第4話 希少級の値段
治療室の扉が開いたとき、俺はまだギルドの長椅子に座っていた。
「命に別状はない。しばらく歩けんが、傷は処置できた」
職員の言葉を聞いて、ようやく肩の力が抜けた。泥さらいで疲れていたはずなのに、座っている間は腕の重さも忘れていた。
ミラがこちらへ戻ってくる。
「聞こえましたか?」
「はい。よかったです」
「見つけた場所をきちんと伝えてもらえたので、助かりました」
俺は頷き、膝の上の鞄を持ち上げた。これで宿へ帰れる。そう思って立ったところで、受付の奥に青いものが見えた。
水路で見つけた剣が、布の上に置かれていた。
泥を落とした刀身には、窓から入る光が細く映っている。鍔には小さな傷があるものの、刃はほとんど欠けていなかった。
「それ、調べ終わったんですか?」
「ええ。希少級の剣だそうです」
「希少級?」
「装備の区分です。一般的な凡級、その上の良級に比べて、特殊な素材や加工が使われているものですね。この剣には、水を弾く付与があると鑑定担当から聞きました」
濡れても握りやすく、刀身も錆びにくいらしい。ただし、手入れが不要になるわけではないという。
水路で使うには、いかにも便利そうだった。
「いくらくらいするんですか?」
「同じものを店で探すなら、銀貨十八枚ほどは見ておくそうです。状態や付与の具合でも変わりますが」
「十八枚」
俺は思わず鞄の口を押さえた。
四年間、服や靴を買いながら残した金が、銀貨一枚と銅貨二十三枚。そのうち銅貨十二枚は昨日の登録料と短剣代で消え、さらに宿代も払っている。
十八枚なら、財布の中で硬貨をどう並べ直しても届かない。
「俺、もう少し丁寧に泥を退ければよかったです」
「値段を聞く前から丁寧にお願いします」
もっともだった。
改めて見ると、剣の置かれた布まで上等に思えてくる。今日の俺は、スコップの先で銀貨十八枚を傷つけかけていたのかもしれない。
それでも、目を離しにくい理由は値段だけではなかった。
「格好いいですね」
「そうですね」
「そこは、あっさり同意するんですね」
「実物を見ると、欲しくなる気持ちは分かりますから」
ミラが小さく笑ったところへ、治療室から職員が顔を出した。
「拾得物を見つけた新人は、まだいるか?」
手を上げると、職員は俺へ向き直った。
「ダンが礼を言いたいそうだ。長くは話せんが、顔を見せてくれるか」
◇
治療室では、ダンが寝台に横になっていた。片脚には厚く包帯が巻かれ、下に畳んだ布が置かれている。顔色はまだ悪かったが、俺を見ると手を少し上げた。
「ノルです」
「ダンだ。世話になったな」
「見つけたのは、剣と札だけです」
「そいつで俺まで見つかったんだろ。十分だ」
ダンは枕元へ目をやった。泥を落とした鉄札が置かれている。切れた紐は、新しいものに替えられていた。
俺の首にある札も、これと同じだ。
「水路で、何があったんですか?」
「点検通路に入り込んだ魔物の駆除だ。犬くらいの大きさの、鱗のあるやつでな。報告じゃ一匹だった」
「一匹じゃなかったんですか?」
「一匹だったよ。そこは間違ってなかった」
ダンは苦く笑い、身体を動かしかけて眉を寄せた。
「斬ったら逃げた。倒せると思って追ったんだ。通路が欠けてるのは見えてたが、あれくらいなら跨げると思った」
片脚へ視線が落ちる。
「踏み込んだ縁が崩れた。落ちる途中で脚を石に引っかけて、このざまだ」
水際へ落ちた拍子に剣を手放し、首の紐も切れたらしい。剣と札は、昨日までは水が流れていた下流の作業区画へ運ばれた。
「魔物は?」
「水の中で動くのが見えた。近くに落ちてた枝を振り回して、どうにか通路へ這い上がった。戻ってこなかったのは運がよかった」
通路へ上がっても、脚に力が入らなかった。声を出したが、水音に紛れて届かない。壁へ背を預けたまま、捜索の人間が来るのを待っていたという。
俺は水路で、スコップを持ち上げるだけでも足元が沈んだことを思い出した。あそこで脚が動かなくなったら、石段まで戻ることさえ難しい。
「あの剣でも、駄目だったんですね」
「剣はよく働いたぞ」
ダンはすぐに答えた。
「鱗を斬れたし、濡れた手でも握れた。しくじったのは、その後だ。あと一度当てれば終わると思って、足を置く場所を雑に選んだ」
俺は黙って頷いた。
刃が通じることと、そこまで安全に踏み込めることは、別だったらしい。
「あれ、欲しくなったか?」
不意に聞かれ、顔を上げた。
「……少し。使ってみたいとは思いました」
「少しか?」
「かなり」
ダンが笑った。今度は傷に響かないよう、息だけで笑っていた。
「俺も店で見たとき、そう思った。何度も見に行って、金を貯めて買ったんだ」
「使うの、難しいですか?」
「最初は振った後に身体が流れた。前の剣と重さが違ってな。買ったその日から使えるつもりでいたから、練習場で恥をかいた」
銀貨十八枚を持つ人間でも、そんなことがあるのか。
俺が腰へ目をやると、ダンもつられて短剣を見た。
「そいつは?」
「昨日買いました。まだ、何も切ってません」
「なら、これからだな。剣に決めてるのか?」
「他は、考えてませんでした」
「試してみろよ。俺も最初は斧だった」
意外だった。あの青い剣が、初めからこの人の腰にあったような気がしていた。
「槍も、弓も?」
「ああ。ただ、店先で振り回すなよ。俺は昔、それで追い出された」
想像すると少し笑ってしまった。ダンも口元を緩めたが、その後に長く息を吐いた。
顔の疲れが見え、俺は椅子から立った。
「休んでください。ありがとうございました」
「礼を言うのは、こっちだ」
ダンは枕元の鉄札に指を置いた。
「次に店であの剣を見かけても、俺が売ったと思うなよ。まだ手放す気はねえからな」
「買えないので大丈夫です」
「そりゃよかった」
俺は笑って、静かに扉を閉めた。
◇
ギルドを出ると、水路から吹いてきた風が頬に当たった。
あの青い剣は、やはり欲しいと思う。いつか稼げるようになったら、ああいう武器を選んでみたい。
ただ、今の俺は、何を選べるのかも知らなかった。
剣は買っても、まだ振っていない。槍は店で眺めただけで、弓に至っては持ったこともない。それなのに、自分の武器は剣だと決めかけていた。
腰の短剣の位置を直す。こいつを買ったことに後悔はない。道具としても役立つとドランは言っていたし、まず扱いを覚える必要がある。
そのうえで、他の武器も知りたくなった。
財布を開き、今日の銅貨三枚を確かめてから閉じた。買う金がなくても、値段と重さくらいは聞けるだろう。
俺は宿への角を曲がらず、《鉄輪》のある通りへ進んだ。
今度は剣の棚だけを見て帰らずに済みそうだった。




