第53話 三人の間合い
短槍を買った翌朝、最初に使ったのは、別の槍だった。
「買ったばかりの武器で俺を突くつもりか」
ベックが差し出したのは、先端に厚い布を巻いた練習用の槍だった。長さは俺の短槍に近い。ただ、握った時の重さは少し違った。
「まだ構えてもいませんけど」
「嬉しそうに持ってきたからな」
否定できない。
良級の短槍は、穂先を覆ったまま壁際の武器掛けへ置いた。昨日、宿で何度も確かめた黒い柄が、少し離れたところにある。
早く使いたかったが、まずはこっちで覚える。
テッサは修理を終えた盾を構えていた。縁の金具が締め直され、裏の持ち手には新しい革が巻かれている。
リオも新しく買った矢を持ってきた。ただし、今は矢筒へ収め、弓を下ろしたままだった。
「まず二人で前へ出ろ。リオは後ろから見ていろ」
ベックが布を巻いた棒を持ち上げる。
「最初は、届く距離を確かめるだけだ」
俺はテッサの右後ろへ立った。
盾の脇から穂先を出す。剣なら、ここからもう一歩進まなければ届かなかった。
ベックの棒が、盾へ向かって伸びた。
テッサが受け、少し傾ける。空いたところへ槍を出した瞬間、俺の右足も前へ出た。
棒の先が、膝の上へ軽く当たった。
「そこまで来なくていい」
止められて、足元を見る。
自分でも気づかないうちに、剣を使っていた時と同じ距離まで近づこうとしていた。
「届いてるだろう」
「……はい」
「武器を長くした分まで、自分で詰めるな」
俺は元の位置へ戻った。
買った時には、遠くへ届くことばかり考えていた。その距離に、自分の身体がまだ慣れていなかった。
◇
次は、足を大きく動かさずに突いた。
布を巻いた穂先が、ベックの構える棒の下へ入る。押し込みすぎずに引くと、今度は盾へ柄をぶつけず戻せた。
「もう一度」
同じ動きを繰り返す。
テッサが盾を動かす幅も、少しずつ分かってきた。前へ出す時だけでなく、戻す時にも、彼女の右腕の近くを通る。
「引く」
声をかけて槍を戻したところで、後ろからリオが言った。
「今、射てない」
俺は振り返った。
リオは弓を下ろしたまま、俺の肩の辺りを指していた。
「ノルが、ずっとそこにいるから」
「剣の時より、前には出てないぞ」
「うん。でも、僕から見ると重なってる」
ベックが棒を下ろした。
「場所を代われ。後ろから見てみろ」
リオの立っていたところへ移る。
テッサが盾を構え、ベックが俺のいた位置へ立った。
確かに、見えなかった。
盾の右側から相手を狙おうとすると、そこには槍を持つ人間の肩がある。さらに横へ動けば見えそうだが、狭い通路なら、その場所があるとも限らない。
「俺、邪魔だったのか」
「今の立ち方だとね」
リオが言った。
悪いことをしたつもりはなかった。それでも、後ろから見れば、俺が塞いでいる場所があった。
自分が届くようになっただけでは、三人とも戦いやすくなるわけではないらしい。
「じゃあ、突いたあと、ここまで戻ったら?」
俺は少し左へ寄り、テッサの後ろに重なる位置へ立った。
リオが首を傾け、前を見た。
「そこなら右が見える。でも、槍の先も下げてほしい」
「こう?」
「うん」
今度はテッサが後ろを見た。
「私が下がる場所は残してね」
三人で足元を見た。
思っていたより、決めることが多かった。
◇
位置を確かめ直し、もう一度ベックと向き合った。
今度のベックは、正面から棒を出すだけではなかった。盾へ触れたところで横へずれ、テッサの右側へ回ろうとする。
彼女は追いかけて大きく盾を振らなかった。
右足を少し引き、身体ごと向きを変える。棒を受けた盾の面が傾き、その先端を外へ流した。
俺は、彼女の肩が動き終えるのを待った。
「出す」
空いた場所へ槍を伸ばした。
ベックが半歩退く。俺は追わず、穂先を引き戻した。
「戻る」
テッサの右後ろから、盾に重なる位置へ移る。後ろ足を置く場所は、さっき確かめていた。
「通った」
リオの声がした。
矢は飛んでいない。それでも、ようやく三人目まで動きがつながったのが分かった。
ベックは止まらず、もう一度踏み込んできた。
テッサが盾を戻す。俺も槍を構え直そうとしたが、引いた柄の端が自分の腰へ当たった。
棒が、肩を軽く叩いた。
「今ので終わりじゃない」
俺は息を吐いた。
「一回うまくいったと思ったんですけど」
「一回はな」
ベックが口元を少し動かした。
「次もできるようにしろ」
それから何度も繰り返した。
突くのが早すぎれば、テッサの盾がまだ動いている。戻るのが遅ければ、リオが待つ。慌てて横へ飛び退けば、今度は盾の後ろへ戻れない。
途中から、テッサの肩と足を見るようになった。
盾の向きだけを追うより、その方が動き始めに気づきやすかった。リオも「見えた」ではなく、俺が戻れる場所を短く伝えるようになった。
何度目かに、ベックが棒を下ろした。
「そこまでだ」
俺たちは揃って構えを解いた。
腕より先に、脚へ疲れが来ていた。
テッサが手甲の帯を少し緩める。ベックはその左手を見た。
「さっきの受け流しは、手甲を拾ってから覚えたのか」
「その前からです。たぶん、少しずつ」
「なら、道具なしでも形は残るな」
彼は盾の縁を指した。
「受けたあと、相手がどっちへ動くかも見ていた。今のを崩さず続けろ」
テッサは頷いた。
手甲ではなく、自分の動きを言われたことが嬉しかったらしい。帯を締め直す手が、少しだけ軽くなっていた。
◇
リオの矢を試す時には、俺たちは射る場所の後ろへ回った。
藁束の的へ、新しい六本を順に射る。
矢は、全部が同じところへ集まったわけではなかった。四本は近い場所へ刺さったが、残りの二本は右へ離れていた。
リオは矢を抜く前に、その位置を紙へ書いた。
「新しいのに外れたね」
テッサが言うと、リオは頷いた。
「でも、外れた時の感じが、二本とも似てた」
戻ってきてから、弦を引く時の肘を少し動かす。
「急いで離したと思う。次は、そこを確かめる」
矢を揃えたら全部当たるようになるのではなく、何を直せばいいのか考えやすくなる。
昨日、店で話していたことが、少し分かった。
ベックが的の脇へ下げてある布を指した。
「当てた場所だけ見るな。射つ前に何が動いたかも覚えろ」
「魔物の脚を見るみたいに?」
「自分の身体にも脚はあるだろうが」
リオが小さく笑い、足の位置を直した。
俺は武器掛けから、自分の短槍を取った。
練習用とは、やはり重さが違う。
空いている藁束の前で構え、教わった幅だけ足を開く。ゆっくり穂先を運び、押し当て、戻した。
黒い柄が掌の中を動く。
さっきまで、三人で何度も確かめた位置を思い出した。
次はこの槍で、同じところへ戻れるようにする。
やることが分かっている練習は、思っていたより楽しかった。
◇
稽古を終えると、ミラに遠征の報告をした。
村で受け取った記録を渡し、三人で歩いた道を説明する。石鎧蟹のところでは、カイルたちと六人で戦ったことも伝えた。
ミラは紙を確かめ、途中で何度か質問した。
「岩甲亀の討伐は三人。湖畔には到達していますが、その先の探索はしていないんですね」
「はい。地図も、歩いたところまでです」
「分かりました。こちらの実績にも反映しておきます」
ミラが台帳へ書き込む間、俺は胸元の銅札に触れた。
登録した日と、同じ札だった。
あの時は、泥さらいの依頼票を鞄へ入れただけで嬉しかった。今は迷宮から帰ってきて、魔物と戦った話をしている。
「鉄札って、近づいてますか?」
聞くと、隣でテッサも顔を上げた。
ミラはすぐには答えず、これまでの記録と今回の紙を見比べた。
「近づいています。以前より、任せられる仕事の範囲が広がっていますから」
俺は銅札から手を離した。
「ただ、討伐した数だけで決まるものではありません。遠征中の判断や、依頼を継続して任せられるかも確認します」
「じゃあ、今まで通り仕事をすればいい?」
「その上で、次の段階で何を求められるかも知っておくといいですね。ベックさんの所見も聞いておきます」
テッサが訓練場の方を見た。
「今日、ノルは三回くらい叩かれてたけど」
「お前も足の置き方、直されてただろ」
「それは数えてない」
ミラが笑った。
「教わったことを直せるかも、大切ですよ」
俺は頷いた。
銅札が今日、別の色になるわけではなかった。
それでも、同じ場所で足踏みしているわけではないと聞けたのは、嬉しかった。
◇
受付を離れようとした時、ミラに呼び止められた。
「次の仕事は、もう決めていますか?」
「まだです。何日かは練習したくて」
「でしたら、日程は合うかもしれません」
差し出された依頼票には、知らない地名があった。
《ベルナ行き交易隊・護衛補助》
出発は四日後。
荷馬車の見張りと、停車時の周囲の確認。必要に応じて荷の扱いも手伝う。護衛の指揮は、別に雇われる経験者が執ると書かれていた。
「ベルナって、どこですか」
「東の街道を進んだ先です。丘に風車が並んでいる町ですよ」
風車。
俺は依頼票から顔を上げた。
リオも地名を見ていた。テッサは、その下の食事と宿泊についての欄を読んでいる。
「途中で泊まるんだね」
「はい。天候によって行程が変わる場合もあります。応募するなら、隊長との顔合わせで確認してください」
「荷車には乗れる?」
「基本的には歩く仕事です」
テッサが俺を見た。
「車があるのに」
「荷物を載せるための車だからな」
彼女は少し残念そうに、続きを読んだ。
ミラは、現地にもギルドの窓口があると教えてくれた。到着後に滞在して仕事を探すことも、帰りの便に合わせて戻ることもできるという。
俺は二人へ依頼票を向けた。
「どう思う?」
「隊長の話を聞いてから決めたい」
リオが言った。
「どんな道を通るのか、知りたいし」
「私も。あと、泊まる場所」
テッサが頷く。
俺も聞きたいことがあった。
荷馬車の列が止まった時、俺たち三人はどこを受け持つのか。街道で魔物が出たら、誰の指示で動くのか。
登録した日に依頼票を読んだ時には、考えもしなかったことだった。
「顔合わせに参加したいです」
ミラへ伝えると、彼女は日時を控えてくれた。
受けると決めたわけではない。
それでも、知らなかった町の名前が、明後日の予定につながった。
ギルドを出ると、テッサが盾を背負い直した。
「明日も練習?」
「ああ。今日より、リオの前を空ける」
「僕も、見える位置を探すよ」
「じゃあ私も、二人が使える隙間を残す」
三人で歩き出した。
短槍は剣より遠くへ届く。
だが、朝から覚えたのは、届かせ方だけではなかった。
突いたあとには、仲間のために場所を空ける。
その先へ飛ぶ矢まで含めて、ようやく三人の間合いになる。




