第36話 地図の外へ行く準備
林道を離れる前に、俺は借りた小斧を作業員へ返した。
刃の汚れを落とし、柄についた泥も拭いてある。男は斧を受け取ると、刃先を光へ向け、親指の腹で横から確かめた。
「欠けてはいないな。使い勝手はどうだった?」
「背中には入りました。ただ、抜けなくなって」
「深く食い込ませりゃ、そうなる。木だって同じだ」
「木なら待ってくれるんですけどね」
男が笑った。
「買うなら、何に使うか店で言えよ。枝払いと魔物退治じゃ、選ぶ物も変わる」
俺は頷き、空いた手を握った。斧の柄を掴んでいた指の付け根が、まだ少し熱い。
持ち帰れる武器は増えていない。
その代わり、次に武器屋で聞きたいことが増えた。
◇
ギルドへ戻ると、まず依頼の完了を報告した。
樹皮トカゲを除いたことと、荷車が通れる幅まで倒木を片づけたこと。作業員の署名を確かめたミラが、報酬を数える。
その横で、リオが布包みを開いた。
「これも見てもらえますか。林道の沢で見つけたんです」
中にあるのは、三枚ずつ細い葉をつけた草だった。
採取品を扱う職員が呼ばれ、葉の表と裏、それから根元を順番に調べる。
「白筋草だね。依頼に出ている物で合ってる」
リオの顔が明るくなった。
「売れます?」
テッサが先に聞いた。
「これは見本に採ったんだろう? 一株では買い取りの量に足りない。次は葉の裏の白い筋まで確かめて、傷めないように持ってきてくれ」
職員は紙に必要な量を書き足し、似た草との違いも教えてくれた。
リオが真剣に聞いている横で、俺は沢の場所を思い出していた。二股の木から下りた先に、まだ何株もあったはずだ。
今日は銅貨にならなかった。
だが、次に取りに行く理由はできた。
「地図に書いておこう」
俺が言うと、リオが頷いた。
「目印の木も。道から少し下りるところだから」
「その前に、袋だね」
テッサが草の包みを指す。
「食べ物と一緒に押し込んだら、帰る頃には潰れてるよ」
買う物まで決まったところで、俺たちは報酬を分けた。
◇
《鉄輪》では、ドランが俺の剣を見て眉を寄せた。
「硬いものを斬ったな」
「樹皮トカゲの背中です」
「通ったか」
「ほとんど」
「通らなかった顔だな」
正確だった。
刃こぼれはしていなかったが、当たった部分には擦れがある。ドランが手を入れている間に、俺は借りた斧の話をした。
話を聞き終えると、彼は店の奥から刃を潰した練習用の小斧を持ってきた。
「構えてみろ」
試し振りのできる場所で両手を添える。昨日の剣と同じつもりで持つと、頭が前へ下がった。
「高く上げすぎるな。外したあと、どこまで落ちるか考えろ」
床に置かれた木片を敵に見立て、ゆっくり振り下ろす。
一度目は、引き戻す時に身体が前へ傾いた。二度目は踏み込む幅を狭くする。威力は落ちそうだったが、足を戻すのは楽になった。
「止まってる相手でも、それだ」
「動く相手は、もっと難しかったです」
「だろうな」
ドランは小斧を受け取り、俺の剣と並べた。
「斧が要る時はある。だが、背の硬い相手を見つけるたびに全部これで割るつもりか?」
樹皮トカゲの脚の付け根を思い出す。そこには剣が入った。
「狙えるなら、今の剣でも戦えます」
「なら、そのやり方も覚えとけ」
どちらか一本で済む話ではないらしい。
だからといって、全部持って歩けばいいわけでもない。店の斧を買う前に、俺は背負ってきた荷物を見た。
今日でさえ、帰りは肩紐が食い込んでいた。
「もう少し練習してから、選びます」
「そうしろ」
返された剣を鞘へ収める。斧は店へ残した。
欲しい物が増える速さに、財布も背中も追いついていなかった。
◇
道具屋で採取用の袋を買うと、リオが店先の地図に足を止めた。
「この沢、載ってないね」
「荷車の道が中心だからな」
店主が答える。
壁に掛けられた地図には、リーヴェから伸びる街道と集落が描かれていた。今日歩いた林道は細い線になり、その先で途切れている。
俺たちが座った白い石も、二股の木もない。
その小さな空白を、俺たちは少しだけ知っている。
リオが指を動かした先に、黒い印があった。
「ここは?」
「石雫の迷宮だ。行くつもりか?」
三人とも顔を上げた。
「銅札でも入れるんですか?」
俺が聞くと、店主は頷いた。
「浅い範囲ならな。詳しいことはギルドで聞け。こっちからだと歩いて二日近くかかる。泊まりの支度は要るぞ」
テッサが地図の距離を指で測る。
「魔物より先に、足が疲れそう」
「それは間違いない」
店主は笑い、地図の脇に吊るした雨除けの布を叩いた。
「晴れるとは限らんからな」
俺たちは顔を見合わせた。
次に向かったのは宿ではなく、もう一度ギルドだった。
ミラに名前を伝えると、彼女は棚から薄い案内を取り出した。
「石雫なら、近くの集落に宿と買い取り所があります。初心者が利用する迷宮ですが、皆さんにはまず入口付近の経路をおすすめします」
開かれた紙には、泉のある広間と、そこから分かれる通路が描かれていた。余白には記録した日付が入っている。
北採石場の地下で見た壁を思い出した。
「道が変わることもあるんですよね」
「あります。着いたら現地で最新の記録を確認してください」
リオが俺を見る。
「ノルたちが入った迷宮も、こんな感じだった?」
「もっと分からないことが多かった。案内なんてなかったし」
あの時は、前を進む上級の冒険者についていった。
今、机の上にある紙は、俺たちが行き先を選ぶためのものだった。
「もう攻略された迷宮なんですか?」
「守護個体の討伐記録はあります。ただ、コアは壊されていません。素材や魔道具が得られる場所として、残されています」
テッサの目が、紙の奥に描かれた箱の印へ動いた。
俺も同じものを見ていたので、人のことは言えなかった。
「三人で行けるかな」
リオが小さく言った。
俺はすぐには答えず、案内の持ち物欄を読んだ。食料、雨具、灯り、手当ての道具。宿代とは別に、帰りの金も残さなければならない。
「準備すれば、行けるところまでは行けると思う」
「じゃあ、何が足りない?」
テッサが自分の鞄を机の脇へ置いた。
リオも隣へ寄る。
俺はミラから借りた紙に、足りない物を書き始めた。いちばん上には、迷宮の名前を書いた。
石雫の迷宮。
今度は、三人で行く。




