第5話 良級の短槍
《鉄輪》の扉を開けると、昨日と同じ金属と油の匂いがした。
壁には剣や斧が並び、奥には槍が立てかけられている。昨日は値札を見るだけで精いっぱいだったが、今日は形の違いにも目が向いた。
ダンは、最初は斧を使っていたと言っていた。
あの青い剣を選ぶまでに、何本の武器を握ったのだろう。俺はまだ、短剣を一本買っただけだった。
「壊したか?」
作業台の向こうから、ドランが腰の短剣へ目をやった。
「まだ一日ですよ」
「一日で壊す奴もいる」
「今日は泥さらいです。短剣は何もしてません」
「なら、何の用だ」
「他の武器も持ってみたくて」
ドランは磨いていた刃を置き、俺の顔を見た。
第三水路で剣と銅札を見つけたこと、持ち主が助かったことを話す。ダンの名前を出すと、ドランは顎を撫でた。
「あいつか。前にも武器を直してやった」
「知ってるんですか?」
「武器を使えば、どこか傷むからな。あの青いのだって同じだ」
希少級でも、この店へ持ち込むことがあるらしい。俺は壁の武器と、作業台の工具を見比べた。
「ダンさんに、他の武器も試してみろって言われました」
「で、何を試す」
「まだ、何がいいのかも分からなくて」
「なら、まず違いを覚えろ」
ドランは立ち上がり、店の奥へ俺を呼んだ。
◇
試し持ちをする場所は、棚から離れた土間だった。
「この線から先へ出すな。俺が言うまで振るなよ」
床の目印を示され、最初に渡されたのは刃を潰した練習用の剣だった。
握ったときには、それほど重いと思わなかった。ところが、ゆっくり振って止めようとすると、腕が先へ持っていかれる。
「止めるところまでだ。振れただけで満足するな」
もう一度試す。今度は止めるつもりで力を入れすぎ、肩まで固くなった。
「難しいですね」
「初めて持って簡単だったら、稽古場が潰れる」
次に渡された斧は、薪割り用より小さかった。それでも先端へ重さが集まっているため、剣とは違う力のかかり方をする。
ゆっくり下ろして引き戻すだけで、握りを直したくなった。
「薪割りみたいに、下へ振ればいいわけじゃないんですね」
「薪は逃げんからな。外した後、どこへ刃を戻すかも考えろ」
試しに戻す位置を変えてみると、柄が自分の膝へ当たりそうになった。俺は黙って構え直した。
弓は握り方だけ教わった。店では射てないし、矢をつがえず引いた弦を勢いよく放してもいけないという。
武器はどれも、手に取っただけでは分からないことが多い。
最後にドランが持ってきたのは、練習用の長い槍だった。
「穂先をあの藁束へ向けろ。まず足は動かすな」
両手の位置を直してもらい、ゆっくり押し出す。
剣と違い、先端をどこへ運ぶのかは分かりやすかった。藁束へ届かせ、引き戻す。それだけなら、腕を大きく振る必要もない。
「……これは、少し分かる気がします」
「じゃあ、構えたまま向きを変えてみろ」
言われた通りにすると、後ろへ伸びた柄が思ったより大きく動いた。床の線を越えそうになり、慌てて止める。
ドランが鼻を鳴らした。
「前だけ見てると、後ろをぶつけるぞ」
届く範囲が広ければ、それだけ場所も使う。水路の細い通路を思い出すと、振り向くにも気を遣いそうだった。
槍を返すとき、奥の壁に、少し短い一本が見えた。
黒っぽい柄に細身の穂先。飾りはなく、他の武器に挟まれていたら見落としてしまいそうな槍だった。
「あれも持ってみていいですか?」
「あれは刃が付いてる。振るなよ」
ドランは土間の周囲を確かめてから、短槍を渡してくれた。
長さは俺の背より少しあるくらいだった。両手で支えると、さっきの槍ほど先へ引っ張られない。握る場所を直し、穂先をゆっくり持ち上げた。
後ろの端も確かめる。長槍では気になった柄が、こちらなら身体の近くに収まっていた。
「これなら、向きを変えやすそうですね」
「短くした分、届く距離は減るがな」
短剣よりは遠くへ届く。長槍ほど後ろへ柄が余らない。
まだ戦える気はしなかったが、練習するならこれを使ってみたいと思った。
柄には細かな擦れがあった。ただ、手のひらに引っかかるような傷はない。
「これも中古ですか?」
「ああ。長い槍に替えた客が置いていった」
「いくらです?」
「銀貨三枚と銅貨四枚」
俺はゆっくり短槍を返した。
「急に重くなりました」
「値段を聞くまでは持ててたろ」
ドランは受け取った槍を壁へ戻した。
青い剣の銀貨十八枚よりは、ずっと安い。それでも、今の俺には足りなかった。宿代と飯代を残すことまで考えると、手元の金を全部並べても仕方がない。
「他の槍より高いのは、どうしてですか?」
「良級だからな。穂先の材も、仕上げも違う。柄は硬くて粘りのある木を選んである」
ミラが説明していた、凡級の一つ上だ。
「さっき持ちやすかったのも、それですか?」
「長さと重さの釣り合いもある。上等な材料を使えば、誰にでも合うわけじゃねえ」
ドランは柄を指でなぞった。
「中古だが、曲がりも緩みも直してある。使って傷めば、また手を入れる。それで長く使うもんだ」
俺は腰の短剣へ目を落とした。
「こいつも、手入れすれば長く使えますか?」
「妙な使い方をしなけりゃな。槍を持ったって、紐を切るのに穂先は使わんだろ」
新しい武器を買えば、今の武器が要らなくなるわけでもないらしい。
「短槍、もう少し安くなりませんか?」
「ならん」
「昨日も買ってますけど」
「昨日の短剣は七枚で買えるように直した。そいつはその値段だ」
理由まで付いて、交渉の余地が消えた。
俺が短槍を見ていると、ドランが先に言った。
「口約束じゃ取っとけんぞ。前金が要る」
「まだ、何も言ってません」
「顔に書いてある」
どうやら、金が足りないことまで書いてあったらしい。
◇
店を出ると、通りには夕食の買い物へ向かう人が増えていた。
短槍は買わなかった。腰にあるのは、昨日と同じ中古短剣だけだ。それなのに、店へ入る前より知っていることが増えていた。
剣は振った後に止めなければならない。斧は重さのかかり方が違う。槍は前だけでなく、後ろにも場所が要る。
次に持つときには、今日より少しうまく動かせるだろうか。
黒い柄の感触を思い出しながら、鞄の中の硬貨を指で確かめた。
銀貨三枚と銅貨四枚。
街の外を見たいと思って冒険者になったが、そこへ行くまでに何を揃えればいいのかは、まだぼんやりしていた。今は、欲しい道具の形と値段が分かる。
あの短槍を買って、使い方を覚えたい。
明日売れるかもしれないと言われれば、気にはなる。それでも、飯代まで使って槍だけ抱えていても仕方がなかった。
俺はギルドの掲示板を思い返した。
報酬が高い仕事は、討伐ばかりではなかったはずだ。大きな荷物を運ぶ依頼も、人数が足りず残っている仕事もあった。
一人では難しくても、誰かとなら受けられるものがあるかもしれない。
明日は、条件までよく読んでみよう。
宿へ向かいながら、俺はさっき教わった槍の握り幅を、何も持っていない両手で確かめた。通りの人に見られていることに気づき、慌てて手を下ろす。
買う前から練習したくなるくらいには、気に入ってしまったらしい。




