第42話 三人で選ぶ道
雫石についた水気を拭うと、昼間より青色が濃く見えた。
村の買い取り所で、俺たちは小さな皿を囲んでいた。店の女は石を窓へかざし、端の欠けたところを爪で確かめる。
「この大きさなら銅貨二枚だね。磨いて飾りにするか、砕いて顔料に混ぜる」
「光る道具になるわけじゃないんだ」
テッサが少し意外そうに言った。
「光を返してきれいに見える石と、自分で明るくできる道具は別物さ」
俺はテッサの肩についた灯りを見た。どちらも青白く見えたから、同じようなものだと思っていた。
店の女が石を皿へ戻す。
「売るかい?」
三人で顔を見合わせた。
「最初の一個だし、残しておかない?」
リオが言った。
「売ったら三人で二枚か」
テッサは石をつつき、俺へ皿を寄せた。
「じゃあ、持っといて。次はもう少し大きいのを拾おう」
「荷物が増えるぞ」
「銅貨も増えるかもしれない」
その可能性には、俺も期待したかった。
石を布に包んで鞄へ入れる。今までの荷物は、使う予定があって買ったものばかりだった。使い道を決めずに持ち帰るものが一つあっても、いい気がした。
◇
翌朝、俺たちは昨日より早く迷宮へ入った。
入口の冷たい空気も、壁の淡い光も、もう初めてではない。テッサが灯りの向きを直し、リオが弓を壁へぶつけないよう持ち替える。俺は足元を見ながら、その間を歩いた。
雫の広間へ着くと、昨日は横切らなかった奥の通路を照らした。
入口近くに動く影はない。水溜まりの縁を回り、三人で先へ進むと、ほどなく道が二つに分かれた。
右は石段のような段差を上っている。左は緩く下り、その奥から水の流れる音がした。
俺は写してきた地図を広げた。どちらも先の広間へ通じているが、右には『狭所』、左には『増水時注意』と添えられている。
「盾は、右だと引っかかりそう」
テッサが通路の幅を見た。
「左は水があるね。でも、今のところ靴が沈むほどじゃない」
リオがしゃがみ、石の縁を指した。薄く濡れているのは通路の片側だけで、中央には乾いた場所が残っていた。
俺は左の道を少し照らした。何となく右へ行くつもりだったが、理由を聞かれると、乾いて見えるからとしか言えなかった。
「左を見よう。歩けるところがなくなったら戻る」
「賛成」
テッサが先へ進み、リオが立ち上がった。
どちらへ行くか、自分たちで決めた。それだけのことが、妙に嬉しかった。
少し下ると、通路の中央を細い流れが横切っていた。水は右の壁の穴から出て、左の低い割れ目へ消えている。飛び越えられそうな幅だが、向こう側の石は濡れていた。
俺が踏めそうな場所を探していると、リオが肩へ手を置いた。
「待って。向こうの壁」
灯りを向ける。
壁についていた石の一つが、ゆっくり動いた。
石殻甲虫だった。昨日のものより少し小さい。だが、見つかったのは一匹ではなかった。
右の穴の脇にもう一匹いる。
「二匹。先に渡るのはやめよう」
俺が言うと、テッサは盾を正面へ回した。
向こう岸の一匹が触角を振り、石を下り始める。水の中へ脚を入れ、そのままこちらへ向かってきた。流れに押される様子はない。
「水、平気なんだ」
「俺たちより歩きやすそうだな」
こっちが避けたい場所を、相手も避けるとは限らないらしい。
テッサが盾を低くした。俺はその右に立ちかけ、リオが弓を上げたのを見て、半歩だけ後ろへ戻る。
甲虫がこちらの岸へ前脚をかけた。
「引っくり返せる?」
聞くと、テッサは相手の脚を見た。
「少しなら」
盾の下端を前へ出し、石を掴もうとする甲虫の身体を押し上げた。殻を叩くのではなく、持ち上がった腹を横へ傾ける。
俺は足を水際まで運び、露出した脚の付け根へ剣を突いた。
甲虫が暴れた。剣を引き抜いて下がると、もう一匹が流れを越えかけている。
「そっち、通すな!」
叫んだ直後に、自分でも乱暴な言い方だと思った。テッサは一匹目を押さえていて、盾を動かせない。
「任せて」
リオの矢が、二匹目の前脚の間へ刺さった。
甲虫が水際で止まり、身体をひねる。俺はテッサから離れすぎないよう横へ動いた。前へ出る前に声をかける。
「右、入る!」
リオが弓を下げた。
甲虫はまだ動いていた。剣を殻へ振り下ろしたくなるのを堪え、こちらへ向き直った頭の下を狙う。切っ先が入り、柄へ伝わる抵抗を両手で支えた。
動かなくなるまで、思ったより長く感じた。
振り返ると、テッサの前の一匹も脚を止めていた。
「通すなって言われても、私、盾一枚だからね」
「悪い。今のは言ってから気づいた」
「二枚持ったら、ノルが運んでよ」
それは勘弁してほしい。
リオが二匹を確かめてから、刺さった矢を抜いた。軸を指でなぞり、曲がっていないことを確かめる。
「でも、射つところは空いてた」
そう言われ、俺は剣についた汚れを見ながら頷いた。
前に立つだけが、自分の仕事ではない。邪魔にならない位置を選ぶのも、少しはできるようになっていた。
◇
回収を済ませてから流れを渡った。
剣を収め、テッサから盾を受け取る。彼女が両手を空けて向こう岸へ移り、次に盾を渡す。最後のリオが足を滑らせかけたが、差し出したテッサの腕を掴んで踏みとどまった。
「魔物より、こっちの方が難しいね」
リオは濡れた靴先を振った。
「甲虫に渡り方を聞けばよかったな」
「倒す前に?」
「順番を間違えた」
テッサが笑い、その声が通路の奥へ広がった。
戻ってくる響きが、急に遠くなった。
俺は顔を上げた。灯りの届く先で天井が高くなり、壁の間から青白いものが見える。
通路を抜けると、そこには大きな水溜まりがあった。
いや、水溜まりと呼ぶには広すぎる。
浅い池の底に、雫石が散らばっていた。天井の隙間から落ちる水が波紋を作り、そのたびに青い光が揺れる。向こう岸には、赤褐色の石が細く帯になって続いていた。
テッサも、すぐには値段を聞かなかった。
「……昨日のところより、きれい」
俺は頷いた。
街の水路とは違う。誰かが水を引いたわけでも、底へ飾りを並べたわけでもない。暗い岩の下に、こんな場所が続いていた。
地図には『浅池』としか書かれていなかった。
「これ、二文字じゃ足りないだろ」
俺が呟くと、リオが地図を覗き込んだ。
「全部描いてたら、紙が足りないよ」
その通りだった。
俺たちは岸沿いに歩き、足元へ落ちている石だけを探した。池の中にも大きな青色が見えたが、深さを確かめられないところには手を出さない。
リオが平たい欠片を一つ拾った。その先で、テッサの足が止まる。
「向こう、人がいる」
池の奥、岩の張り出しの陰から三人が出てきた。
先頭はカイルだった。昨日より泥のついた靴で歩き、仲間の一人は槍を肩に担いでいる。
俺たちに気づくと、カイルは片手を上げた。
「そこまで来たか」
「そっちは、もっと奥へ?」
「ああ。広い部屋を一つ見てきた」
言いながら、カイルは腰の剣へ目を落とした。
抜きかけた刃の端に、小さな欠けが見えた。
「何かいたのか?」
俺が聞くと、彼は剣を戻した。
「いた。斬れば済む相手じゃなかった」
槍を担いだ仲間が、池の向こうの暗がりを振り返る。
「次は道具を替える。あの脚を止めないと、近づけない」
俺も、そちらへ目を向けた。
きれいな池の先に、まだ知らないものがいる。
鞄の中で雫石が触れ合った。今日は昨日より遠くまで来た。その先を歩いてきた三人にも、まだ試したいことが残っているらしかった。




