第二話 摘発
「……待て、待て待て待って!!」
将明の声が思わず裏返る。
先ほどまでの低いトーンは消え失せ、そこにはただ理解を拒む人間の悲鳴があった。
「何言ってんの? 俺、何も……俺は普通に出品してただけじゃん。商品が盗品とか横領とか、そんなのえっ?俺が知るわけないじゃん?出品物の真偽とか出所の確認って、それはプラットフォーム側の怠慢っていうかちょっとはっ?え?……何それ」
「はい。その通りでございます。金友様個人の直接的な関与の有無につきましては、現在調査中でございます。しかし、オホゴエのシステム上、上位ランカーの皆様につきましては、優先的に出品機会を提供される仕組みとなっており、その中で盗品および横領物品が含まれていたことについて、販売利益の返還請求ならびに、場合によっては……」
「場合によってはって、何だよ!?」
考えるよりも先に、将明は叫びながら立ち上がっていた。
その拍子に頭をぶつけた段ボールの山がぐらりと傾いて、パクリシアのアクリルスタンドが入ったケースが盛大に倒れる。
ガシャンという音が、狭い部屋に異様に大きく響くが今の彼にはそれどころではなかった。
「……場合によっては、何なんだよ……」
「――はい。刑事告発の対象となる可能性がございます」
将明の耳から、相手の言葉が消えた。
いや、聞こえてはいたのだが、脳がその意味を処理することを明確に拒否していたのである。
刑事告発。警察。摘発。全国の転売ランカー。
オホゴエのランキング上位に名を連ねる者達であるランカー――将明自身もその一人であるが、見えない画面の向こう側で競り争い合った敵とも仲間ともいえぬ乾きながらも無機質なだけではない繋がりを感じていた者達。
そんなランカー達が、自分も含めてまとめて全て……。
電話の相手がまだ何か言っている。
「弁護士の同席を推奨いたします」「近日中に警察から連絡が行く予定です」「アカウントの凍結は既に実行されており……」
――うるさいうるさいうるさいうるさいッ!!
将明はスマートフォンを耳から離す。
画面を見れば通話はまだ繋がっており『02:47』を表示しながら通話時間が秒単位で増えていく。
その数字が、将明にとっての残り時間のように思えてならなかった。
自覚したのは、指の異変からだった。
それが徐々に指だけではなく、腕も、肩も、膝も――全身が細かく震え始めていく。
ワンルームの薄暗い照明の下で、将明は自分の影が揺れているのを視界に捉えた。
影まで震えているのか、それとも自分の視界が揺れているのか……分からない。
通話を切らないままスマートフォンを床に置く。
相手の声が遠くで小さく続いているが将明はそれを無視して、部屋の中をぐるっと見回す。
段ボールの山、フィギュアケース、アクスタの列、『てんぷれ』関連のグッズ――アナホル、ドクオ、パクリシア。
彼らが笑顔を、怒りを、落ち込んだ顔を、歌う姿を――そうした形をしたプラスチックとアクリルと紙の塊が、将明を見下ろしていた。
それらは全て、盗品だったのかもしれない、店員が横領した物品だったのかもしれない。
将明は知らなかった……いや、知ろうとさえしなかった。
商品が出回っていれば、それが盗品であろうと横領品であろうと、将明にとっては仕入れの対象だった。
利益が出るなら買うしその逆なら売った。
ただそれだけのことであり、それしかしてこなかった。
「……俺は、知らなかった」
声に出したが、誰に言っているのかも分からなかった。
電話の相手である事務局だろうか?これから来るであろう警察にだろうか?――それとも、自分自身にだろうか。
「知らなかったんだよ……俺はただ、転売してただけじゃん……」
知らず知らずの内に涙が出たことに将明が自身のことながら驚く。
将明は自分のことを冷淡で決して涙など流さない人間だと思っていた。
オホゴエでライバルに競り負けても、クレームをつけられても、赤字転売をしてしまっても、涙なんて流さなかった。
……それなのに今、頬を熱い涙が伝っている。
スマートフォンに視線を移せば、画面に『通話終了』の文字が出ており通話が切れているのだと今さらながらに気づいた。
それと同時に、次々と通知が流れ始めていく。
☆ニュースアプリの速報「転売サイト『オホゴエ』、盗品横流しを長年黙認か 全国の転売ランカーを一斉摘発の方針」
☆SNSのトレンド。
#オホゴエ摘発
#てんぷれグッズ盗品
#転売ランカー全員逮捕
#パクリシアが信じた未来はこれじゃない
最後のトレンドを見て、将明は嗚呼、と声を漏らす。
パクリシアもアナホルもドクオも明るい未来を信じていたかもしれないが……今の将明に信じられる未来など、どこにもなかった。
室内が静寂に包まれる。
スマートフォンの通知音を消した。
震えが止まったのか、ただ単に疲れ果てて動けなくなっただけかはわからない。
床に横たわった将明の視界に天井の染みが映る。
上の住人がこぼした水だろうか?あるいは、雨漏りだろうか。
この局面において、どうでもいいことばかり脳裏にちらつく。
段ボールの山が、さっきより少し多く傾いてるように見えるが、このままだといつ倒れてきてもおかしくない。
パクリシアのアクリルスタンドが入ったケースは、先ほど倒れた時にどこか欠けているかもしれない。
そうしたら価値が下がるが……だからどうした?
もう誰もこんな状況から無事に売買を成立なんてさせられる訳がない。
これは証拠物として押収されるだけだろう。
警察が来れば家宅捜索され、段ボールを開けられる。
フィギュアを一つ一つ確認された後に、レシートを出せと言われる。
仕入れルートの説明?
――そんなことできるわけがないだろう!?
知らなかったから、知らなかったし、知らない。
知らなかった。
知らなかった。
知らなかった。
その言葉が、まるで天井の染みの形に似ていたような気がして、思わず将明は笑った。
自嘲めいた乾いた笑いであった。
声に出した笑いだったがそこには何の感情もなく、ただ唇と喉が動いただけの生理的な反応だった。
「転売、してぇな~」
最後にもう一度、呟いた。
その言葉がかつて何かを意味していたことは、もう遠い過去のことのようだった。
外では梅雨の空が、今にも泣き出しそうだった。
静寂は、唐突に破られた。
――ドン、ドン、ドン!
ドアを叩く音が、アパートの薄い壁ごとに震えて盛大に揺らす。
礼儀正しい訪問者のノックではなく、所有権を主張するような、圧倒的な暴力の予兆を孕んだ打撃だった。
「警察だ!はよ開けんかい!!」
男の声が響く。低く、太く、容赦のない声。
将明の体が跳ねた。
床の上で体を起こそうとするが、手足がいうことを聞いてくれない。
まるで悪夢の中で走ろうとして足が動かないあの感覚で呼吸が浅くなり、心臓が早鐘を打つ。
――ドン、ドン、ドン!
「中にいますよねぇ? 開けない場合は強制捜査に入ります!」
外からは何人もの警官の声。
将明の視線が救いを求めるかのように部屋の中を彷徨う。
パクリシアのアクリルスタンドやアナホルのフィギュア、ドクオのトートバッグ。
……それらが静かに、しかし確実に自分を包囲しているように思えた。
証拠品の山であり、さながら牢獄への招待状の山、山、山。
どうしよう?どこへ逃げる?
だが、逃げ場なんてあるはずがない。
六畳一間のワンルームで窓の外は二階。
逃げようがない、と諦めかけていた――その時であった。
「シュイ!」
小さな――しかし切羽詰まった声が、キッチンの勝手口の方から聞こえた。
将明が振り返ると、そこには見覚えのある顔があった。
――テツだ。
本名は知らないが、将明の転売活動を長年支えてきた助手であり、唯一と言っていい仲間とも言える相手であった。
在庫管理から梱包、発送手続きまでを淡々とこなしてくれる逸材。
いつもは無表情で感情を読み取れない彼の顔が、恐怖と焦燥の色に染まりながら歪んでいる。
「テツ……?」
「来てください! こっちから逃げますよ!」
テツが勝手口のドアを少し開け、外の様子を伺うしぐさをする。
将明のアパートの裏口は路地に面しているため、そこからならまだ間に合うかもしれない。
警察はまだ玄関の前であり、裏に回るには一度建物の外へ出て回り込まなければならないだろう。
将明は震える足で立ち上がる。
段ボールにつまずきながらも、よろめくようにキッチンへと向かった。
「早く!そんでスマホは置いていって!位置情報で追跡されます!!」
テツの指示に従い、将明は床の上のスマートフォンを蹴り飛ばした。
画面が割れる音がしたが、今はそんなことを気にしている余裕などなかった。




