第3話 第三水路の落とし物
初仕事へ向かう途中、俺は何度も腰の短剣に触れていた。
昨日までなかった重みが、歩くたびに伝わってくる。ドランに言われた通り、出発前に柄を確かめた。緩みはない。まだ何も切っていないのだから当然だが、確かめると少し落ち着いた。
もっとも、今日の仕事は泥さらいだ。短剣より、食堂で排水溝を掃除していた経験の方が役に立つかもしれない。
第三水路の作業入口には、すでに三人の男が集まっていた。俺が依頼票を差し出すと、革の前掛けを着けた男が印を確認した。
「ノルだな。こっちだ」
石段を下りた先では、水路の片側が板で仕切られていた。水は反対側を流れ、作業する側には浅い水と泥が残っている。
貸し出された長靴に履き替え、長柄のスコップを受け取る。男は壁際に並んだ籠を指した。
「泥はあれに入れろ。満杯にすると運べなくなるから半分までだ。奥の仕切りは越えるなよ」
「分かりました」
「水が増えたら、道具は置いて石段へ戻れ。上から声もかける」
戻る場所を確かめてから、水路へ下りた。長靴の底が泥に沈み、足を抜くだけでも思ったより力が要る。
仕事は、底に溜まった泥とゴミを掻き出すことだった。
それだけのはずなのに、一時間もしないうちに腕が重くなった。欲張ってすくうと持ち上がらず、量を減らせば何度も往復することになる。腰の短剣も、屈むたびに鞘が腿へ当たった。
「冒険者の武器って、スコップでしたっけ」
思わず漏らすと、隣の男が笑った。
「今日はな。そっちの短いので泥を掘るより、ずっと稼げるぞ」
まったく、その通りだった。
少しずつ泥を除けていくと、石の底が見えてきた。詰まっていた水が細い筋になって流れ始める。食堂の排水溝と同じで、通った瞬間は気持ちがいい。
「その調子だ。次は橋の下までやるぞ」
俺たちは籠を運び出してから、少し奥へ進んだ。橋桁の陰では壁が黒く湿り、流れてきた枝や布切れが端に引っかかっている。
その一つをスコップで動かしたとき、泥の間に金属が見えた。
石とは違う、青みを帯びた細い光だった。目を凝らすと、その先に柄らしいものが突き出している。
「あの、何かあります」
手を伸ばしかけて、昨日のミラの注意を思い出した。責任者を呼ぶと、男は俺の肩越しに覗き込んだ。
「刃物か。手を切るなよ。周りの泥を少し退けてくれ」
指示されたところを掻き出し、男が布越しに柄を掴んだ。泥から抜けたのは、鞘のない一本の剣だった。
刀身が思ったより長い。表面を泥が滑り落ちると、その下から淡い青色が現れた。
「剣なんて流れてくるんですね」
「たまに道具はあるが、これは……」
男の言葉が途切れた。鍔の隙間に、赤黒い汚れがこびりついている。
「錆ですか?」
「血かもしれん。いったん置くぞ」
男は石の縁へ布を敷き、その上に剣を載せた。俺も手を止め、周囲を見渡した。
剣が埋まっていた場所の少し先に、細い紐が引っかかっている。切れた紐の先には、小さな鉄製の札があった。
「そっちにも、何か」
男が拾い上げ、水で泥を落とした。
俺が首に掛けているものと、同じ形だった。表には番号と名前が刻まれている。
四一七二。ダン。
自分の胸元へ手をやると、服の下で鉄札が指に当たった。
「作業を止めろ。ここから先は触るな」
責任者の声に、他の二人も振り向いた。
「ギルドへ知らせてくる。お前らは入口で待ってろ」
さっきまでの軽い調子は消えていた。俺たちはスコップを置き、来た道を戻った。
◇
知らせを受けて来たギルド職員に、俺は金属が見えた場所と、その前に動かした枝のことを説明した。
職員は水の流れる向きを確かめ、別の一人を上流へ向かわせた。それから鉄札を確認し、手元の紙に番号を書き取った。
「ダンさんをご存じなんですか?」
「登録を調べます。最後に受けた依頼が分かれば、捜す場所も絞れますから」
職員が剣を包むために持ち上げた。
泥が落ちた刀身は、薄暗い橋の下でも目を引いた。昨日、武器屋で見た品とも違う。刃の色だけでなく、鍔や柄まで丁寧に作られているのが、素人の俺にも分かった。
「あの、それも持ち主に返すんですよね」
「確認が取れれば。何か気になることが?」
「いえ。ずいぶんいい剣だと思って」
職員は刃に目を落とした。
「詳しく調べなければ分かりませんが、ただの鉄の剣ではなさそうです」
その言葉に、俺はもう一度見てしまった。
もし自分の手にあったら、どんな重さなのだろう。何が斬れるのだろう。持ち主のことが心配なはずなのに、使ってみたいという気持ちも確かにあった。
昨日、訓練場で転ばされていた新人の姿を思い出す。俺なら、もっと簡単に足を取られるだろう。上等な剣を手にしても、それは変わらない。
それでも、いつか扱えるようにはなりたかった。
布が巻かれ、青い刃が見えなくなる。職員は責任者へ向き直った。
「上流の点検通路を確認します。この区画の作業は中止してください」
初めての仕事は、昼になる前に終わった。
◇
ギルドへ戻ると、ミラはすでに報告を受けていた。
「依頼主の判断による中止ですので、報酬は全額出ます」
差し出された銅貨は三枚だった。
受け取った手には、スコップの柄を握っていた感覚が残っている。爪の間の泥も、洗ったつもりなのに少し残っていた。
自分で仕事を選び、働いて稼いだ金だ。昨日払った武器代には足りなくても、この三枚には妙な嬉しさがあった。
「水路の人は、見つかりそうですか?」
「今、捜索しています。結果が分かったら――」
ミラの言葉を遮って、入口から声が響いた。
「道を開けてくれ!」
二人の男が担架を運び込んできた。俺は椅子を引き、通り道から下がった。
担架の上の男は、片脚に厚く布を巻かれていた。その布にまで血が滲んでいる。顔色は悪かったが、運び手の呼びかけに、わずかに口を動かした。
「ダン、着いたぞ。もう少しだ」
俺は振り返った。
ミラが奥の扉を開け、人を呼ぶ。担架は慌ただしく運び込まれ、ついて来た職員が受付へ残った。
「上流の点検通路にいた。水際から上がったところで、動けなくなってたらしい」
俺の視線に気づいたミラが、小さく頷いた。
「見つかりました。あなたたちが知らせてくれた場所から、上流を捜せたんです」
握っていた銅貨を落としそうになり、慌てて持ち直した。
「生きてるんですね」
「はい。今は治療を優先します」
俺は治療室の扉を見た。あの銅札が、持ち主に返る。そのことに、まず安堵した。
けれど、さっき目にした怪我が頭から離れなかった。
青い剣を見つけたとき、俺は自分の短剣より頼りになる武器だと思った。その剣を使っていた男が、自分では歩けずに運ばれてきた。
銅貨三枚を袋へ戻し、腰の鞘に触れる。
あの剣を持っていたダンに、水路で何があったのだろう。




