第11話 来年の銅貨
来年の日付が刻まれた銅貨を布に包むと、イーヴは工具箱から細長い鍵を取り出した。
先端には小さな歯が三本あり、横のつまみを動かすと位置が変わる。
「それで開くんですか?」
「古い設備用の点検鍵だ。型に合わせて調整する」
テッサが手元を覗いた。
「高そう」
「銀貨六枚。市の備品だから、なくすと面倒だぞ」
俺は工具箱を少し遠ざけた。うっかり蹴って中身を散らすには、値段を知りすぎてしまった。
イーヴは料金箱の側面から苔を落とし、小さな鍵穴を露出させた。刻印と鍵を見比べ、歯の位置を変える。何度か試すと錠が鳴り、側板が開いた。
中には歯車と小さな金属皿、その奥には文字のような模様が刻まれた陶板が収まっていた。硬貨を入れるだけの箱にしては、ずいぶん部品が多い。
「まず、この皿で重さを見る。大きさは通る穴で、それから模様を調べる部分もある」
イーヴが細い棒で、部品を順に示した。
前世の自動販売機を思い出した。金を入れる口しか見ていなかったが、あれも中ではいろいろ調べていたのだろう。
「模様まで分かるんですか?」
「そのための陶板だな。ただ、こっちは今は動いていない。魔力を供給する部分が外されてる」
「じゃあ、さっき動いたのは?」
「硬貨自身の重さで動くところだ。軽すぎるものは奥へ送らず、返却側へ落とす」
棒の先が、受け皿へつながる細い溝を辿った。
途中で、硬いものを擦る音がした。
「何か引っかかってます?」
聞くと、イーヴは棒を止めた。
「ああ。手応えがある。灯りをこっちへ向けてくれ」
工具箱から出した小さな灯りを、指示された角度へ持ち上げる。溝の中に、重なった金属の縁が見えた。
イーヴが一本ずつ位置をずらすと、銅貨が受け皿へ落ちた。続けてもう一枚。どちらにも、一二六八年と刻まれていた。
「中に入ってたんだ」
テッサが箱と銅貨を見比べた。
「少なくとも、この二枚はな。最初の一枚も、さっき投入口を触った振動で詰まりが緩んだんだろう」
未来から届いた金というより、返ってこなかった金だったらしい。
そう思うと安心したが、刻印の年が変わるわけではない。
「誰かが入れたんですよね」
「ああ。いつ入れたかは分からないが」
イーヴは三枚を布へ並べた。手袋をした指で一枚を持ち上げ、眉を寄せる。
「軽い気がする」
自分の財布から普通の銅貨を出し、持ち比べた。それから工具箱に収めてあった小さな天秤を組み立てる。
片方に普通の銅貨、もう片方に来年の日付の銅貨を載せると、皿が傾いた。
普通の銅貨を別の一枚に替えても、結果は同じだった。箱から出た三枚は、いずれも軽い。
「偽物?」
テッサが聞いた。
「疑いはある。正式に調べるのは造幣所だな。俺は硬貨の専門家じゃない」
「箱が返したのも、軽かったから?」
「その可能性が高い。ただ、設備の方も古い。これだけで正しい判定だったとは言い切れん」
来年用の硬貨なのか、刻印を間違えたものなのか。それとも、誰かが勝手に作ったものなのか。
イーヴは結論を出さず、天秤の結果と発見枚数を書き留めた。
俺は開いた箱を見た。
誰かが、ここへ三枚以上の銅貨を入れた。その銅貨は受け付けられず、途中で詰まった。
箱の動きが分かるほど、今度はそれを使った人間のことが気になった。
◇
料金箱の点検を終えると、イーヴは側板を閉じ、錠を確かめた。
「周りの壁も見ておく。工具箱を頼めるか?」
俺は箱を持ち、テッサと一緒に建物の脇へ回った。
道に面した側とは違い、こちらには背の高い草が茂っている。壁際は水が染み出しているのか、土の色が濃かった。
その中を、細い筋のように草が倒れていた。
「ここ、通れそうです」
俺が示すと、イーヴは足元を見ながら近づいた。倒れた草は、橋の縁まで続いている。
イーヴが蔦をかき分けると、石へ固定された鉄の梯子が現れた。
「残ってたか」
「知ってたんですか?」
「古い図面に点検口があった。現物を見るのは初めてだ」
彼が指した先には、水面より高い位置に細い足場があった。その奥、料金所の下に小さな扉が見える。
「設備の裏へ回るための通路だな」
テッサが盾の位置を直した。
「降りて見る?」
「今日は降りない。梯子が使えるかも分からん」
イーヴの返事に、俺も頷いた。上から見ただけでも、足場の幅が心細い。
梯子の上端には錆が浮いていたが、一部だけが擦れたように明るかった。草の倒れた筋も、ちょうどその場所へ続いている。
「誰かが使ったんでしょうか」
「その可能性はある。管理してる部署に、最近点検したか聞いてみる」
イーヴは触れずに位置を記録した。
作業員かもしれない。通りかかった誰かが覗いただけかもしれない。銅貨を入れた人間と同じなのかも、まだ分からなかった。
ただ、閉鎖されているから誰も近づいていない、とも言えなくなった。
「今日はここまでにしよう」
イーヴが紙を畳んだ。
「硬貨は市へ渡す。点検口の確認も、人と道具を揃えてからだ」
俺たちは建物の正面へ戻り、忘れ物がないか確かめた。工具を箱へ収め、三枚の銅貨は布に包んで紐を掛ける。
旧料金所は、来たときと同じように静かだった。
それでも、塞がれた扉の向こうより、誰でも触れられる料金箱の投入口の方が気になった。
◇
橋を町側へ戻り始めると、一台の荷車が向かってきた。
引いているのは三十代くらいの男だった。荷台には麻袋が三つ積まれ、腰には短い鉈を下げている。
俺たちが道を空けると、男はイーヴの工具箱を見た。
「料金所の箱、直してるのか?」
「調査中です」
イーヴが答えた。
「あんな古いもの、まだ使えるのかね」
「それも確認しているところです」
男は料金所の方を見てから、俺たちへ目を戻した。愛想のよい笑みを浮かべているが、荷車は止まったままだった。
「何か出てきたか?」
「調べたことは、市へ報告します」
イーヴはそれだけ答え、歩き出した。
俺とテッサも続く。すれ違うとき、男の視線が工具箱からイーヴの手元へ移ったように見えた。
布包みは、外から中身が分かるようなものではない。
数歩進んだところで、後ろから声がした。
「なあ」
振り返ると、男は荷車の柄から片手を離していた。
さっきの笑みは消えている。
「それ、造幣所に持っていくのか?」
イーヴの足が止まった。
俺たちは、調査中だとしか説明していない。布の中身が銅貨だとも、刻印や重さがおかしいとも話していなかった。
テッサがイーヴの横へ半歩寄った。俺は男から目を離しすぎないようにして、町へ続く道を確かめた。
橋の先には人影がある。けれど、声を掛けるには、まだ少し遠かった。




