↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
60/84

第57話 風の中へ届く矢

 丘へ上がる道では、テッサがいつもより口数を減らしていた。


 疲れたのかと思って横を見ると、背中の盾を押さえている。


「重い?」


「横から引っ張られる」


 風が吹くたび、盾の広い面が押されるらしい。彼女は身体の向きを少し変え、歩き直した。


 俺も短槍を立てすぎないよう持ち替えた。


 昨日、町から見た風車はゆっくり回っていた。だが、その足元へ来ると、羽根が空気を切る音が思ったより大きい。


 その中に、一基だけ止まっている風車があった。


 依頼の場所だった。


 ◇


 受付で確認した報告では、風切り鳥は三羽だった。


 風車の外側に巣を作り、帆布を引き裂いて運び込んでいる。作業員が近づくと追い払おうとしてくるため、補修が止まっていた。


 依頼には、駆除後の巣の撤去と帆の補修が終わるまで、周囲を見張る仕事も含まれていた。


 風車の入口で待っていたのは、白髪交じりの髭を生やした男だった。


「ヨストだ。この風車を見ている」


 男は俺たちの武器を見てから、リオの弓へ目を留めた。


「射るなら、先に場所を相談してくれ。人も帆も、穴を増やしたくない」


「はい。巣はどこですか」


 リオが聞くと、ヨストは塔の脇へ回った。


 石造りの土台から少し上に、外へ突き出した木組みがある。その隅へ、枝や布が詰め込まれていた。


「今、二羽いる。もう一羽は、ときどき丘の下へ降りる」


 覗いていた頭は、烏より大きかった。


 長い尾と、先の尖った嘴。巣から身を起こした一羽が翼を広げると、思っていた以上に幅がある。


 俺は槍の長さと、巣までの高さを見比べた。


 背伸びをしても、届く場所ではない。


 リオは上を見たまま、風で揺れる自分の袖を押さえた。


「ここ、町より強いですね」


「強いだけなら、まだ読みやすい」


 ヨストは塔の角を指した。


「向こうから来た風が、ここへ回り込む。上と下でも違う。羽根が回る向きだけ見て、足場の上で油断するなよ」


 俺には、頬へ当たる風が一度弱くなったことしか分からなかった。


 リオは塔の角と、足元の草を順番に見た。


「細い布を、少し借りられますか」


 ヨストが眉を上げる。


「何に使う」


「風が見えるところを、増やしたいです」


 ◇


 リオは借りた布を二本、違う高さへ結んだ。


 一つは腰くらいの杭へ。もう一つは、作業用の棒の先へ付けた。


 上の布がまっすぐ伸びていても、下の布は垂れたり、横へ跳ねたりした。


「同じようには動かないんだな」


 俺が言うと、リオは頷いた。


「思ってたより、違う」


 作業員には風車の中へ入ってもらい、俺たちは巣の見える位置へ移った。鳥の向こうに人がいないことも確かめる。


 一羽が巣から出て、低い石積みに降りた。


 翼を畳み、首を動かしている。


 リオが弓を引いた。


 俺は声を出さず、鳥を見た。


 弦が鳴る。


 矢は鳥の横を抜け、後ろの土へ刺さった。


 風切り鳥が跳ね上がった。甲高い声を上げ、翼を広げて塔の向こうへ回る。


 巣にいたもう一羽も飛び立った。


「上!」


 テッサが盾を持ち上げる。


 黒い影が頭の上を横切った。俺は槍を上げかけたが、届く前に通り過ぎていた。


 リオは次の矢をつがえた。


 だが、引かなかった。


 二羽が高いところで旋回している。俺たちは塔から少し離れ、見上げ続けなくても周囲を確かめられる場所まで戻った。


「ごめん」


 リオが言った。


「風に持っていかれた?」


 俺が聞くと、彼は刺さった矢の方を見た。


「それもあると思う。でも、早く射た。布が動き始めたのに、離した」


 もう一度上空を見る。


 鳥は翼を細かく動かし、向きを変えていた。


 その姿を弓で追うことはできても、同じところへ矢を届けるのは別らしい。


「場所を変えよう」


 リオが言った。


 ◇


 ヨストの話では、鳥は裂いた布を運ぶ前に、風車の裏の地面へ降りることがあるという。


 そこは低い石積みに囲まれ、道からは少し窪んでいた。


 リオと一緒に回ると、頬へ当たる風が弱くなった。石積みの上では草が揺れているのに、下には落ちた羽毛が残っている。


「ここなら、さっきより近くから射てる」


 リオは射る場所を決め、俺とテッサを見た。


「裂けた帆布を、あそこへ置きたい。来るかは分からないけど」


 示したのは、巣からも見える土の上だった。


 ヨストに、使えなくなった布を分けてもらった。風に飛ばされないよう端を小石で押さえ、ほつれた部分だけを動かす。


 リオは石積みの切れ目に立った。


 俺とテッサは、その左側。鳥がこちらへ来た場合には、盾で遮り、リオの前を空ける。


「先に手を出さないでね」


 リオが言った。


「分かった」


 テッサが盾を低く構えた。


 すぐには来なかった。


 一羽が巣へ戻り、もう一羽は屋根の向こうへ消えた。少しして、丘の下から三羽目が飛んでくる。


 嘴に細い枝をくわえていた。


 俺たちは動かずに待った。


 そのうち、巣にいた一羽が身を乗り出した。土の上の布を見ている。


 羽ばたき、低く滑るように降りてきた。


 リオの弓が上がる。


 今度は、鳥の身体を追って大きく動かなかった。


 脚が伸び、地面を掴む。


 翼がまだ畳まれきっていない、その瞬間だった。


 矢が胴へ入り、風切り鳥が横へ倒れた。


 羽音が激しくなる。


 リオは弓を下げず、次の矢へ手を伸ばした。


 俺も倒れた鳥から目を離しすぎないようにしながら、上を見た。


 残る二羽が、巣から飛び出していた。


 ◇


 一羽がこちらへ降りてきた。


 翼を広げたままではなく、身体を細くして、まっすぐ近づいてくる。


「私の後ろ!」


 テッサの盾が上がった。


 俺は半歩下がる。


 嘴が盾へ当たり、乾いた音がした。鳥は掴みかかるように爪を掛け、羽ばたいて身体を持ち上げた。


 テッサは盾を振り回さなかった。


 左足を引き、面を外へ傾ける。


 爪が縁を滑った。


 風切り鳥が低い石積みへ降り、すぐに飛び直そうとした。


「右、出す!」


 俺は盾の横へ槍を伸ばした。


 翼の先を追わず、その下にある身体を狙う。


 穂先が当たった。


 羽ばたく力に柄が揺れたが、両手を離さずに引き戻す。鳥は石積みの内側へ落ちた。


 まだ動いている。


 テッサが盾で頭上を覆い、俺は足元の一羽へもう一度穂先を向けた。


 その時、リオが叫んだ。


「もう一羽、塔の右!」


 俺は上を向かなかった。


 テッサがそちらを見る。リオが弓を構える。


 今、自分が受け持っているものまで放り出せば、足元の鳥がまた飛び上がる。


 動きを見て突き、引く。


 それから、リオの射線を空ける位置へ戻った。


 最後の一羽は、すぐには近づいてこなかった。


 石積みの上を回り、風を受けるたびに翼の角度を変えている。


 リオは弓を引きかけ、戻した。


 鳥が高くなったからだ。


 俺は槍を構え、テッサと一緒にその下を見た。左右のどちらへ降りても、すぐに向き直れる距離を残す。


 風が強く吹いた。


 杭の布が横へ伸びる。


 鳥が塔の方へ流れ、向きを変えた。巣へ戻ろうとしているのか、高さを落としてくる。


 リオは狙いを先へ置いた。


 鳥の今いる場所より、少し下。


 石積みの陰へ入る直前、翼が一度大きく開いた。


 弦が鳴った。


 鳥が姿勢を崩し、土の上へ落ちた。


 俺たちはすぐには近づかなかった。


 リオが次の矢を持ち、テッサが盾を向ける。俺は槍の届く距離から動きを確かめ、必要な処置を終えた。


 三羽とも、もう動かなかった。


 風だけが、布の端を揺らしていた。


 ◇


 リオは弓を下ろしても、しばらく鳥の落ちた場所を見ていた。


「最後の、分かったのか?」


 俺が聞くと、彼は首を横に振った。


「全部は分からない。でも、上へ行った時は無理だと思った」


「降りてくるところを待った?」


「うん。さっきも、巣へ戻る時にあそこを通ったから」


 リオは塔の脇を指した。


 風そのものが見えるようになったわけではない。


 布を見て、鳥を見て、一度外して、それから射る場所を変えた。


 飛んでいるものへ矢を届かせるために、地面の上で考えることがいくつもあった。


「当たったね」


 テッサが言った。


 リオは、ようやくこちらを見た。


「うん」


「最初は外れたけど」


「それは覚えてる」


 彼女が笑い、リオも少し笑った。


 俺は穂先を下げた。


「俺たちも、ずっと上向いて戦わずに済んだ」


「僕一人だったら、途中で弓を引けなくなってたよ」


 リオが、テッサの盾の傷を見た。


 嘴の当たったところに、小さな跡が残っている。


 テッサはそこを指で擦り、肩をすくめた。


「その分は働いたからね」


 ◇


 ヨストたちは、俺たちが周囲を見張る間に巣を撤去した。


 木組みの隅から出てきたのは、枝と羽、それに何枚もの帆布だった。まだ卵はなかったらしく、男は中を確かめてから息を吐いた。


「よくも、こんなに持っていったな」


 裂けた布を広げると、同じ色の切れ端がいくつも重なっていた。


 風車の帆へ継ぎを当て、傷んだところを締め直す。


 作業をする人間が上にいる間、リオは鳥の飛んできた丘の下を見ていた。俺とテッサも、道と塔の反対側へ目を配る。


 別の個体は現れなかった。


 やがて、作業員が下りてきた。


 道具を片づけ、人が離れたことを確かめてから、ヨストが風車の中へ入る。


 低い音がした。


 止まっていた羽根が、少し動く。


 布が風を受けて膨らみ、大きな影が地面を横切った。


 一周。


 さらに、もう一周。


 塔の中から、歯車の噛み合う音が響き始めた。


 テッサが顔を上げる。


「動いた」


 俺も頷いた。


 昨日、町へ着いた時には、風車が回っているのは当たり前の景色だった。


 今は、継ぎを当てた帆の場所が分かる。あそこへ上がっていた作業員の顔も知っている。


 ヨストが入口へ戻ってきた。


「これで粉が挽ける」


 男は回る羽根を見上げてから、俺たちへ向き直った。


「助かった。完了の紙を書く。少し待っていてくれ」


 俺たちは石積みのそばへ下がった。


 リオが、杭に結んだ布をほどく。借りた時には長かった端が、風に揉まれて少しほつれていた。


 それを畳みながら、彼は言った。


「風車、朝よりゆっくりに見える」


「風が弱くなったから?」


「そうかもしれない。でも、どこが動いてるか分かるから、そう見えるのかも」


 俺は羽根の先を目で追った。


 リオが何を見ているのか、全部は分からなかった。それでも、朝とは少し違う顔で見上げていることは分かった。


「この依頼、選んでよかったな」


 言うと、彼は頷いた。


「うん。また、風のあるところで練習したい」


「次は、鳥がいないところで頼む」


 テッサが言った。


 俺たちは笑った。


 丘を渡る風が、畳みかけの布をもう一度揺らした。


 リオは慌てて押さえ、それから風車へ目を戻した。


 俺たちが仕事を終えたあとも、大きな羽根は回り続けていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。