第37話 帰りの分も
テッサは、紙に並んだ金額をもう一度足した。
「足りない」
「さっきもそう言っただろ」
「足したら増えないかなと思って」
「それで増えたら、俺も一日中やる」
ギルドの隅の卓には、石雫の迷宮へ行くための持ち物を書いた紙が広がっていた。
食料、雨具、宿代。リオの矢も補充したい。テッサの灯りは持っていけるが、それだけに頼らず予備も要る。
持っている金を全部使えば、出発はできそうだった。
ただ、それでは帰ってから困る。
「帰りの宿代と飯代は、先に分けとこう」
テッサが紙の端を折った。
「迷宮で何も拾えなかったら、歩いて帰る間ずっと空腹になる」
「行きも帰りも歩くけどな」
「空腹の方が大事」
俺は折られた部分へ線を引いた。
使える金が、また減った。
リオが採取依頼の控えを卓へ置く。
「昨日の白筋草、取りに行こう。場所は分かってるし」
それには異論がなかった。
俺たちは依頼の条件を確かめ、買ったばかりの採取袋を持って東門へ向かった。
◇
倒木のあった場所は、荷車が通れるようになっていた。
幹の切り口はまだ白い。俺たちが脇へ運んだ枝の束には、朝露が残っている。
「ここ、俺たちも片づけたんだよな」
リオが言った。
昨日は作業中で、道が開いたところをゆっくり眺める余裕がなかった。
今日は止まらず、その先へ進める。
二股の木から沢へ下りると、白い石の間を水が流れていた。まずは昨日見つけた株のところへ行き、葉の裏を確かめる。
細い白筋が、根元から先まで通っている。
「合ってる」
リオが頷いた。
教わった通り、使える葉を選んで摘み、潰さないように袋へ収める。残す株も決めておいた。全部採れば、次に来る理由までなくなる。
俺とリオが交代で摘み、テッサが周囲を見ていた。
思ったほど早くは増えない。
「草って、探すより選ぶ方が長いんだな」
「傷んだ葉を混ぜると、買ってもらえないんだって」
リオは虫食いのある葉を避けた。
袋が半分ほど埋まったところで、沢の向こうにも白筋草が見えた。こちらより日陰が広く、岩の根元にまとまって生えている。
水は浅い。飛び石を使えば渡れそうだった。
俺は手前の石へ足を置き、少し体重をかけた。
石が傾く。
「ここは駄目だ」
戻って横を見ると、平たい石が二つ並んでいた。表面の濡れ方を確かめ、片足ずつ乗せる。
テッサが後ろから覗いた。
「どう?」
「こっちなら行けそう。真ん中は苔があるから踏むなよ」
リオが採取袋を抱え直した。
「濡らしたら、今までの分が台無しだね」
「俺も濡れたくない」
「ノルは乾くでしょ」
草より扱いが軽い。
そう思いながら渡り切った時、対岸の低い枝が揺れた。
リオが足を止める。
「待って。あの根元」
枯れ葉の間に、灰褐色の背中があった。
樹皮トカゲだ。
口元に小さな虫を咥え、俺たちを見ている。白筋草の群落へ行くには、その前を通ることになる。
「戻る?」
テッサが小声で聞いた。
後ろは沢だ。こちらへ来られてから渡り直すのは難しい。
俺は立っている場所と、木の根の間を見た。昨日の林道ほど広くはない。剣を振れば、枝に当たる。
「ここで止まろう。追いかけない」
テッサが前へ出る間に、俺は剣を抜いた。
今回は斧がない。
だからといって、硬い背中を斬らなければならないわけでもなかった。
樹皮トカゲが虫を呑み込み、身体を低くした。尾が落ち葉を押し分ける。
「来る」
リオの声と一緒に、短い脚が地面を蹴った。
盾へぶつかった身体が横へ流れる。テッサは押し返そうとしたが、踵が木の根へ当たり、それ以上進めなかった。
「ここから押せない!」
トカゲが盾の縁へ噛みつこうと首を伸ばす。
俺は左へ出かけて止まった。太い根が邪魔で、足を置けない。
「右へ入る。リオ、射たないで!」
「分かった!」
剣を身体の近くへ引き、テッサの右側へ移る。
盾が少しだけ傾いた。
その縁から伸びた首の下へ、剣先を入れる。背を叩いた時と違い、刃は滑らなかった。
樹皮トカゲが暴れ、俺は両手で柄を支えた。テッサが足を置き直して盾を押す。
動きが弱まったところで剣を引き、二人で下がった。
リオは弓を向けたまま、周囲にも目を配っていた。
やがて、尾が動かなくなる。
「昨日と、逆だったね」
テッサが言った。
「左から入れなかった」
「でも、言ってくれたから分かった」
昨日決めた位置を、そのまま使うことはできなかった。
それでも、言えば変えられた。
俺は剣の汚れを拭き、刃先を確かめた。昨日のような硬い手応えはなかった。握った手は疲れているが、剣を大きく振り回さずに済んだ。
斧があれば便利な場面はある。
今日は、この剣を持っていてよかった。
◇
対岸の白筋草は、状態のよい葉が多かった。
必要な量を採り終え、袋の口を緩く閉じる。リオが木の根元を指した。
「こっちの場所も、書いておこう」
俺は持ってきた紙へ沢を一本描き、渡った石と、二股の木を書き足した。絵は上手くない。それでも、店の地図よりこの場所については詳しい。
テッサが覗き込む。
「その丸、何?」
「石」
「パンかと思った」
「沢にパンは置かないだろ」
「置いてあったら、私は拾わない」
くだらないことを言いながら紙を畳んだ。
町へ戻ったのは、日が傾く前だった。
買い取りの職員は葉を広げ、傷みと量を確認した。いくつかは除かれたが、残りは受け取ってもらえた。
硬貨が台へ置かれる。
俺たちが見つけた場所が、初めて金になった。
テッサは報酬を分けたあと、自分の分から何枚かを小さな袋へ移した。口紐を結び、普段の財布とは別の場所へしまう。
「帰りの分?」
俺が聞くと、彼女は頷いた。
「これは、持ってないことにする」
「全部そっちへ入れたら、何も買えなくなるぞ」
「だから、少しずつ」
残った硬貨を数える顔は、いつもより満足そうだった。
俺も財布の中を分けてみた。
使えない金があるのは、不思議な感じがする。だが、それがある分だけ、地図の上の石雫が少し近くなった気もした。
リオが採取袋を持ち上げた。
「次は、もう少し傷めずに運べると思う」
「じゃあ、その分も旅費だな」
俺が言うと、テッサがすぐに口を挟んだ。
「少しは昼飯にも使おうよ」
「帰りの分は?」
「それはもう分けた」
頼もしいのか、都合がいいのか。
たぶん、両方だった。




