第18話 震えの向き
足の下の震えは、感じようとすると分からなくなった。
ラズの肩を支えている腕が震えているのか、地面から伝わっているのか。膝を少し曲げて立ち直しても、はっきりしない。奥で石が擦れる音だけは、ときどき聞こえていた。
ベックは俺たちの前に立ち、灯りの届く範囲を見ていた。剣先は低い。何かが見えたから構えているというより、どこから出ても動けるようにしているらしかった。
「どのくらい近い」
声を落として聞かれ、俺は首を振った。
「分かりません。さっきより強い気もしますけど」
「強いから近いとは限らん。分かったことだけ言え」
俺は頷き、余計なことを考えるのをやめようとした。そうすると今度は、何も言えなくなった。
入口側から、足音が近づいてきた。
「担架を持ってきた!」
作業員が二人、布張りの担架を抱えていた。ベックは片手を上げ、走らずに来るよう合図した。二人は俺たちの顔を見て声を落とし、窪みの手前に担架を置いた。
テッサが支えていた盾を、少しずつ水平に戻す。傷めた脚を作業員が受け持ち、俺たちはラズの身体を新しい担架へ移した。
盾の縁が腰から抜けるとき、ラズが息を詰めた。
「悪い、少し上げる」
俺が言うと、彼は目を閉じたまま頷いた。さっきまで剣の場所を気にしていた口元は、今は固く結ばれている。
移し終わると、テッサが盾を固定していた縄をほどいた。俺も片側を外し、棒を壁際へ寄せる。彼女は持ち手に腕を通したが、すぐに顔をしかめた。
「緩んだ?」
「ううん。腕が重いだけ」
そう言って握り直した。盾の裏には、ラズの服から移った血がついていた。
搬送の四人が担架を持ち上げた。その足が揃って動いたとき、靴底に細かな震えが伝わった。
俺は反射的に奥を見たが、震えは担架が止まると消えた。今のは人の足だったのかもしれない。
判断しかけたところで、右の壁の裾から土が落ちた。
「右、壁の下です」
ベックが視線を向けた直後、岩と土の境目が膨らんだ。硬い背中の一部が見え、石の欠片が通路へ押し出される。
俺たちが見ていた曲がり角より、ずっと手前だった。
「担架を先へ。走るな」
ベックが俺とテッサを後ろへ下げた。
灰色の前脚が一本、地面を掻いた。続いて楔のような頭が出る。岩潜りは身体を全部出し切らず、顎の下を床へ擦りつけるように動かした。
俺はその頭を見ていたが、足の下では別の震えを感じた。今度は左に近い気がした。
「もう一匹いるのか?」
聞かれて、答えに詰まった。
「分かりません。同じものが伝わってるだけかも」
ベックは左にも目を配りながら、下がるよう顎を動かした。一匹しか見えないことと、一匹しかいないことは違う。さっき自分でそう言われたばかりだった。
担架の後ろを追うと、テッサが柱を避けて身体を捻った。盾の縁が岩壁へ当たり、硬い音が坑道に響いた。
岩潜りの頭が、こちらへ向いた。
「下がれ!」
俺たちは柱の陰へ退いた。岩潜りが前脚を踏み込み、さっきテッサの立っていた辺りまで頭を突き出す。だが、柱と壁の間へ身体を入れきれず、肩の硬い板を擦らせた。
ベックは斬りかからなかった。俺たちとの間へ入り、相手が向きを変える前に、もう一つ先の柱まで下がった。
「今の、音に向いた?」
テッサが小声で聞いた。
「盾が当たったあとだった。でも、お前が動いたのを見たのかもしれない」
俺は答えながら、橋鼠と戦ったときのことを思い出した。あのときは相手の動ける場所を狭めた。今度の相手は、壁の下から出てきたばかりだ。同じようにできるとは限らない。
入口までは、もう少しだった。
担架の前を持つ作業員が、外へ向かって何か叫んだ。返事があり、外で砂利を踏む音がした。
岩潜りが頭を低くし、前脚で床を掻いた。
灰色の背が沈んでいく。俺は思わずその場所を指したが、口を開く前に姿が見えなくなった。
「止まるな。入口を空けてもらえ」
ベックの声に、担架がまた動いた。
足元の震えが、途切れながら続いていた。俺は歩幅を小さくした。右か左かを決めようとせず、何か変わるのを待った。
入口寄りの床で、小石が跳ねた。
「前です。石が動いた!」
担架を運ぶ四人が止まった。その先で土が盛り上がり、岩潜りの背中が地面を割った。朝、車輪を壊したときと同じように、前脚をついたと思った次の瞬間には、頭が大きく前へ出ていた。
担架が後ろへ戻される。ラズが声を上げたが、止まっていれば前の二人が巻き込まれていた。
入口の光の中に、灰色の身体が横たわった。外は見えているのに、その脇を負傷者ごと通れる幅はなかった。
テッサが盾を構えた。
「受けるなよ」
「分かってる」
ベックに答えたあと、彼女は小型棍棒で盾の縁を一度叩いた。
乾いた音が響いた。
岩潜りの頭が持ち上がり、こちらへ向き直った。テッサはすぐに柱の後ろへ下がり、俺も横へ退いた。爪が床を掻いたが、今度はすぐには突っ込んでこなかった。
「向いた」
「もう叩くな」
ベックは短く止めた。
俺はテッサの盾と、岩潜りの頭を交互に見た。壁にぶつけたときも、今も、音のあとに向きを変えた。地面へ伝わった震えなのか、耳に聞こえる音なのかは分からない。それでも、こちらの動きだけを見ているとは思えなかった。
「音か、震えを追ってるのかもしれません」
ベックは相手から目を離さずに聞いていた。
「かもしれんな。試すなら、向かわせる先を作ってからだ」
担架の後ろを持っていた作業員が、左の柱列を指した。
「あの裏なら、人は通れる。昔、壁際に道具を運んでた隙間だ。担架は縦にすれば通せる」
柱と岩壁の間には、確かに細い通路が続いていた。ただ、出口近くには崩れた石が張り出し、その先へ抜けるには岩潜りの脇を通る必要があった。
ベックは通路と担架を見比べた。
「まず、怪我人を柱の裏へ。盾はその外側につけろ」
俺は足元に落ちていた、拳ほどの石を拾った。投げて当てたところで、あの背中には傷ひとつつかないだろう。
ベックが俺の手を見た。
「まだ投げるな。場所は俺が言う」
俺は石を握ったまま頷いた。倒すために拾ったのではなかった。入口までの道を、ほんの少し空けたかった。




