第30話 入口の、その先
剣を手に入れてから三日、俺は朝になるとギルドの裏庭へ通った。
標的に当てるだけなら、少し慣れた。振ったあとに構え直すことと、テッサの盾へぶつけないことは、まだ毎回うまくいくわけではなかった。
そして今日は、木の標的ではなく、迷宮へ向かっている。
腰の剣を気にして歩いていたら、テッサに見られた。
「ちゃんとあるよ」
「分かってる」
「さっきから何回も触ってる」
俺は柄から手を離した。なくなっていないか確かめたいのではなく、今日それを抜くことになるかもしれないのが気になっていた。
今回も五人だった。セナは入口周辺の記録をまとめるため、前に引き返した分かれ道まで調べ直すと言った。そこまで済めば、俺たちの調査補助は一区切りになる。
隠し部屋へ続く隙間を通り過ぎ、緩い坂を下る。テッサの肩紐には携帯灯が留められ、足元へ淡い光を落としていた。
「眩しくない?」
「今の向きなら」
「じゃあ、これで決まり」
彼女が肩を動かすと光も揺れたが、手が空いているのは便利そうだった。俺たちはガレスの灯りを追い、前回と同じ岩の盛り上がりへ着いた。
右の道から、脚が石を掻く音がした。
ガレスが槍を構えた直後、黒い胴が低い天井の下から現れた。裂き顎が二匹。先頭の一匹が跳び、槍先へ腹をさらした。
ガレスは突いて引き、すぐに横へ動いた。
二匹目が、倒れた仲間の脇を抜けてきた。
「テッサ、ノル。左へ寄せろ」
ベックがセナの前へ出た。俺たちは並んで動き、岩の盛り上がりを背にする位置を取った。
裂き顎が盾へぶつかった。
俺は剣を抜き、前へ出かけた足を止めた。短剣のときと同じ距離まで近づく必要はない。
テッサが盾を斜めに押し出す。
その脇から剣先を送ったが、魔物が身を捻り、刃は脚の間を抜けた。外した。
追ってもう一度突きたくなった。だが、剣先は相手の向こうにある。俺は先に腕を引き、切っ先を戻した。
裂き顎が顎を開いて迫る。その頭を、テッサの盾が押し返した。
「今の、戻すの早かった!」
返事をする余裕はなかった。魔物は盾の外側へ回ろうとし、長い脚を広げた。
俺は剣先を低く保ち、伸びた前脚へ短く刃を引いた。
手応えがあった。
片側の脚が折れるように沈み、胴が傾く。テッサが一歩だけ踏み込み、盾で逃げる方向を塞いだ。俺は露出した腹の脇へ突き入れ、すぐに引いた。
裂き顎が床へ倒れた。
前のように近づきすぎずに済んだ。それでも、止まったと思った脚がもう一度動くと、身体が勝手に強張った。
ベックが動かなくなったのを確かめる。俺はようやく息を吐いた。
「一回、外しました」
「外したあとに戻せたろ」
そう言って、ベックは奥の道へ目を向けた。
テッサが盾を少し下げた。
「今日は、ぶつけなかったね」
「そっちは動くから、標的より難しい」
「魔物も動くよ」
「両方止まってくれれば楽なんだけどな」
剣を拭く手は少し震えていた。それでも、練習した動きが一つだけ、あの速さの中で出せた。布で汚れを拭いながら、もう一度、腕を引いたときの感覚を思い返した。
ガレスが魔物の処置を済ませると、俺たちは右の道の手前を調べた。天井が低く、大盾を構えたままでは動きにくい。今日ここを先へ進むことはせず、分かれ道へ戻る。
そのとき、左の通路で、低く石が軋んだ。
誰も歩いていなかった。
ベックが片手を上げ、全員を止めた。灯りの向こうで、壁に走る白い筋がゆっくり傾いていた。
最初は、ガレスの持つ灯りが動いたのだと思った。
だが、床の出っ張りは同じ位置にある。その奥だけが、柔らかいものを押し広げるように形を変えていた。
俺は息を止めた。
石が割れる音はしなかった。破片も落ちない。壁の曲がりが浅くなり、これまで隠れていた暗がりが、少しずつ口を開けていく。
「……本当に、動くんだ」
テッサの声がした。
返事をしようとして、言葉が出なかった。壁が動くとは聞いていた。だが俺は、巨大な石が横へずれるようなものを想像していた。
目の前の壁は、石のまま形を変えていた。
動きが収まると、左の通路には先が見えた。
ガレスとベックが前へ出た。俺たちはその場で待ち、二人が床と左右を確かめるのを見た。やがてガレスが振り返り、手招きする。
「縁までだ。そこから先へは出るな」
十歩も進まないうちに、頭上が開けた。
灯りの届く床が、途中で途切れている。
その下には広い空間があった。斜めに下る岩棚が壁に沿って続き、その途中に黒い穴がいくつも口を開けていた。さらに向こうには柱のように太い岩が見えたが、上が天井へ届いているかは分からない。
どこかで水が流れていた。
その音は、足元からも、遠くからも聞こえるようだった。俺には場所を絞れなかった。広さを測ろうと目を凝らしても、灯りの先には暗闇が重なっているだけだった。
セナが俺の隣で図面を開いた。
入口から坂を下り、分かれ道まで。俺たちが何度も歩き、苦労して描いた道が、一枚の紙に収まっている。
彼女はその端へ線を足しかけ、手を止めた。
「これは、別の紙が要りますね」
ガレスが小さく笑った。
「一枚で足りるといいがな」
俺は腰の剣に触れた。さっき裂き顎を倒したとき、少し遠くまで届くようになったと思った。その剣を持っていても、この先へ下りられる気はしなかった。
それなのに、岩棚の向こうをもっと見たかった。
「あそこも、いつか調べるんですか」
「調べる。人も道具も、組み直してからだ」
ベックは暗がりを見たまま答えた。
「お前らの仕事は、ここまで持ち帰ることだ」
セナが時刻と見える範囲を書き留め、俺も岩棚の曲がり方を描いた。描けない先は、白いまま残した。
戻り始めると、テッサが俺の横へ並んだ。
「三人とか、少ない人数で来る人もいるのかな」
「いるだろうけど。俺たちなら、もっと浅くて、道が分かってるところからだな」
「今日の二匹くらいなら?」
「ガレスさんが一匹倒してくれた」
「じゃあ、まず一匹」
俺は頷いた。それなら、自分たちで選べる仕事の形が、少し見えた。
分かれ道まで戻ったところで、もう一度だけ振り返った。
新しく開いた道の先は、暗かった。今は戻る。けれど、あそこへ続く道を描いた紙は、俺の袋に入っていた。




