第25話 帰り道の響き
分かれ道を描き終えると、セナは俺の記録板を受け取り、実際の壁と見比べた。
「この線は、壁の端ですか。それとも、灯りが届いたところ?」
指されたのは、右の道の先だった。俺は顔を上げ、天井が低くなっている辺りを見た。
「見えたところまでです」
「では、そこで道が終わるようには描かないでおきましょう」
俺は線の先を消し、未確認と書き足した。紙の上では、暗くて見えない場所も、壁に塞がれた場所も、同じように終わらせてしまえる。帰るために描いているのに、余計な行き止まりを作るところだった。
セナが時刻を記録し、俺たちは来た道へ向き直った。
帰りはベックが前に立ち、ガレスが最後尾を受け持った。俺とテッサは間に入り、坂を上る。下りでは気にならなかった床の窪みが、上りでは爪先に引っかかりそうになった。
地図だけでなく、歩く場所も確かめ直す必要があった。
黒い虫のようなものが入った割れ目を過ぎ、緩い坂の半ばまで戻ったとき、靴音のあとに、薄い音が重なった。
俺は足を置き直した。
石を踏んだ音が通路へ響く。その後ろで、少し軽い音がした気がした。袋の留め具が鳴ったのかと思い、片手で押さえる。次の一歩では、よく分からなかった。
前を歩くセナとの間が空き、俺は慌てて追いつきかけた。
「止まるなら言って」
テッサの声で、足を止めた。
「すみません。少し、音が気になって」
前へ伝わり、ベックが振り返った。ガレスは通路の後ろを見たまま、俺たちが止まるのを待った。
「何が聞こえた」
「足音のあとに、もう一つ。誰かの留め具かもしれません」
俺は自分の袋を押さえた手を見せた。
全員が動かなくなると、灯りの芯が燃える小さな音まで聞こえた。遠くで水滴が落ちたが、その向きは分からなかった。耳を澄ませていると、何もないところにまで音を探してしまいそうだった。
「歩いてるときだけか」
「今は、聞こえません」
ベックは床と壁を見回した。
「無理に鳴らして確かめるな。まず、ここを記録しておけ」
俺は板を取り出し、坂の途中に印をつけた。変わった音、と書いてから手が止まった。それでは、あとから読む人には何も伝わらない。
「足音のあとに、軽い音が重なったように聞こえた、でいいですか」
「そう書け。何の音かは、まだ書かんでいい」
記録している間、テッサが自分の棍棒を手で押さえていた。柄についた紐が盾の縁へ触れないようにしている。
「私のかもしれないしね」
俺が自分の荷物ばかり見ていたことに気づき、頷いた。
再び歩き出すと、今度は前のセナの靴音がよく聞こえた。坂を上り切る手前で、やはりその後ろに、乾いた薄い音が残った。
左側から聞こえた気がしたが、顔を向けると、通路の向こうでも似た響きがした。
「また、聞こえました」
今度は立ち止まる前に言えた。
セナも足を止め、こちらを見た。
「同じ音?」
「似ています。でも、どっちからかは分かりません」
ベックが少し待ってから、一歩だけ進んだ。靴底が石を擦り、短く響く。
「これか」
「……今のは、違う気がします」
言ってから、何度も人を止めているのが申し訳なくなった。俺だけが気にしている音で、何でもないのかもしれない。
セナは俺の板を覗き、最初の印を指した。
「一つにまとめず、ここでも聞こえたと残しましょう。立っていた位置も、できるだけ」
彼女は測った距離と壁の形から、二つ目の印を置く場所を示した。どちらも、左の壁が緩く膨らんだ区間に近かった。ただ、通路の幅もそこで変わっている。何が関係しているのかは分からなかった。
「壁の向こうが、空いてるとか?」
テッサが声を落とした。
俺も一瞬、それを考えた。だが、岩潜りが左にいると思って右から出てきたときのことが、すぐに浮かんだ。
「そうなら面白いけど、今は分からない」
「通路の形で、音の返り方は変わる」
ガレスが後ろから言った。
「向こうに何かある場合もあるが、それだけで壁を壊し始めるなよ」
俺は頷いた。壊す道具も持っていなかったが、持っていたら確かめたくなったかもしれない。
その先では、靴音は聞き慣れた響きに戻った。そう思うのも、さっきまでの音を気にしているからなのかもしれなかった。俺はもう一度止める代わりに、板へ「この先では気にならず」と書き添えた。
曲がり角を越えると、入口の開口部が見えた。
帰る方向から描いておいた輪郭を見て、実際の壁と照らし合わせる。片側が斜めに張り出した形は同じで、通れる幅にも目立った違いはなかった。
梯子の下へ戻り、上の見張りの返事を聞いたとき、肩に入っていた力がようやく抜けた。
荷物を先に上げ、順番に登る。俺は途中で下を見た。灯りを持ったガレスが、最後の確認をしている。さっきまで歩いていた空間は、上から見ると、ただ暗い穴の底にしか見えなかった。
地上へ出ると、風の音が大きかった。
作業小屋で報告をまとめながら、俺は記録板の二つの印を見直した。魔物を見つけたわけでも、隠れた道を見つけたわけでもない。妙な音を聞き、場所を二つ書いただけだった。
セナはその板を、ほかの測量記録と並べた。
「次は、この区間も確認します」
「俺の荷物が鳴ってただけかもしれませんよ」
「その可能性も含めてです。同じ場所を別の人が歩けば、分かることがあるかもしれません」
彼女は二つの印の脇へ、俺の名前を書いた。
「音がした場所ではなく、ノルが音を聞いた場所。この違いは残しておきます」
俺はその書き方を見て、ようやく頷けた。
帰り道、テッサが腰の紐を結び直した。棍棒が盾へ触れない位置に収まったのを確かめ、俺を見る。
「これで次に鳴ったら、私のせいじゃない可能性が増えるね」
「まだ俺の荷物が残ってる」
「帰ったら揺すってみたら?」
俺たちは袋を持ち上げ、歩きながら少し揺らしてみた。留め具が鳴り、記録板が中で擦れた。どれも似ているようで、あの音とは違う気がした。
確信は持てなかった。
宿へ戻ったら、一つずつ荷物を出して確かめてみようと思った。次にあの場所を歩くとき、今日より少しでも、何を聞いているのか分かるように。




