第46話 初めて動いた小石
村へ戻るまで、テッサは三回、鞄の口が閉まっているか確かめた。
一回目は俺も気になっていた。二回目はリオに笑われ、三回目には、確かめるために開ける方が危ないと言われた。
「落としてから気づくよりいいでしょ」
「開けたときに落としたら、どうするんだ」
「ノルが拾う」
「俺が後ろにいる前提か」
そう言いながら、俺も鞄へ手を添えた。
布に包んだ革筒が、確かに入っている。何が書かれているのかは、まだ分からない。それでも、泥スライムの魔石とは違う期待があった。
村の買取所へ着くと、俺たちは魔石より先に革筒を台へ置いた。
店番の男は、三人の顔を順番に見た。
「ずいぶん大事そうに出すな」
「宝箱に入ってました」
テッサが答えると、男は作業中だった秤を脇へ寄せた。
革筒を光へ向け、封に書かれた文字を読む。さらに棚から薄い本を出し、何枚かめくって見比べた。
「習得用のスクロールだな。土の初歩術式。《石弾》」
俺は、台の上へ置いていた手を引っ込めた。
「魔法を覚えるやつ、ですか」
「ああ。状態も見たい。開けていいか? 封を切るだけで使われる品じゃない」
二人を見ると、どちらも頷いた。
男は細い刃で封を切り、中の巻物を取り出した。
薄茶色の紙に、黒い線が幾重にも描かれていた。文字の並びとも、絵とも違う。ところどころに埋め込まれた細かな粒が、光を受けて鈍く輝く。
男は端から順に調べ、破れや変色がないことを確かめた。
「使えると思う。ただ、土の適性がないなら、無理に試すな」
「微弱でも?」
思わず聞いていた。
「まったくないのとは違う。だが、覚えられることと、十分な威力で使えることは別だぞ」
十二歳のときの検査を思い出した。
火と土が微弱。水と風は適性なし。術式を扱う適性も低い。
暮らす分には困らないと慰められ、その通りに、皿は手で洗い、薪は斧で割ってきた。
俺は巻物へ目を戻した。
「これ、石を作るんですか」
「この術式は、ある石を飛ばす。最初は爪ほどの小石からだな。大きく、遠く、速く飛ばそうとすれば、それだけ扱いも難しくなる」
「岩潜りの背中を抜いたりは?」
テッサが聞く。
「初めて剣を持った日に、岩を斬れるか?」
「無理だね」
「魔法も同じだ」
分かりやすい説明だった。
それでも俺は、巻物から目を離せなかった。
◇
値段を聞いてから、三人で店の外へ出た。
売れば、しばらくの宿代や食費を気にせずに済む額だった。銅貨十二枚を数え直していたときとは、話が違う。
「使ったら、売れなくなるんだよな」
俺が言うと、リオが頷いた。
習得のために魔力を通すと、紙に込められた術式が働き、やがて文字が消えるらしい。途中でうまく扱えなくなっても、元には戻せない。
俺たち三人で見つけた品だ。
俺一人が試したいからといって、決めていいことではなかった。
「売って分けるなら、それでも――」
「ノルは使いたいんでしょ?」
テッサに聞かれ、言葉が止まった。
金の話なら、いくらでもできる。明日の飯代も、武器の手入れも必要だ。
けれど、聞かれているのは別のことだった。
「……使ってみたい」
口にしてから、少し息を吐いた。
「魔法、ずっと使えないと思ってたから」
リオが俺の腰の剣を見た。
「離れたところへ手が届くなら、できることは増えるよ。僕が弓を使えない場所もあるし」
「小石しか飛ばなかったら?」
「まず、どのくらい飛ぶか見たい」
テッサも頷いた。
「私は盾で塞いでると、向こう側に手が出せないことがある。ノルにできることが増えるなら、私も助かる」
「でも、二人の取り分が」
「次に私が使いたい物が出たら、そのとき相談に乗って」
テッサは少し考え、付け加えた。
「すごく高かったら、また三人で悩もう」
それなら、俺にも約束できた。
俺たちは店へ戻った。
男は売却の相談だと思ったらしく、台の下から帳面を出しかけた。俺が首を振ると、手を止める。
「使いたいです。教えてもらえますか」
自分の声が、思っていたよりはっきり聞こえた。
◇
店の裏には、荷物を置くための土の空き地があった。
男に使い方を教わり、人のいない土壁へ向いて座る。膝の上には、広げたスクロール。目の前には、拾った小石が三つ並んでいた。
「全部いっぺんに通そうとするな。始点から、順にだ。気分が悪くなったら離せよ」
指で示された模様へ手を置く。
何も起きなかった。
テッサがしゃがみ込み、紙と俺の顔を見比べる。
「始まってる?」
「俺にも分からない」
「じゃあ、静かにしてる」
そう言って口を閉じた。隣でリオも腰を下ろした。
俺はもう一度、教わった順番を思い出した。
力を込めるのではなく、流す。そう説明されたが、筋肉ならともかく、魔力を動かす感覚など知らない。
掌の下で、紙がわずかに温かくなった。
指の付け根から手首へ、細い筋をなぞられるような感触が走る。驚いて手を上げかけたが、模様の一部が淡く光っているのを見て、そのまま待った。
光はゆっくり進み、途中で止まった。
「息、止めてる」
リオの声で気づいた。
息を吐くと、固まっていた肩が下がった。紙の上の光が、また少し動く。
何度も止まり、そのたびに呼吸を整えた。
最後の線まで光が届いたとき、指先の感触だけが残った。紙を見ると、さっきまであった黒い模様が、薄く掠れていた。
男が巻物を確かめる。
「今日は、その流し方を忘れないうちに、一度試してみろ。欲張るなよ」
俺は一番小さな石へ手をかざした。
さっきの感触を、指先へ通すつもりで意識する。
小石は動かなかった。
もう一度。
今度は、横へ転がった。
「動いた!」
テッサが言った。
「いや、触ったかもしれない」
「触ってなかったよ」
リオが横から答えた。
俺は手を少し高くした。これなら、指が当たることはない。
小石を見て、土壁を見る。飛ばす向きを決め、覚えたばかりの感覚を辿った。
小石が跳ねた。
俺の膝より低いところを進み、一歩先の土へ落ちる。壁にはまるで届かなかった。
それだけだった。
投げた方が遠くへ飛ぶ。泥スライムを倒すにも足りない。頭の奥が少し重くなり、何度も続けられそうにはなかった。
俺は落ちた小石を見ていた。
「……飛んだ」
「うん」
テッサの返事が、すぐ隣から聞こえた。
「ノルが飛ばしたね」
もう一度やろうと手を伸ばしかけ、膝へ戻した。
今の一度を、急いで次の一度に変えたくなかった。
十二歳の俺に教えてやりたいと思った。検査の帰り、何もできないと決めつけていた自分に。
すごい魔法ではない。
それでも、今日、俺の手から小石が飛んだ。
横を見ると、テッサが笑っていた。リオも、落ちた石の位置を確かめながら、嬉しそうに頷いている。
一人で試していたら、こんなに嬉しかっただろうか。
「ありがとう」
二人に向けて言うと、テッサは俺の前から残りの石を拾った。
「続きは休んでから。顔、ちょっと疲れてる」
「分かるか」
「盾を持ちすぎたときの私も、たぶんそんな顔」
リオが水袋を渡してくれた。
俺は受け取り、少しずつ飲んだ。向こうの壁まで、まだ何歩もある。
届くようになったら、的を置こう。動かない的に当たるようになったら、その先を考えよう。
やりたいことが、次々に浮かんだ。
◇
宿へ戻る道で、俺はガルドに話す順番を考えていた。
迷宮の中に滝があったこと。三人で宝箱を見つけたこと。その中の巻物で、小石を飛ばせたこと。
魔法を使えたと言えば、驚くだろうか。
たぶん、どれくらい飛んだと聞かれる。正直に答えれば、それなら手で投げろと言われそうだった。
想像して笑うと、テッサが顔を向けた。
「何?」
「帰ったら、話したいことが増えたと思って」
「小石の話?」
「滝も。宝箱も」
「泥スライムを倒したところも入れてよ」
リオが言う。
「そこを抜いたら、拾って帰っただけみたいになる」
「分かった。二人の分も話す」
食堂で聞いていた旅の話には、いつも知らない場所と、知らない誰かが出てきた。
今度は俺が話せる。
景色だけではない。そのとき隣に誰がいて、何を言って笑ったのかも、ちゃんと覚えていた。




