第39話 地図の端にある場所
雨具を羽織ったテッサは、しばらく黙って立っていた。
「どう?」
「盾が入ってない」
「盾まで入れたら、私が二人分になるんだけど」
道具屋の店主が、ひと回り大きなものを持ってきた。肩から掛け直すと、今度は背負った盾まで布の下へ収まる。
テッサが腕を動かす。布の裾が揺れ、棚に吊るされた小鍋へ当たった。
「雨より先に、店の商品を倒しそうだな」
「外で使うから平気」
俺とリオも雨具を選び、鞄の上から羽織ってみた。普段より肩が膨らむ。三人で店の鏡に映ると、もう近所の畑へ行く格好には見えなかった。
昨日まで紙の上にあった旅支度が、少しずつ身体へ増えていく。
細縄と火口、予備の蝋燭。手当て用の清潔な布は、水が入らないよう別に包んだ。テッサの魔道具の灯りも確かめ、予備の明かりは俺とリオで分けて持つ。
「全部、誰か一人に持たせないんだね」
リオが言った。
「そいつが転んで水に落ちたら、まとめて濡れるからな」
「じゃあ食料も分けよう」
「それはいいけど、先に食べないでよ」
テッサが俺を見る。
「何で俺に言うんだ」
「料理できる人って、味見するでしょ」
干し肉の味見を任された覚えはなかった。
買った物を詰め直すと、鞄にはまだ少し余裕が残った。そこへ何を入れて帰ってくるのか考えると、口元が緩みそうになる。
石だけ、ということもあるだろう。
できれば、売れる石がいい。
◇
《鉄輪》では、ドランに剣と中古短剣を見てもらった。
剣は戦うため。短剣は縄を切ったり、細かな作業をしたりするためにも残す。どちらも柄に緩みはなく、鞘の内側も乾いていた。
店の奥には、槍と斧が並んでいる。
目は向いたが、今日は手を伸ばさなかった。出発前日に武器を増やしても、扱いに慣れる時間がない。
「今回は、この二本で行きます」
「行き先は?」
「石雫です」
ドランは剣を鞘へ戻した。
「なら、濡れたまま寝るなよ。お前じゃなくて、こいつの話だ」
「俺も乾かしたいですけど」
「そっちは宿で頼め」
隣では、テッサが盾を構えていた。
腕を通す革帯が少し伸びていたらしく、押された時に盾が遅れてついてくる。ドランが取り付け位置を確かめ、新しい帯へ替えてくれた。
試しに俺が盾を押す。
「さっきより動かない」
テッサが肘を曲げ、盾を寄せ直す。縁の傷は残っているが、構える手つきは軽くなった。
「大きさ、変えてないよね?」
「帯しか替えてねえ」
「何か小さくなった感じがする」
気に入ったらしい。もう一度押してくれと言われ、俺は少し強く力をかけた。
今度は、俺の方が押し返された。
リオは補充した矢を一本ずつ並べ、長さと羽根を確かめていた。曲がった矢は持っていかず、使えるものと交換する。
「弓は替えないのか?」
俺が聞くと、リオは首を振った。
「まず、これで狙った場所に当てたい。強い弓にしても、引き切れなかったら困るし」
「じゃあ、石雫で欲しいものは?」
少し考えてから、彼は答えた。
「暗いところでも、狙う時間を作れるようになりたい」
装備の名前が返ってくると思っていたので、俺は顔を上げた。
「昨日は二匹倒しただろ」
「明るかったし、広かったから。迷宮でも同じようにできるかは分からない」
「じゃあ、私が止める場所を言う。灯りもそっちへ向ける」
テッサが言うと、リオは頷いた。
「それ、向こうで試したい」
三人で行く理由が、また一つ増えた気がした。
◇
買い物を終え、ギルドへ寄ると、受付の奥に見覚えのある背中があった。
ベックだった。
卓に広げた大きな紙を、職員と一緒に見ている。こちらに気づくと、顎で近くへ来るよう示した。
「石雫へ行くそうだな」
「明日の朝に出ます」
「そうか。こっちは、まだ先が見えん」
卓へ近づいて、紙が北採石場の地下の地図だと分かった。
だが、俺の覚えているものとは大きさが違った。
入口から続く道を指で追う。通った角、調べた部屋、その先の広がり。見覚えのある部分は、紙の端に小さく収まっていた。
「ここが、俺たちの行ったところですか?」
「ああ」
「じゃあ、この下の線は?」
「下へ続く道だ。別の紙に描いてある」
ベックが重ねていた一枚をずらした。
そこにも通路があった。
何本かは途中で線が切れ、その先には何も書かれていない。
「行き止まり?」
テッサが聞く。
「そこまでしか調べてない」
空白の意味が変わった。
何もない場所ではない。まだ誰も確かめていない場所だった。
リオが俺と地図を見比べる。
「この端だけでも、何日もかかったんだよね」
「ああ。俺たちだけで歩いたわけでもない」
上級の冒険者が前にいて、道を確かめる人がいて、それでも戻ってきた。
あの時は、ずいぶん奥まで入った気がしていた。
「最初は第一層の図にするつもりだったんだがな」
ベックが紙の端を押さえた。
「今のところ、入口周辺図だ」
テッサが小さく息を吐いた。
「広すぎない?」
「俺に言うな。削った覚えはない」
少し笑ったが、目は地図から離れなかった。
隠し部屋も、宝箱も、動く壁も、この小さな範囲にあった。その向こうに、まだ名前も形も知らない場所が続いている。
怖いと思った。
同じくらい、もう一度見たいとも思った。
「今も岩潜りが出るんですか?」
「出る場所はある。だから通れる範囲を分けてる。お前らに奥の仕事を回す段階じゃない」
「分かってます」
俺は地図の入口へ目を戻した。
「でも、戻ってきたら、また話を聞かせてください」
ベックがこちらを見る。
「石雫を見たあとで、こっちも見てみたいので」
「なら、帰ってから来い。調査が進んでりゃ、線も増えてる」
紙の先を約束してもらったようで、嬉しかった。
◇
ミラには出発日と行き先、それから帰る予定を伝えた。
街道の分岐と、途中で泊まる場所を確認する。石雫の案内には、現地で記録を確かめるよう印をつけた。
手続きを終えて外へ出ると、三人とも荷物が朝より大きくなっていた。
「明日は東門でいい?」
テッサが聞く。
「ああ。朝の鐘の前」
「リオ、寝坊したら置いてくよ」
「待ってくれないの?」
「少しは待つ」
「どのくらい?」
「お腹が空くまで」
朝飯を食べてきてくれ、とリオが真面目に頼んだ。
俺は笑いながら、鞄の紐を持ち直した。新しい雨具の匂いがする。腰には手入れを終えた剣があり、懐には折り畳んだ街道の地図がある。
「ノルは?」
リオが聞いた。
「石雫で、何を見つけたい?」
宝箱、と答えかけた。
それも欲しい。使える装備が入っていれば、なおいい。
「三人で、奥まで進める道を見つけたい」
「最初から奥?」
「行けるところまでな。その先は、また考える」
北採石場の地図にあった空白を思い出した。
あれを全部埋められるとは、まだ思えない。だが、自分たちで選んで歩いた線なら、少しずつ増やしていけるかもしれなかった。
通りの分かれ道で、二人と別れた。
宿へ戻る前に、ガルドの食堂へ寄っていこう。明日からしばらく町を離れることを、自分の口で伝えておきたかった。
鞄の重さを肩へ馴染ませながら、俺は煮込みの匂いがする通りへ足を向けた。




