第38話 盾の向こうを空ける
「そこに立たれると、射てない」
リオに言われ、俺は倉庫の入口で足を止めた。
正面にはテッサの盾があり、俺はその左後ろにいる。狭い入口へ魔物を誘い込めば、横から回られずに済むと思っていた。
だが、振り返ると、リオから見えるのは俺たちの背中だけだった。
「俺が横へ出たら?」
「その時には、もう近すぎる」
倉庫の奥で、硬いものが床を擦った。
穀物袋の下から、灰色の甲虫が這い出してくる。平たい殻は皿ほどの大きさで、表面に小石を埋め込んだような凹凸があった。頭の前では、短い顎が開いたり閉じたりしている。
石殻甲虫。
石雫の迷宮にも出ると案内に載っていた魔物だ。今回受けたのは、町外れの穀物倉庫に入り込んだ三匹の駆除だった。
管理人は外へ避難している。俺たちも入口から数歩下がれば、荷車を止める広場へ出られた。
「外でやろう」
テッサが言った。
「広いと、回られないか?」
「回られないように私が動く。ここだと、リオがずっと待つことになる」
俺は入口と広場を見比べた。
壁があれば安心する癖がついていた。二人で戦っていた頃なら、それでよかったのかもしれない。
「分かった。リオ、立つ場所を決めてくれ」
リオは広場の端を指した。
「あの積み木の手前。そこなら、盾の横が見える」
俺たちは一度外へ戻った。
倉庫の入口から広場まで、邪魔な籠をどかす。テッサは中央、俺は左側へ。リオは右へ離れ、射線が重ならない位置で弓を構えた。
「俺がそっちへ出そうなら、止めて」
「うん。今度は言う」
その返事を聞いてから、俺は倉庫へ向き直った。
◇
一匹目は、入口近くまで来ていた。
テッサが盾の下端で床を擦ると、触角がこちらを向く。灰色の身体が急に速くなり、六本の脚で敷居を越えた。
俺は思わず剣を構え直した。
見た目は石でも、動きまで遅いわけではない。
テッサが盾を低くして受ける。甲虫はぶつかると脚を縮め、頭を殻の下へ引っ込めた。
俺は刃を出しかけて止めた。
受付で見せてもらった標本には、殻の縁に剣でつけた浅い傷が何本もあった。上から叩いても通りにくいという説明は、覚えている。
「脚、引っ込めた」
「押してみる」
テッサが盾を前へ出すと、甲虫は地面を滑った。だが、力を緩めるとすぐに脚を伸ばし、盾の右側へ回ろうとする。
「射つ!」
リオの矢が、殻の脇へ当たった。
乾いた音を立てて弾かれる。
甲虫が向きを変えた。矢の来た方へ走り出そうとしたところへ、テッサが盾を差し込む。
俺は追いかけず、左側に残った。
リオが二本目を番えながら言う。
「曲がる時、頭が出る」
盾に隠れて、俺からはよく見えなかった部分だ。
「もう一回、右へ行かせて」
「どのくらい?」
「頭が見えたら射つ。ノルは、そのままで」
俺は頷いた。
何もしないで待つのは、思ったより難しい。目の前で魔物が動くと、とにかく剣を出したくなる。
テッサが盾を少し左へ寄せた。
空いた方へ甲虫が進む。殻の下から頭が伸び、触角が揺れた。
矢が、その付け根へ入った。
甲虫の脚が乱れ、身体が横へ傾く。テッサは追わずに盾を構え続けた。やがて脚の動きが止まるまで、リオも弓を下ろさなかった。
「当たった」
彼が言った。
「見てたよ」
テッサが返す。
俺も見ていた。剣を一度も当てていないが、妙に嬉しかった。
リオが狙える場所を空ければ、俺が斬るより早く終わることもある。
◇
二匹目を誘い出している途中で、三匹目も姿を見せた。
穀物袋の陰から出てきた殻が、先にいる一匹の横を抜ける。
「二匹来る!」
俺の声に、テッサが盾を地面へ寄せた。
今度は一匹ずつ待ってくれない。
先頭が盾へぶつかり、もう一匹は俺の方へ曲がった。剣先を低く向けると顎を開き、刃へ噛みつこうとする。
俺は横へ避けながら、広場の端へ下がった。
「ノル、そっちは木!」
リオの声で、踵を止める。
背後には積まれた角材があった。ここへ追い込まれれば、俺自身の逃げる場所がなくなる。
甲虫は構わず近づいてくる。俺は剣を振らず、空いている中央側へ足をずらした。
その時、甲虫の片側の脚が、転がった細い木材へ乗った。
殻が傾く。
黒い腹と、忙しく動く脚の付け根が見えた。
俺は剣先をそこへ向け、短く突いた。殻へ当たる感触はない。刃を引き、追ってこないことを確かめてから顔を上げる。
テッサがもう一匹を止めていた。
盾の下を潜ろうとする甲虫に合わせ、腰を落としている。その向こうで、リオが弓を引いたまま待っていた。
俺が駆け寄れば、また射線を塞ぐ。
「こっちは止まった! リオ、そのまま!」
テッサが盾をずらす。
甲虫が首を伸ばしたところへ矢が入り、今度は殻ごと地面へ伏せた。
しばらく誰も動かなかった。
俺は周囲を見渡し、倉庫の入口へ目を戻す。新しく出てくる影はない。
「三匹」
リオが数えた。
「うん。三匹だ」
答えると、ようやくテッサが盾を少し下げた。
◇
管理人と一緒に倉庫を確かめ、食い破られた袋を移した。
樽の裏や壁際にも、ほかの個体はいない。入口の脇には崩れた土があり、そこから入り込んだらしかった。穴の補修は管理人が手配するという。
討伐品は、依頼の条件どおり俺たちが持ち帰ってよかった。
動かなくなった三匹を長い柄の道具で確かめ、借りた空箱へ収める。自分たちで殻を割るより、ギルドで処理してもらった方が、売れる部分を残せそうだった。
「重いね」
箱の片側を持ったテッサが言う。
「殻に石がついてるからな」
「持ち帰る時だけ外れてくれればいいのに」
そんな都合のよい魔物なら、倉庫の主人も困らなかっただろう。
帰り道、リオは弾かれた矢を何度も見ていた。先端が少し潰れている。
「最初の一本、無駄にした」
「そのあと二匹倒しただろ」
俺が言うと、彼は顔を上げた。
「次は、最初から待てると思う」
言い方が、前と少し違った。
できなかったことを謝るより、次にどうするかを考えている。
テッサが俺を見る。
「外でよかったでしょ」
「ああ。入口に残ってたら、俺たち二人で塞いでた」
「じゃあ次は、最初から三人分の場所ね」
「覚えとく」
俺一人が戦いやすい場所と、三人で戦いやすい場所は同じではなかった。
その違いを、今日はリオとテッサに教わった。
◇
ギルドでは、討伐報酬とは別に、殻と小さな魔石の買い取り額がついた。
処理の手数料を引いても、持ち帰った分は残った。特にリオが倒した二匹は殻の傷が少なく、俺が想像したよりよい値がついた。
「次も頭、お願い」
硬貨を見たテッサが言う。
「毎回できるかは分からないよ」
「私も毎回止めるから」
リオは困ったように笑って、それから頷いた。
三人で旅費の紙を開いた。
今日の取り分を足し、矢の補充と必要な手入れの分を引く。帰りのために分けた金には触れない。
テッサが指で項目を追い、最後まで数えた。
「揃えられる」
俺も確かめた。
高い武器を何本も買う余裕はない。それでも、決めていた日数だけ石雫に滞在し、何も拾えなくても戻ってこられる。
紙の上では、そうなっていた。
「じゃあ、いつ行く?」
リオが聞いた。
もう少し稼いでから、と言いかけた。
金は多い方がいい。装備も良い方がいい。そう考えれば、出発を延ばす理由はいくらでも見つかる。
俺は持ち物欄をもう一度見た。
「明日、道具を揃える。その次の朝に出よう」
テッサが笑った。
「やっと日付が入った」
リオも紙へ顔を寄せる。
俺は出発日の横に、三人の名前を書いた。
今度こそ、依頼を終えてその日のうちに帰ってくる旅ではない。




