第21話 地図の空白
翌朝、《鉄輪》へ持ち込まれたテッサの盾を見て、ドランは最初に裏返した。
俺は縁の傷を見てもらうものだと思っていたが、彼が確かめたのは持ち手と、その周りの留め具だった。盾を押さえ、革帯を引き、傷の近くを指で叩く。
「何を受けた」
「岩潜りの頭。少しだけ」
「少しでこれか」
テッサは答えず、俺を見た。俺に聞かれても、受けた量の数え方は分からない。
「その前に、人を載せて運びました」
俺が付け加えると、ドランはもう一度、裏側を見た。
「留め具も緩んでる。縁だけ直して終わりにはできんな。置いていけ」
「今日、使える?」
「使いたいなら、今日は置いていけ」
テッサは素直に手を離した。
店を出ると、いつも盾がある場所へ、彼女の手が一度伸びた。背中が軽いのに落ち着かないらしく、肩を回している。
「今日は、後ろから押されても分かりやすいな」
「押さないでよ」
「まだ何もしてない」
「考えてる顔だった」
その判断が合っているかは、黙っておいた。
ギルドでは、採石場の仕事の報酬を受け取った。依頼を終えた分と、途中で中止になった分が分けて説明され、救助補助については別の記録と照合された。机に並べられた銅貨を見てから、テッサはドランに渡された修理の控えを見た。
「全部は消えないね」
「よかったな」
「うん。全部消えないのは、いいこと」
少し前なら、もっと残る仕事を探そうと話していたと思う。俺は財布の口を締め、次の依頼を見る前に、治療室へ寄ることにした。
ラズは脚を固定され、寝台で上半身を起こしていた。俺たちを見ると、毛布の上で手を握った。
「盾、悪かった」
「直してもらってる」
「金は、働けるようになったら――」
「まず、歩けるようになってからでいいよ。修理代も、まだ決まってないし」
テッサが言った。ラズは何か言いかけ、結局、頷いた。
長居はしなかった。帰り際、彼は俺たちが今日も採石場へ行くのかと尋ねたが、そのときはまだ決まっていなかった。
廊下へ出たところで、ベックに呼び止められた。
「地図を見てほしい。昨日までの記録と、古い図面を合わせてる」
案内された部屋には、採石場で会った調査員がいた。机の上に何枚もの紙が広げられ、その端を石の重しで押さえている。
「名前を言っていませんでしたね。セナです。今回の調査の取りまとめをしています」
俺とテッサも名乗った。何度も顔を合わせていたのに、名前を知らないままだったことに、今さら気づいた。
セナが二枚の図面を並べた。一枚は俺たちが穴を記録したもの。もう一枚は、端が茶色く変わった採石場の古い図面だった。
「こちらには、昔使っていた坑道が載っています。ただし、最後に書き直されたのが七年前です」
俺は救助に入った坑道を探した。入口から曲がり角まで線をたどると、見覚えのある道具置き場の窪みがあった。その先にも道は続いていたが、途中で太い横線が引かれている。
「ここで終わりですか」
「採掘をやめた位置だそうです。岩の質が変わって、建材に向かなくなったと記録されています」
セナは、その先の白い部分へ指を置いた。
「何も描いてありませんが、何もないと確認した場所ではありません」
昨夜、ギルドで見た周辺図を思い出した。大きな地図にも、小さな地図にも、分からない場所は残っている。
「そこまで調べに行くんですか」
「専門班が、手前から順に。人が掘った範囲と、今回できた穴を分けて記録します。岩潜りがどこを通ったのかも、まだ確かめる必要がありますから」
ベックが俺たちの図面を引き寄せた。
「お前らに頼みたいのは、外の記録と、確認済みの場所までの資材運びだ。見た場所の説明もしてもらう。奥へ進む班には入れん」
テッサが背中を指した。
「今日、盾がないんだけど」
「だから外の仕事だ。近くに魔物が出たら、道具を置いて退く。昨日まで以上に、その線を分ける」
俺は依頼の内容を最後まで聞いてから、テッサを見た。彼女もこちらを見て、頷いた。
昼前に着いた採石場には、新しい札が立っていた。
入口で名前と人数を記録され、戻ったときも同じ場所へ報告するよう言われた。坑道へ入る班は、灯りと縄を二度確かめている。昨日、救助に来た槍の男もいた。
俺たちは、前に記録した穴をセナと回った。近づけない場所は遠くから示し、昨日との違いを板へ書き足す。
「ここが最初に崩れたところです。そのときの柵は、もっと奥でした」
説明しながら、俺は足元を見た。何も感じない。だが、それを安全という意味では書かなかった。
午後、古い坑道の入口まで、替えの灯りと杭を運んだ。中から戻った班が、確認した範囲を図面に書き込んでいる。柱の傷や崩れた場所まで記され、俺たちが通った細い隙間にも線が加わった。
「ここ、こんなに曲がってたんだ」
テッサが覗き込んだ。
「担架を持ってたときは、もっと長く感じた」
「私は、もっと狭かった」
同じ場所を通っても、覚えている形は少し違っていた。俺たちは記録を描いた男に位置を確かめ、入口から見える柱と照らし合わせた。
日が傾き始めた頃、奥を調べていた班が戻ってきた。
先頭の男は水を飲んでから、セナの前にしゃがみ、古い図面を指した。
「採掘を止めた壁までは行けた。その下が抜けてる」
セナが膝をつき、図面を押さえた。
「岩潜りの通り道ですか」
「かもしれん。崩れた石の下に、斜めに下りる隙間がある。向こうは広そうだが、足場を確かめられなかった。今日は降りてない」
男は紙の空白へ、短い線を一本だけ引いた。それより先は描かなかった。
セナは線の横に時刻と報告者の名を書き、翌日の調査に必要な道具を聞き始めた。縄梯子、灯り、足場を確かめる棒。俺は言われたものを控え、明日運ぶ荷物の数を確かめた。
最後に図面を畳むとき、新しい線がもう一度見えた。
昨日まで追っていたのは、地面に開いた穴だった。その下へ降りるための支度が、今、俺たちの目の前で始まっていた。




