第10話 二十年前の料金所
朝の鐘が一つ鳴る前にギルドへ着くと、テッサは受付の近くで待っていた。隣には、足元へ大きな工具箱を置いた若い男がいる。
「ノル?」
男に聞かれ、頷いた。
「イーヴ。市の設備係だ。今日はよろしく」
腰には剣ではなく、金槌や細い棒が何本も差してあった。テッサがそれを眺める。
「戦えます?」
「設備とは、毎日やり合ってる」
「魔物は?」
「そっちは任せたい」
俺たちも、任され慣れているわけではない。
ミラが管理札と依頼の書類を渡すと、イーヴは内容を確かめ、工具箱へしまった。
「まず、これがあった場所を教えてくれ。その後で料金所を見る。中へ無理に入るつもりはないから」
昨日聞いた仕事の範囲と同じだった。俺たちは頷き、ギルドを出た。
◇
橋へ向かう途中、俺は気になっていたことを聞いた。
「札には第三水道橋って書いてありましたけど、西水道橋とは別なんですか?」
「同じだよ。市の記録では第三水道橋。西にあるから、みんな西水道橋って呼んでる」
別の橋から札が運ばれてきたのかと思っていたが、そうではないらしい。
現場では作業員に鍵を借り、保守通路へ下りた。
一昨日と同じ場所へ灯りを掛け、俺とテッサで周囲を確かめる。橋鼠の姿は見えず、巣の跡には木くずと布が残っていた。
「札はこの辺りです。工具に混じっていました」
テッサが指すと、イーヴは通路の形と、壁際に開いた小さな隙間を見比べた。
「運び込めるところは、いくつもありそうだな」
「料金所から来たんでしょうか」
「それは、まだ分からない。別の場所に落ちていた札を拾っただけかもしれないし」
イーヴは紙に簡単な見取り図を書き、深追いせず引き返した。
地上へ戻って橋沿いに歩くと、石造りの小さな建物が見えてきた。人や荷車が通る道に面し、窓は板で塞がれ、木の扉には太い金具が渡されている。
「これが旧料金所?」
テッサが見上げると、イーヴが頷いた。
「二十一年前に橋が無料になって、そのまま閉めた」
使われなくなってから、俺が生きてきた年数より長く経っている。
壁には蔦が伸び、扉の下には枯れ葉が溜まっていた。その脇に、銅色の金属箱が壁へ埋め込まれている。
上の石板には、文字が残っていた。
《渡橋料 一人二枚》
料金の部分には、深く横線が刻まれている。
「昔は、渡るたびに払ってたんだ」
テッサが言った。
「補修費に充ててたらしい。今は別の予算で直してる」
「往復したら四枚?」
「当時の扱いまでは知らないな」
テッサは橋の向こうを見てから、もう一度料金の文字を見た。
「無料になってよかった」
昨日まで俺たちが運んでいた石や木材にも、どこかから金が出ている。そう考えると、橋はただそこに立っているわけではないらしかった。
◇
イーヴはまず、扉と窓を調べた。
金具の錆、板の釘、壁との隙間を順に見ていく。俺は工具箱を建物の脇へ運び、テッサは道を行き来する人や、草の茂った足元へ目を配った。
「ここから人が出入りした感じは、あまりないな」
イーヴが扉の下を覗き込んだ。
「鼠なら入れます?」
「隙間があればな。ただ、この札が中にあったという証拠もない。まず、傷んでないか記録しておく」
管理札一枚から、すぐ答えが出るわけではないようだった。
俺は扉の横の金属箱へ目を向けた。
上には硬貨を入れる細い口があり、下には小さな受け皿が付いている。表面は黒ずんでいたが、角にはまだ金属の色が残っていた。
「これは、銅貨を入れる箱ですか?」
「そうだと思う。刻印を見せてくれ」
イーヴは苔を布で拭った。箱の縁に、細かな文字と記号が現れる。
それを見ると、彼は工具箱から別の紙を取り出した。
「古い規格だな。こういうのが残ってるとは思わなかった」
「直せるんですか?」
「壊れてるかどうかも、まだ分からないよ」
イーヴは笑いながら、刻印を書き写した。
さっきまで扉を見ていたときより、少し楽しそうだった。職人には職人の、気になるものがあるらしい。
俺もしゃがみ、受け皿を覗いた。
黒ずんだ表面を横切るように、細い線が何本か走っている。その部分だけ、色が明るかった。
「この傷、ほかより新しく見えますね」
イーヴが手を止めた。
顔を近づけ、角度を変えて光の当たり方を確かめる。
「確かに、ここは地金が出てる」
「最近使ったってこと?」
テッサも覗き込んだ。
「硬い物が擦れた跡には見える。でも、これだけじゃ、いつ何が当たったかまでは分からない」
イーヴはその傷も書き留めた。
彼は薄い金具を取り出し、投入口の縁へ浅く差し込んだ。固着した部分がないか、わずかに動かして確かめる。
箱の中で、小さく何かが鳴った。
「動くんですね」
「口の部分はな。硬貨を選別する設備だと思うけど、中は開けてみないと分からない」
イーヴは金具を抜いた。
そのとき、橋を渡る荷車が目に入った。車輪が石の継ぎ目を越えるたび、足元へかすかな震えが伝わってくる。
昨日はギルドの床でも、似たことが気になった。
荷車が通れば揺れる。それだけのことなのに、今日は靴底に残る感触が妙にはっきりしていた。
「ノル、そこの布を――」
イーヴの声が止まった。
箱の中から、また音がした。
今度は一度ではない。何かが引っかかりながら転がるような音が続き、俺たちは揃って受け皿を見た。
銅貨が一枚、落ちてきた。
皿の上で跳ね、縁にぶつかって止まる。
「……誰か入れました?」
俺が聞くと、テッサが首を振った。
「入れてない」
「さっき触ったせいで、何か外れたのかもしれない。まだ手を出すな」
イーヴは箱から少し離れ、もう何も落ちてこないことを確かめた。それから革手袋を着け、銅貨を拾い上げる。
「閉めたときの取り忘れかな」
テッサが言った。
俺もそう思った。二十一年前の金なら、珍しいものなのかもしれない。
だが、イーヴは銅貨を裏返したところで動きを止めた。
「どうかしました?」
「これ、読んでみてくれ」
差し出された銅貨へ顔を近づける。
市の紋章と麦穂。その下に、小さな数字が刻まれていた。
「一二六八」
声に出してから、俺も口を閉じた。
今年の日付は、依頼票で何度も見ている。
一二六七年だ。
「来年?」
テッサの声に、イーヴは頷かなかった。もう一度、自分の目で数字を確かめている。
前世なら、刻印の間違いか偽物だと考えたと思う。
けれど、この世界には水を弾く剣がある。俺の知らない仕組みで動く設備もある。目の前の箱に何ができて、何ができないのか、俺には判断がつかなかった。
「未来のお金ってこと?」
「来年の年号が刻まれてる。それ以上は、まだ分からない」
イーヴは銅貨を布の上へ置き、数字を書き写した。
その隣には、今日の日付も記した。
一二六七年と、一二六八年。
書いて並べられると、見間違いでは済まなくなった。
「次は、中を見る」
イーヴが箱の継ぎ目へ目を戻した。
俺は工具箱を近くへ寄せ、テッサは周囲を確かめてから、彼の手元を覗いた。
二十一年前に閉じた料金所から、来年の日付の銅貨が出てきた。
今度こそ、何が入っているのか知りたかった。




