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第12話 人間の方が怖い

「それ、造幣所に持っていくのか?」


 荷車の男は、イーヴの布包みを見ていた。俺たちは料金箱を調べていたとしか話していない。中から銅貨が出てきたことは、一言も伝えていなかった。


「市へ持ち帰ります」


 イーヴはそう答え、包みを胸元へしまった。


「二人とも、戻ろう」


 歩き出した俺たちを、車輪の軋む音が追ってきた。男は橋の中央を通って先へ出ると、荷車を斜めに止めた。荷台と欄干の間には、人が一人通れるほどの隙間しか残っていない。


「待てよ。まだ話してるだろ」


 男が取っ手を置き、こちらへ向き直る。右手は腰の鉈にかかっていた。


 テッサが背中の盾を外した。俺も短剣の柄へ手を伸ばす。


「包みを置いていけ。それで終わる」


 世間話は、もう終わっていた。


 男の目が俺の胸元へ落ちる。銅札を見た口元が、わずかに歪んだ。


「新人か。だったら余計なことするな」


 橋鼠は、俺が新人だと知って脅してきたりしなかった。それだけで、目の前の相手がひどく嫌なものに思えた。


「イーヴさん、後ろに」


 テッサが盾を構える。俺はその半歩後ろで短剣を抜いた。


 町側には人影が見える。ただ、こちらを見ている者はいない。


「誰か! 番兵を呼んでください!」


 声を張ると、男が舌打ちして鉈を抜いた。


「騒ぐな!」


 怒鳴り声と一緒に踏み込んでくる。鉈が盾を叩き、テッサの靴底が石の上を滑った。


「ノル、倒さなくていいよね」


「うん。向こうへ抜ける」


 勝たなくていい。そう口にすると、相手の刃ばかり見ていた目を、ようやく周囲へ向けられた。


 荷車の脇を通れないかと横へ動く。男も同じ方向へ足をずらし、鉈の先をこちらへ向けた。


 逃げたい場所を見られている。


 俺が止まると、男はまたテッサへ向き直った。盾の上へ鉈を持ち上げる。テッサが身を縮めた、その瞬間だった。


 男は振り下ろさず、盾の外側へ踏み出した。


 狙いはイーヴだった。


「後ろ!」


 叫ぶより早く、男の左手がイーヴの襟を掴んだ。布包みのある胸元へ引き寄せようとする。


 俺は咄嗟にイーヴの腕を引いた。男の肘が肩へぶつかり、痛みで息が詰まる。目の前を鉈が横切った。


 何か考えて避けたわけじゃない。足がもつれて沈んだだけだった。


「離れて!」


 テッサの盾が割って入った。男の腕を押し戻しながら、俺たちとの間へ身体をねじ込む。


 イーヴの襟が裂け、男の手から外れた。


「町側へ! 今!」


 男が盾を押し返そうとしている間に、俺はイーヴと荷車の脇へ走った。肩が痛む。短剣を握る手にも、ほとんど力が入らなかった。


 隙間を抜けたイーヴが、荷車の取っ手を掴む。


「少し動かす!」


 車輪が軋み、荷台が回った。俺も車体を押すと、欄干との間が広がる。


 振り返った先で、テッサはまだ男と向き合っていた。盾の端を掴もうとする手を振り払い、一歩ずつ下がっている。


「テッサ、こっち! 足元に車輪!」


「分かった!」


 男が追いすがる。俺は荷台の陰から短剣を向けた。


 腕が震えて、切っ先が定まらない。それでも男は、テッサだけを見て踏み込むのをやめた。


 その間に盾が隙間を通り抜ける。


「抜けた!」


 イーヴと二人で荷車を押し戻した。男の鉈が荷台の縁を叩く。俺たちは手を離し、町側へ走った。


 背後で足音がする。振り返りたかったが、テッサの盾がすぐ隣で揺れていた。イーヴも前を走っている。今はそれだけ確かめればよかった。


「番兵を! 刃物を持ってる!」


 イーヴの声に、橋のたもとの御者が立ち上がった。近くの作業員もこちらを見る。


「おい、どうした!」


 背後の足音が止まった。


 振り返ると、男は橋の途中に立っていた。集まり始めた人々を見て、鉈を下ろす。そのまま荷車も置いて、料金所の方へ走り去った。


 追おうとは思わなかった。


 息を整えるだけで精一杯だった。


 ◇


 事情を聞きに来た番兵へ説明する間も、右手の震えは止まらなかった。短剣を鞘へ戻そうとして、口を一度外す。


「ゆっくりでいい」


 イーヴに言われ、ようやく収めた。


「肩は?」


「動きます。痛いですけど」


「俺を引っ張った時だな。すまん」


「イーヴさんは?」


「服だけで済んだ」


 裂けた襟の下から、布包みが出てきた。紐はほどけていない。


 テッサは盾を地面へ置き、鉈の当たった箇所を指でなぞっていた。


「こっちは傷が増えた」


「腕は大丈夫か?」


「今は平気。明日は文句言うかも」


 俺の肩は、もう文句を言っている。


 少し笑うと、ようやく深く息が吸えた。


 報告と簡単な手当てを終えた頃には、昼を大きく過ぎていた。ギルドで肩を診てもらい、今日は重いものを持つなと言われる。


 短槍を買うために働いているのに、その前に身体の修理代まで増やしたくなかった。


 ◇


 翌日、ミラから事件の経過を聞いた。


 男は昨夜、町へ戻る別の道で番兵に捕まったらしい。俺たちが伝えた服装と顔つきが、手掛かりになったという。


 料金所の点検口の奥からは、同じ刻印の硬貨や製造途中の失敗品が見つかった。持ち帰った三枚も、造幣所の検査で偽貨と確認されたそうだ。


「来年流通させるつもりで、試作品を作っていたと話しているそうです」


「だから、来年の日付だったんですか」


「はい。古い料金箱では、重量の判定を通るか試していたようですね」


 魔法の検査部分は止まっていても、重さを選り分ける仕組みは残っていた。人の来ない古い設備なら、何度試しても目立たない。


 それが、橋鼠に工具を盗まれたことから見つかった。


「橋鼠に捕まったようなもんだね」


 テッサが言った。


「噛まれるより高くついたな」


 未来から届いた銅貨ではなかった。ただ、来年の金を騙し取ろうとした人間がいただけだ。


 俺は、イーヴへ伸びた男の手を思い出した。


 盾を叩いてこちらの目を引き、その外側を抜けてきた。俺たちが誰を守っているのか、ちゃんと見ていた。


「橋鼠より怖かった」


 口にすると、テッサも頷いた。


「盾、見てくれないんだもん」


 ミラは報告書から顔を上げた。


「それでも、イーヴさんと一緒に戻ってきました。護衛補助の仕事は果たしています」


 渡された報酬は、約束通り一人十二枚だった。


 硬貨を袋へ落とす。いつもなら短槍にどれだけ近づいたか考えるところだが、今日は先に、三人とも自分の足で帰れたことを思った。


「次、どうする?」


 受付を離れると、テッサが聞いた。


「仕事内容が、はっきりしてるやつ」


「運ぶ物が途中で偽金にならない仕事?」


「それがいい」


 依頼板の前で、俺は一枚の紙に目を留めた。


《北採石場・資材搬送》


 運ぶのは縄と杭、それから作業用の道具。行き先も荷物も、最初から書いてある。


「肩、平気?」


「明日の朝、動かしてから決める」


「じゃあ私も、その時にする」


 俺たちは集合時間を確かめ、依頼票を元へ戻した。


 今日は飯を食って休もう。明日の仕事を選べるくらいには、無事に帰ってこられたのだから。

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