第19話 狭い通路
石を握った手に、汗が溜まっていた。
入口の明かりを背にした岩潜りは、頭を低くしたまま動かなかった。休んでいるのか、こちらの動きを待っているのかは分からない。朝、ラズが動かなかった相手をどう見誤ったかを思い出し、俺は握り直すだけにした。
背後では、作業員たちが担架を柱の裏へ入れていた。布の端を折り、持つ位置を変えて、細い通路に沿わせる。ラズの脚をぶつけないよう進めるため、どうしても時間がかかった。
ベックはその様子を確かめ、入口右手の石屑を指した。
「あそこへ投げろ。身体には当てるな」
俺は柱の陰から腕だけを出し、石を放った。
石屑に当たって乾いた音がした。岩潜りの頭がわずかに向いたが、身体は動かなかった。
俺がベックを見ると、彼はもう一つ拾うよう指を動かした。
「今度は、少し奥だ」
二つ目は狙いより手前に落ちた。転がった石が別の石を弾き、音が重なる。
岩潜りが前脚を踏み替えた。頭を向けた方へ肩がずれ、塞がれていた入口の左側が少し開いた。
「進め」
ベックの声で、担架が動いた。
俺は次の石を拾ったが、すぐには投げなかった。音を出せば好きなところへ動かせるわけではない。一つ目にはほとんど反応しなかったし、二つ目も、どの音を追ったのかまでは分からなかった。
テッサは柱列の外側で盾を構え、担架と岩潜りの間を移動していた。相手を押し返すためではなく、万が一こちらへ向いたとき、負傷者の姿を隠す位置だった。
担架の前側が、入口近くの張り出した石を越えた。
そのとき、後ろを持つ作業員の靴が砂利を滑らせた。
岩潜りが頭を戻した。
「止まれ!」
ベックが叫んだ。担架が止まり、テッサが柱の陰へ寄る。岩潜りは頭を振り、こちらへ身体を向けようとした。
俺は握っていた石を投げかけたが、ベックに腕を押さえられた。
「今、近くへ落とすな」
岩潜りの前脚が床を掻いた。灰色の背が持ち上がり、柱の間から見える担架の方へ向き直る。
俺は足の下に震えを感じたが、それより先に、地面を掻く爪が見えていた。気づけることと、役に立てることは違った。
「盾を見せろ。叩いたら、柱の後ろへ引け」
テッサが短く頷いた。
盾の縁を棍棒で打ち、すぐに下がる。
岩潜りが踏み込んだ。頭が柱の脇を抜け、盾のあった場所へ突き出される。肩の硬い板が張り出した岩に当たり、石を擦る音が響いた。
通れると思った幅より、身体の方が大きかったらしい。前脚が床を掻き、頭が左右に振られた。
「今だ。担架を出せ!」
作業員たちが動いた。
俺は入口へ回り、外から差し伸べられた手に担架の前側を渡した。外で待っていた人たちが受け取り、後ろ側も続く。ラズの顔が日差しの下へ出たとき、ようやく一人を外へ運べたのだと分かった。
まだ、テッサとベックが中にいた。
岩潜りは少し身体を引き、前脚で壁際の土を掻き始めていた。最初から通れないわけではない。通れるようにするつもりなのかもしれなかった。
「ノル、離れろ!」
ベックの声で、俺は入口の左へ退いた。
外から、長い槍を持った男が一人入ってきた。背後には、同じ革の腕章を巻いたもう一人がいる。到着した応援だった。
「怪我人は出した! 右に一体、足元に注意しろ!」
ベックが状況を伝えた。槍の男は俺たちを先へ行かせ、自分は入口の脇へ立った。
テッサが下がろうとしたところで、岩潜りが頭を引き抜いた。身体を捻り、狭い隙間から口先を出す。柱の陰にいる彼女へ、横から回り込もうとしていた。
テッサは盾を斜めに置き、迫った頭を外側へ逸らした。
衝撃で盾の縁が削れ、彼女の靴が滑った。受け止めたのは一瞬だけだった。ベックが肩を引き、盾ごと柱の後ろへ退かせる。
頭の向きが変わったところへ、槍が伸びた。
刃先は背中の硬い板を避け、前脚の付け根へ入った。岩潜りが暴れ、槍の柄が大きく揺れる。男は無理に押さえ込まず、抜きながら横へ動いた。
ベックがその反対側へ回った。
剣が、持ち上がった頭の下へ入る。一度では倒れなかった。岩潜りは前脚を突っ張り、土へ潜ろうと身体を低くしたが、向きを変える先には張り出した岩があった。
もう一人の応援が長柄の道具を差し入れ、頭が向きを変えるのを妨げた。その短い間に、ベックがもう一度踏み込んだ。
俺には刃の入った場所まで見えなかった。テッサを連れて、入口から離れる方を見ていた。
背後で石の転がる音が続き、それがやんでも、ベックはすぐには戻ってこなかった。
俺たちは坂の手前まで下がった。
テッサは盾を置き、片膝をついた。俺が肩に手を伸ばすと、顔を上げて首を振る。
「転んでない。ちょっと、座りたいだけ」
「それ、膝をつく前に言ってくれ」
彼女は返事の代わりに息を吐いた。盾の縁には新しい傷が走っている。俺の短剣は、今日も鞘に入ったままだった。
少しして、ベックが応援の一人と出てきた。
「一体は仕留めた。ほかにいないとは限らん。入口から離れて待て」
誰も戻ろうとはしなかった。
ラズは担架の上で手当てを受けていた。ミトがその脇に座り、泥のついた両手を見つめている。俺たちに気づくと何か言いかけたが、ベックが先に口を開いた。
「経緯は、落ち着いてから全員で確認する。今は手当てを受けろ」
ラズは顔を背けず、小さく頷いた。
坑道の入口には見張りが置かれた。応援の二人が周囲を確かめ、もう一人が死骸の処置に入った。俺たちは指示された場所から動かず、呼ばれたときだけ布や水を渡した。
やがて、汚れた布を持った男が戻ってきた。布の中には、親指の先より一回り大きな灰色の石があった。一部が欠け、割れた面だけが鈍く光っていた。
「魔石だ。現場の記録と一緒に、ギルドへ回す」
ラズが欲しがったものだった。
俺はそれを見てから、担架と、傷のついた盾と、入口に立つ見張りを見た。石ひとつをここへ持ってくるまでに、何人の手が要ったのか数えかけて、やめた。
テッサは、いくらになるのかとは聞かなかった。
代わりに盾を持ち上げ、俺の方へ少し傾けた。
「帰るまで、半分持って」
俺は縁を掴んだ。二人で持っても、今日はずいぶん重かった。




