第一話 転売
梅雨の合間の薄い陽射しが、ワンルームの安っぽい窓ガラスを透過して男の顔を照らしていた。
畳み上げられた段ボールの山に開封済みのフィギュアケース、保存用と放出用に分類されたアクスタの列。
それらが壁のように立ち並ぶ六畳一間の空気は、微かなビニールの匂いに混じって数日前に食べ終えたカップラーメンの残滓が混じっていて鼻を突くには至らないが、決して清潔とは言えないものだった。
この部屋の主である金友 将明は転売サイト:”オホゴエ”における転売ランキングにおいて、”シュイ”というユーザー名で常連トップ 10に食い込む上位ランカーであった。
将明は薄汚れたネッククッションを首に巻いたまま、スマートフォンの画面を凝視する。
画面にはオホゴエの出品ページと確認中の入札履歴――そして、右上に”第三位”と表示された自身の現在ランク。
「……もっともっと転売、してぇな~」
口調はダウナーなれど、隠しきれない上機嫌さと共に独り言が思わず漏れる。
何かを買って、何かを売る。
その循環そのものが呼吸であるかのように、将明は毎日この言葉を口にする。
理由などないがただ口にすることで自分がまだ”転売ヤー”として存在していることを確認できるような、そんな曖昧な衝動だった。
コンテンツは何でもよかった。
話題のアニメグッズに限定販売のスニーカー、人気アイドルのチェキ付きグッズなど将暉の判断基準は単純明快そのもの。
――利ざさえ取れるか否か。
ただ、それだけだった。
特にここ数ヶ月において将明の収入源の大きな割合を占めていたのが、大人気アニメ『てんぷれ』の関連商品であった。
『てんぷれ』――それは、勢い任せに突っ走った結果、思ったような結果にならず落ち込みながらも”BE-POP”な意思で活路を切り開く山賊のアナホル、近年稀にみる"俺何かやっちゃいマスター"であるドクオ、婚約破棄を告げられても銀行強盗をしながら明るい未来を信じる令嬢のパクリシア――なろう系テンプレ属性をこれでもかと詰め込んだキャラクターたちが大集合した一世を風靡する国民的コンテンツである。
『てんぷれ』は毎回の神がかった展開も然ることながら、その『テンプレの集合体』であることが安心した親しみやすさを生み熱狂的なファンベースを形成していた。
――限定グッズは即完売!!
――ポップアップストアの行列は三時間待ち!?
――コラボカフェの予約に至っては、取得困難の領域……ッ!!
将明にとって、それはあまりにも美味すぎる市場だった。
『てんぷれ』の激レア商品――例えばアナホルの『落ち込みVer.』とも称される限定フィギュアは、定価の八倍で取引されているし、ドクオの『俺何かやっちゃいマスター』ロゴ入りトートバッグは、オークションサイトで五倍近い価格で跳ね上がった。
そして何より、パクリシアの立てこもった銀行からの熱唱シーンを収めた限定BDの特典である『ギャング・オブ・パクリシア』アクリルスタンドは市場に出回る数が極端に少なく、将明が知る限り最高落札額は定価の二十三倍にまで達していた。
将明はそれらを、国内最大級の転売プラットフォームである”オホゴエ”で売りさばいてきた。
表向きは『個人の不要品売買サイト』だが、実態は誰もが知っている通りの転売ヤーの巣窟。
出品手数料の安さ、買い手の質の高さ、そして何より”黙認”というサイト全体を覆う密かなシステムが、将明のようなプロフェッショナルたちを集める広大な闇市と化していた。
将明はオホゴエに信頼を寄せていた。
……いや、寄せていたというよりここまで来ると『オホゴエさえあれば自分が自分でいられる』という依存に近い感情だった。
「……転売、してぇな~!!」
もう一度呟いた。――まさに、その時。
突如、スマートフォンが震える。
着信音は特に設定していなかった。
画面に表示された番号は非通知ではなかったが、見覚えのない番号であり、03から始まる固定電話のものらしかった。
将明は普段ならこういう電話はまったく出ない。
何故なら、クレームの類であることが多いからである。
受け取った商品の状態に難癖をつける嫌がらせやらあるいはライバル転売ヤーからの嫌がらせ電話など、オホゴエで上位にいる人間にとってそうした嫌がらせは日常茶飯事だった。
しかし、何気なく画面を覗き込んだ将明の目が、番号の下に表示された小さな文字を捉えた。
――オホゴエ運営事務局。
心臓が一拍、強く脈打つ。
オホゴエの運営事務局から電話?一体、なんだ?アカウントの何らかの制限?それならメールで来るはず。
出品物の違反報告?それも通常は自動通知だ。個別に電話をかけてくるというのは――何か特別な事案があるということではないか?
指が震えるのを自覚しながら、将明は通話ボタンを押した。
「……もしもし」
「あー、金友様でしょうか。オホゴエ運営事務局の者です。お時間よろしいでしょうか」
声の主は若い男性であり、抑揚のない――しかし切迫感を隠しきれていない声であった。
コールセンターのオペレーターがマニュアル読み上げているのとは違う、これは、もっと生々しい何かが進行している。
「……ああ、そうだけど。何の用?」
将明は声のトーンを低く保ち、相手が自分の動揺を読み取れないようにしながら、なるべく平静を保とうとする。
転売の世界で培ってきた交渉術のひとつである。
そんな彼に、電話の向こうの相手が告げる。
「突然のご連絡にて誠に恐縮です。事態が緊急を要するため、率直に申し上げます」
相手が一息吸う気配がした。
「金友様のアカウントにつきまして、本日付で凍結処分ならびに……警察への情報提供が行われました」
将明の指が止まった。
「……は?」
「オホゴエにおきまして、長年にわたり重大な不正行為が発覚いたしました。具体的には、大人気アニメ『てんぷれ』の激レア商品に関しまして、当プラットフォームが出品物の一部が盗品であること、また小売店の店員による横領物品であることを認識した上で、継続して売買を仲介していた事実が、外部からの告発により明らかになりました」
相手の言葉は滑らかに、しかし速く続いた。
「これに対しまして、国民の皆様から多大なる御批判と御怒りが寄せられており、またオホゴエにおきましては過去にも他のコンテンツおよびプレミアグッズにおいて同様の事案を複数回繰り返していたことも併せて明らかとなりました。これを受けまして、当サイトが存続するためにも転売ランカーである皆様の情報を当局に差し出し、本日をもって全国の転売ランカーアカウントを持つ出品者につきまして、一斉摘発の対象となることが確定した次第です」
――将明の世界が、音を立てて急速に崩れていく。




