第35話 樹皮の背中
倒木の上で、木の皮が動いた。
そう見えたのは、背中に灰褐色の板を重ねたトカゲだった。尾まで含めれば俺の腕より長い。短い脚で幹を掴み、黄色い目だけをこちらへ向けている。
「樹皮トカゲ。名前どおりだな」
俺が呟くと、テッサが盾を下ろした。
「もう少し小さいのを想像してた」
「俺も」
昨日、ギルドで見せてもらった絵には、比較するものが描かれていなかった。次からは大きさも聞こうと思う。
東の林道を塞いでいるのは、根元から倒れた太い木だった。枝を払って切り分ける予定だったが、樹皮トカゲが棲みつき、近づいた作業員を威嚇するようになったらしい。
今日の依頼は、作業場所の魔物を除き、片づけを手伝うことだ。
少し手前で待つ作業員からは、小斧も借りていた。枝払い用の道具で、出発前に重さと振り下ろす位置を確かめてある。
薪なら食堂でも割った。ただし、薪は噛みついてこない。
「背中は硬い。脚の付け根と腹は柔らかい、だったな」
受付で聞いたことを口にすると、リオが頷いた。
「あと、倒木の下にもいるかもしれない」
彼は幹を見ず、その下の落ち葉を見ていた。湿った土の上に、細い線がいくつも走っている。
「尾を引きずった跡だと思う。向こうにも続いてる」
リオの指した先で、枯れ葉が持ち上がった。
二匹目がいる。
俺は斧を後ろの切り株へ置き、剣を抜いた。
「まず上の一匹を、道へ出そう」
◇
テッサが盾を前に出して近づくと、樹皮トカゲは口を開いた。喉の奥は赤く、小さな歯が並んでいる。
盾の縁が幹へ触れた瞬間、飛びついてきた。
テッサが受け止める。床へ落ちたところを狙い、俺は横から剣を振った。
頭の後ろを狙ったつもりだった。
だが、トカゲが身を捻り、刃は盛り上がった背を擦った。乾いた音と一緒に手首へ衝撃が返る。薄い欠片が飛んだだけで、相手は止まらない。
「硬い!」
慌てて引いた足の前を、尾が払った。
剣を戻すと、刃先に白い擦れ跡があった。同じ場所を何度も斬れば、先に傷むのはこちらかもしれない。
樹皮トカゲは盾を避け、倒木へ戻ろうとした。
「右、空けて!」
リオの声で俺は左へ下がった。
矢が飛び、トカゲの後ろ脚の脇へ刺さる。身体が傾いたが、それでも前脚で地面を掻き、幹の下へ潜ろうとする。
テッサが回り込み、盾で行く手を塞いだ。
「ここで止める!」
トカゲが盾へ噛みついた。首を伸ばした拍子に、前脚の後ろに柔らかそうな皮膚が見える。
「左から入る!」
俺は剣を大きく振らず、その隙間へ突き入れた。身体が暴れ、刃を握る手に力がこもる。テッサが盾を押し返し、俺は足を踏ん張ってから剣を引いた。
しばらくして、動きが止まった。
「背中じゃなければ、入るんだな」
息を吐きながら言うと、リオが倒木へ目を向けた。
「もう一匹、奥に引っ込んだ」
覗き込むと、根と幹の間に黄色い目があった。低く伏せていて、こちらから見えるのは鼻先と硬い背だけだ。
剣を差し込めそうではある。
ただ、脚の付け根を狙える角度ではなかった。
「引っ張り出す?」
テッサが聞いた。
「手を入れるのは嫌だな」
「私も嫌」
そこはすぐに意見が合った。
俺は切り株に置いた小斧を見た。
あの背へ、剣より重い刃を当てたらどうなるだろう。
借りてきた斧を持ち、幹から離れた場所で一度だけ構える。頭の重さで腕が引かれた。剣のつもりで振れば、外したあとに戻せない。
「出てきて、止まったところだけ狙う。駄目なら離れる」
「じゃあ、こっちへ出して」
テッサが盾を構えたのは、倒木の脇に転がる低い丸太の前だった。
リオが反対側へ回る。
「後ろは空いてる。そっちから追えると思う」
彼は矢を射たず、落ちていた長い枝で落ち葉を払った。根の裏へ枝先を差し、地面を叩く。
樹皮トカゲが身体を捻った。
次の瞬間、幹の下から走り出る。
俺は斧を握ったまま、一度見送ってしまった。動いている背中へ当てるには、思ったより勇気が要る。
盾が正面を塞ぐ。
トカゲは脇へ曲がり、低い丸太へ前脚をかけた。登ろうとして、背中がこちらへ向く。
俺は一歩寄り、両手で小斧を振り下ろした。
鈍い手応えが腕へ返った。
刃が背の板へ食い込み、その縁が割れる。だが、斧はすぐには抜けなかった。トカゲが暴れ、柄ごと持っていかれそうになる。
「押さえる!」
テッサが盾を斜めに当てた。
動きが鈍ったところで、俺は柄を引き戻した。裂けた板の下へもう一度刃を落とすと、トカゲの脚が崩れた。
俺たちは離れ、動かなくなるまで待った。
手のひらがじんじんしていた。
「斧、入ったね」
「ああ。でも抜けなかった」
「持って走られるかと思った」
「俺も思った」
剣より良い、と簡単には言えなかった。
硬い背を割ることはできる。その代わり、当てるまでが遅く、食い込めば戻しにくい。テッサが止めてくれなければ、柄を離すしかなかったかもしれない。
俺は斧の刃と、その下に倒れたトカゲを見比べた。
狙える場所が違えば、持ちたい武器も違う。
店で振ってみただけでは、分からなかったことだった。
◇
ほかに潜んでいないか確かめてから、作業員を呼んだ。
倒木を切り分けるのは彼らに任せ、俺たちは細い枝を払い、道の脇へ運ぶ。斧を木へ当てると、さっきより狙いが定まった。
やはり、動かない相手はありがたい。
昼前には、人が通れるだけの幅が開いた。
倒木の向こうへ出ると、沢の音が急に近くなった。道から見える浅い流れが、白い石の間を抜けている。木漏れ日が水面を滑り、小さな魚の影が走った。
「ちょっと見ていかない?」
テッサが言った。
作業員に声をかけ、三人で沢まで下りた。道はすぐ上に見えている。岩へ腰を下ろすと、汗をかいた首に冷たい風が触れた。
リオが足元の草を見て、鞄から採取依頼の控えを出した。ギルドで、林へ行くならと見せてもらったものだ。
「これ、載ってた草に似てない?」
絵には細い葉が三枚ずつつく草が描かれている。目の前の株にも、同じ形の葉があった。
「持って帰れば分かるか」
「似た草もあるって言ってたから、一株だけにしよう」
リオが丁寧に採り、ほかの荷物と分けて包んだ。
「売れる?」
テッサが聞く。
「合ってたらな」
「じゃあ、今日は場所を見つけた分だけ得だね」
俺は沢沿いを見渡した。同じ草が、少し先にもまとまって生えている。
魔物を倒して道が開き、その先で次に来たい場所ができた。
帰ったら、ギルドで草の名前を確かめよう。合っていれば、次は採るための袋も持ってくる。
「斧も?」
テッサに聞かれ、俺は借りた小斧を見た。
「まず、抜き方を教わる」
リオが笑った。俺もつられて笑い、沢の位置を忘れないよう、二股に分かれた大きな木を覚えた。




