第15話 岩の中を動くもの
翌朝、北採石場に来ていたのは、剣を持った討伐隊ではなく、革鞄を提げた調査員だった。
灰色の髪を後ろで束ねた女で、鞄の口からは細い鉄棒や刷毛の柄が覗いている。ベックから昨日の記録を受け取ると、穴の数より先に、崩れた時刻と、そのとき人が立っていた場所を確かめた。
「今日は石を割る作業を止めてもらっています。動いている荷車があれば、そちらも少し待たせてください」
調査員はそう言って、倉庫の方へ目を向けた。
昨日まで重なっていた槌の音がなくなると、採石場は思ったより広く感じた。遠くの話し声や、柵に結ばれた布のはためく音まで聞こえる。
俺たちの仕事は、昨日の記録を見ながら場所を案内し、調査で分かったことを書き足すことだった。穴へ入らなくていいのは、昨日と同じだ。
西の石置き場に着くと、調査員は柵の手前でしゃがみ、小さな鏡を長い柄の先につけた。角度を変えながら、崩れた縁の下へ光を送っている。
ラズが見つけた欠片は、まだ岩の窪みに残っていた。その横に並ぶ筋を見たところで、調査員の手が止まった。
「この辺り、古い発破の跡はありますか」
案内していた作業員が首を振る。
「ここは楔で割ってた。崩れた下までは掘ってない」
「では、こちらの筋は人の道具とは考えにくいですね」
彼女は俺たちにも見えるよう、鏡の向きを少し変えた。岩の表面に、幅の似た溝が何本も走っている。まっすぐ削ったというより、硬いものを押しつけたまま擦ったような跡だった。
「岩潜りか」
ベックが言うと、調査員はすぐには頷かなかった。
「可能性はあります。削れ方と、下から空洞が広がったような崩れ方は似ています。ただ、姿を見た人はいないんですね」
「今のところはな」
俺は穴を見た。昨日までは崩れた地面にしか見えなかった場所が、何かの通り道かもしれないと言われただけで、近づきにくくなった。
「岩潜りって、石の中を泳ぐんですか」
テッサが聞いた。
「水のように抜けるわけではありません。岩や土を削って、地中を移動する魔物です。通ったあとに空洞が残れば、上の地面が落ちることもあります」
「じゃあ、この穴が入口で、あっちが出口とか」
ラズが二つの穴を指した。
「そう決めるのは早いです。同じ空洞の天井が、別々に落ちただけかもしれません」
調査員はミトの板を指し、穴同士を結びかけた線を止めさせた。
見えていないところまで繋ぐと、図面は分かりやすくなる。正しいかどうかは、別の話だった。
調査員は先端の曲がった採取棒を伸ばし、柵の内側へ身体を出さずに、窪みの欠片を引き寄せた。地面に敷いた布へ落とすと、ラズが思わず一歩近づく。
「それ、魔石ですか」
刷毛で土を払うと、欠片には灰色の濁りが残った。俺には、少し変わった石にしか見えなかった。
「魔石の欠片と思われます。ただ、これだけで魔物の種類まで決めることはできません。持ち帰って確認します」
「売れるんですか」
テッサとラズの声が重なった。
テッサが先に口を閉じ、ラズが続きを引き取った。
「岩潜りのだったら、いくらくらいに?」
「大きさや状態次第です。まとまった大きさなら買い取りの対象になりますが、こんな小さな欠片と、傷のない魔石を同じには扱えません」
調査員は欠片を紙で包み、発見場所を書きつけた。
「これは調査のために預かります。今回の依頼で自由に持ち帰っていい品ではありませんよ」
ラズは頷いた。それでも、包みが鞄に入るまで目で追っていた。
昼の休憩は、穴から離れた作業小屋の脇で取った。
俺が包みからパンを出すと、隣でラズが剣の鞘を膝に載せた。口の革が擦り切れ、紐で巻いて補強してある。
「剣を買ったときは、これで仕事が増えると思ったんだけどな」
「増えなかったのか」
「受けられるのは増えた。でも、二人で割って、飯を食って、研ぎに出すと大して残らない」
そこは俺にも分かった。短剣の刃を直してもらってから、石や金具にぶつけないよう、前より気を遣うようになった。刃物は買ったあとも金を取る。
「魔石ひとつで、その辺が楽になるならさ」
ラズは穴のある方を見た。
ミトがパンを噛み終えてから、記録板の端で自分の膝を叩いた。
「値段は分からないって言ってただろ」
「まとまった大きさなら売れるとも言ってた」
「まとまった大きさの魔石を持ってるものが、下にいるんじゃないの」
テッサに言われ、ラズは苦笑した。
「分かってるって。今から穴に飛び込むわけじゃない」
俺は何も言わず、腰の短剣の位置を直した。橋鼠を相手にしたときでさえ、壁とテッサの盾がなければ、どうなっていたか分からない。相手が地面の下にいるなら、壁があるから安心とも言えなかった。
午後は、穴の周囲を広く通行止めにするため、杭と縄を運んだ。
俺は歩くたびに足裏を気にしていた。小石を踏めば立ち止まり、荷車の軋む音がすると振り返る。一度、地面が震えた気がして声を出しかけたが、作業小屋の向こうで、空の樽が転がされているだけだった。
「分かった?」
テッサに聞かれ、俺は首を振った。
「何か感じても、それが何なのか分からない」
「全部分かったら、調査員の仕事もできるね」
「まず、樽を見分けるところからだな」
彼女は笑ったが、俺が立ち止まると、自分も足を止めてくれた。
最後の杭を打つ前に、ベックが調査員と戻ってきた。通行止めの範囲は、朝よりさらに広くなった。古い坑道の入口にも、横木に加えて新しい縄が張られる。
「岩潜りで決まりですか」
俺が尋ねると、ベックは首を振った。
「まだ候補だ。分かるまでは、下に何かいるつもりで扱う」
ミトが記録板に書き足す横で、ラズは坑道を見ていた。横木の向こうには、立って歩けそうな暗がりが続いている。崩れた穴より、ずっと入りやすそうだった。
ベックはその視線に気づいたのか、縄の結び目を引いて確かめた。
「ここも立入禁止だ。穴とは別だと思うなよ」
ラズは素直に返事をした。俺も頷き、持っていた杭を地面へ置いた。
今日の記録には、魔物の名がひとつ増えた。その後ろには「可能性」と添えられている。
何がいるか、まだ分からない。それでも、昨日まで人が歩いていた道を閉じるには、十分な理由だった。




