていたが、まだ弦を引いていなかった。


「ここからだと、柱に当たる」


 俺の位置からも、見えるのは頭の先だけだった。


 矢が速くても、石を通り抜けることはできない。


「右へ三歩、動ければ見えると思う」


 リオが床へ目を落とした。


 そこには柱の根元から崩れた小石が散っているが、通れないほどではない。問題は、動く間に上から飛びつかれることだった。


「私、前に出る」


 テッサが言った。


 俺は右の柱を見たまま頷いた。


「俺は下を見る。降りてきたら止める」


 テッサが盾を高めに構え、リオの前へ入る。俺はその左側で、柱の根元へ穂先を向けた。


 岩トカゲが頭を下へ向けた。


 さっき飛びついた一匹と似た姿勢だったが、今度は後ろ脚が伸びたままだった。


 俺は突かなかった。穂先を少し上げ、その先へ出てくるのを待つ。


 横で、靴が小石を踏んだ。


「一歩。……もう一歩」


 リオの声に合わせ、テッサが身体の向きを変える。


 盾で隠す位置が、少しずつ右へ移った。


 岩トカゲは飛ばず、柱を回り込んだ。頭を俺へ向けたまま、腹の横が右側へ出る。


「見える」


 リオが弦を引いた。


 そのとき、外套の裾が膨らんだ。


 風が右から左へ抜ける。高い穴の音が一段上がった。


 リオは射たなかった。


 弦を引き続けるのではなく、一度戻す。


 岩トカゲの前脚が動いた。俺は穂先を追わせかけ、柱へ当てそうになって止めた。


「まだ押さえられる!」


 そう言ったものの、長く待てる自信はなかった。


 相手が柱の反対側へ回れば、こちらからは見えなくなる。そこから別の場所へ跳ぶかもしれない。


 リオがもう一度、弓を上げた。


 今度は迷わなかった。


 盾の右側を矢が抜け、岩トカゲの前脚の付け根へ刺さる。


 爪が外れた。


 落ちた身体が床を打ち、こちらへ頭を向ける。俺はその口が開くより先に、槍を突き入れた。


 長い尾が石を擦り、やがて動かなくなった。


 俺たちは構えを解かず、残る柱と天井を確かめた。


 風の音が戻ってきた。


 いや、ずっと鳴っていたのだろう。聞く余裕がなかっただけだ。


 ◇


「当たった」


 リオが、ようやく弓を下ろした。


「見てた」


 俺も短槍を下げる。


「二回目に引くの、早かったな」


「待ってる間に、どこへ射つか決められたから」


 彼は矢の刺さった場所を見ていた。


「風が弱くなったら、あそこって。それでも、柱の向こうへ行かれたら無理だったと思う」


「私は、三歩目で石を踏みそうになった」


 テッサが足元の小石を靴で寄せた。


「リオに下がってって言おうとしたら、もう横にいた」


「足、止まったから」


「止まったの、分かった?」


「盾も止まったし」


 テッサは少し考えてから頷いた。


「次は声もかける」


 最初に講習を受けた日、俺たちは隣にいるだけで肩をぶつけた。今は動きで分かることもある。それでも、全部分かったつもりになるのは早かった。


 俺は盾の新しい爪跡を見た。


「上から受けても、腕は平気か?」


「平気。でも、ずっと上げてるのは嫌」


「次も早く射つ」


「当ててくれたら、ちょっとは待つよ」


 リオが笑った。


 必要な処置と矢の確認を済ませ、俺たちは灯りを持ち直した。


 広間の入口からここまで、まだ大した距離は歩いていない。それなのに、柱の見え方が変わっていた。


 さっきまでは、敵が隠れる邪魔な石だった。


 今は、どちらへ回れば何が見えるか、先に考えるようになっている。


 リオの矢が通ったのは、三歩動いた先だった。


 ◇


 広間の中央では、風が頭上を流れていた。


 床に置いた布の端はほとんど動かないのに、柱の高いところでは細い根のようなものが揺れている。


 俺たちは一度立ち止まり、図面と壁の形を照らし合わせた。


 この先に、二つの通路がある。片方は入口へ戻る広い道。もう片方は奥の区画へ続き、途中から床が下がるらしい。


「今日はここで戻ろう。右の道は入口側から確かめてないし、来た方へ」


 俺が言うと、リオは図面へ印をつけた。


 テッサは返事をしなかった。


 何かを見上げている。


「どうした?」


「あれ」


 盾ではなく、右手で壁際を指す。


 壁に沿って、狭い石段が伸びていた。柱の陰に隠れていたため、入ってきた場所からは見えなかったものだ。


 途中の数段が崩れ、その先は高い張り出しへ続いている。


 張り出しの奥に、四角い箱があった。


 木の蓋。緑色に曇った金属の帯。前面には、小さな輪の付いた留め具が見える。


「……宝箱?」


 俺が言うと、テッサがようやくこちらを向いた。


「たぶん」


「言ってみるもんだね」


 リオが小さく笑った。


 昨日、宝箱に聞こえる声で弓が欲しいと言おうか、と話したばかりだった。


 テッサはすぐには近づかなかった。箱から石段へ、その下の床へと視線を移している。


「階段、途中がない」


 下の段から上の段までは、脚を伸ばせば届くという幅ではなかった。横の壁にも、都合よく手を掛けられる突起は見えない。


 背伸びをして箱を引きずり下ろすには、張り出し自体が高すぎた。


 俺は灯りを平らな岩へ置き、鞄から図面を出した。


 石段の位置に、細い線がある。だが、段が欠けていることまでは書かれていなかった。


「向こうから回れるか、壁沿いに見てみよう。登るのは、そのあとだ」


「うん」


 リオは箱の上と、張り出しの両端を確かめた。


 俺も、あの蓋を開けてみたかった。


 硬貨かもしれない。手入れを待つ道具かもしれない。まだ名前も知らないものが、収まっているのかもしれない。


 テッサが左の手甲へ目を落とし、指を一度曲げた。


 それからリオを見た。


「弓が入ってる大きさかな」


「短い弓なら。でも、分からないよ」


「じゃあ、確かめないとね」


 天井の穴から差した光が、箱の金具を細く照らした。


 迷宮へ入る前には知らなかった、今日の目標ができた。


 俺は槍を持ち直し、箱へ続く壁際へ目を向けた。


 まずは、あそこまでの道を見つけよう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。