囁き
シュヴァルツェンベルク辺境伯領、最終防衛ラインとされている外壁、ラストラインの様子は先ほどまでと比べて一変していた。
「なんだ、これは……っ!?」
リックは思わず愕然とした様子で、外壁を撫でる。
壁面はなだらかで凹凸がなくつるりとしており、大理石を思わせるような斑紋が浮かび上がっている。
土魔法使い達によって何度も修復・修繕が繰り返された赤茶けた土壁が、新品同様に生まれ変わっている。
土製だったはずの材質は石製に変わっている。
もはやこれは、完全な別物へと生まれ変わっていると言って良いだろう。
左右を見渡すと彼女の魔法が発動した範囲はかなり広いらしく、見えうる範囲の全てが白磁を思わせる石製になっている。
これだけの滑らかさがあれば、魔物が爪を立てて昇ってくることも難しいだろう。
腰に提げた剣を軽く振って硬度を試してみるが、リックの総ミスリル製の剣であっても外壁には傷一つつく様子がない。
それならと得意の火魔法を使い軽く炙ってみるが、どうやら魔法耐性もかなり高いようだ。
リックの脳裏にこの地で行った防衛戦の記憶が蘇る。
これだけの硬度と滑らかさががあれば、この外壁を魔物達がよじ登ることは不可能に近いだろう。
それどころかこの壁をラストラインだけではなくセカンドラインとフロントラインにも配置すれば……ひょっとすると魔物の被害を、完全に押さえ込むことが可能になるかもしれない。
『ふうぅ……』
アキ……否、アキが操縦しているゴーレムがゆっくりと息を吸い、そして吐き出す。
その見た目はアキにそっくり、というか瓜二つであった。
一体なぜゴーレムでこんなことができるのかは、リックにもまったく理解ができない。
彼女がとんでもないことをするのには慣れたつもりだったが、この見た目でアキそっくりの声を出すのだから、もはや理解を諦めるべきだろう。
まあアキだから仕方ないな、とリックは考えるようにしていた。
『どう、でしょうか……?』
アキのゴーレムが、リックのことを見上げてくる。
さすがに表情の再現まではできないらしく、アキのゴーレムはいつものように笑うことなく、表情を変えずに彼のことを見つめていた。
ころころと表情が変わる彼女は今どんな顔をしているだろうか、とリックはそんなことを思う。
「ありがたい……その一言に尽きる。可能であればセカンドライン……いや、最前線のフロントラインでも同じ事をできるか?」
『えっと……はい、大丈夫だと思います』
「ではすぐにでもお願いしたい。少しでも兵の損耗を防げれば、魔物の大襲撃の際にも楽になるはずだ」
リックはそのまま馬車に乗り込み、更に先へと進ませる。
二つ目の防衛線であるセカンドラインを超え、最前線となる防衛線のフロントラインへとやってくる。
皆が馬車にあるリックの家紋を見た瞬間、剣を軽く叩くと、持ち場に戻る。
魔物の襲撃が頻繁にあるこのフロントラインでは、必要な礼儀や応対は最小限で済むようにというリックの訓示が生きている形である。
彼はフロントラインの防衛線となる外壁へ辿り着くと、アキのゴーレムの手を取って外壁へと連れていく。
やはりゴーレムに人肌はあるはずもなく、その手はひんやりと冷たかった。
「アキ、頼んでも大丈夫か?」
『はいっ、任せて下さい!』
関節が再現できていないからか、腕をわずかに曲げた状態でグッと拳を握るアキのゴーレムが動き出す。
外壁へ手をかけると同時、外壁全体を包み込むように地面に巨大な魔法陣が浮かび上がり、まばゆいほどの光に包まれていく。
そして光が消えた時……そこには再び、あの白い外壁が出来上がっていた。
「なっ……リック閣下、これは!?」
「俺の……妻の魔法だ。安心しろ、硬度は前より上がっている」
少し言いよどんでしまうリック。
そういえばアキは自分の妻なのだと、自分で口にしたことでハッと気付く。
「妻……ですか……」
「これは妻の魔法で動いているゴーレムだ。本体は人間だぞ」
「もっ、もちろんわかっておりましたとも! なあお前ら!」
「ええ、その通りです閣下!」
『妻……?』と首を傾げていた兵士達は慌ててそう言いつくろった。
たしかにこれだと、傍目から見れば妙なゴーレムを妻だと言い張っている奇人に見えてもおかしくない。
(どう思われようが、どうでもいいことだが)
リックは後ろを振り返り、これだけのことをしたアキに礼を言おうと振り返り……そして目を見開いた。
「アキ……大丈夫かッ!?」
アキのゴーレムは先ほど魔法を使った場所から一歩も動かずに、その場で静止していた。 どれだけ話しかけても返答はない。
よく見れば瞳にあったはずの輝きが消え、完全にフリーズしていた。
リックは咄嗟に肩を掴むと……ぼろりと、ゴーレムがその形を崩れていく。
「アキッ!!」
自分でも信じられないほどの大声が出た。
リックは周囲に説明することもなく、自身が最も得意とする氷魔法を発動させる。
青色の魔法陣が展開され、数瞬の後に彼の足下に氷の鳥が生み出された。
リックは魔法によって生み出した鳥に乗り、屋敷へと空の道を征く。
(俺は……なんと馬鹿なのだっ!)
これで前線の兵士達が楽になる……そう気持ちが逸りすぎるあまり、アキのことをないがしろにしてしまっていたことに、遅ればせながらに気付く。
彼女に知らず知らずに無理をさせてしまっていたことへ自責の念を抱えながら、リックは魔力を込め氷鳥の速度を上げる。
「アキ……無事でいてくれっ!!」
♢♢♢
「……はっ!?」
アキがガパッと勢いよく起き上がると、そこはシュヴァルツェンベルク辺境伯家の自室にあるベッドの上だった。
ふかふかのベッドからゆっくりと起き上がった握る彼女の顔は、脂汗で濡れていた。
「はあっ、はあっ、はあっ……どうやら遠隔で魔法を使うと思っていた以上に消耗が激しいみたいね」
アキの最後の記憶は、魔の森のフロントラインにある防壁を修理した段階で途切れている。 おそらくあそこで土魔法を使ったところで、限界を迎えたのだろう。
魔法が使えるようになってからアキは自身の内側にある魔力を知覚できるようになったのだが、魔力量自体にはまだ余裕がある。
ラストラインでの魔力使用量を考えれば使っても問題はないと思っていたのだが……どうやら大規模な魔法を使いすぎたことで自分の身体の方が先に限界を迎えてしまったらしい。
リックについていきたいと思うがあまり、魔法のことがまだまだ理解できていないのに無理をしてしまった。
次からはグッとその気持ちをこらえて、魔法をしっかりと使える限界を把握してからついていくようにしよう。
決意を新たにしていると、ノックと共に部屋のドアが開く。
「アキ様、ご無事ですかっ!?」
どうやらアキが覚醒したことに気付いたらしいエリーゼが、跳ねるようにこちらにやってくる。
大丈夫と告げながら、アキはうっとうめき声を上げて頭を抑える。
頭に生じたズキリという痛み……どうやら魔法の無理な行使がたたってしまったらしい。
「ああ、おいたわしや! まったくあの子は以前から本当に自分の都合ばかり押し通そうとして! そのせいで無理をされたのでしょう、ええ、このエリーゼにはわかっております」
「あ、あはは……」
あながち間違ってもいない推測を聞き苦笑しながら、アキは気になっていることを聞いてみることにした。
「エリーゼは……リック様のことを、昔から見ていたの?」
「ええもちろん。子供の時分に樹から下りられなくなって泣きべそを掻いていたことから苦手な料理のことまで、なんでも知っておりますよ」
「リック様はどんな人なのかしら? その……妻になるからには、彼のことをもっといろいろと知っておきたくて」
「そうでございますねぇ……今のリック様を一言で言い表すなら……単細胞の仕事人間、でしょうか」
「仕事人間?」
「ええ、辺境伯をお継ぎになってからというもの、リック様は本当に……」
パリイイイイイイイインッッ!!
甲高い音と共に、両開きになっている窓ガラスが割れていく。
エリーゼが言葉を続けることができず悲鳴と共にその場に倒れ込み、アキは咄嗟になけなしの魔力を使って土の壁を生み出した。
すわ敵襲かと思いこちらに近付いてくる影を見てみると……そこにいたのは、水晶を思わせる綺麗な鳥に乗っているリックであった。
「リック様?」
「アキ……アキ! 無事で良かった!」
「ああ、すみません、ご心配をおかけしてしまい……っ!?」
アキはその先の言葉を続けることはできなかった。
なぜかと言えば彼女の口は……自分を抱きしめるリックの胸で、塞がれてしまっていたからだ。
「あぶぶぶぶ」
「こらリック様!」
ぺしーんとエリーゼがリックの頭を叩く。
『痛っ!?』とリックが後ろを振り向けばそこには……泣く子も黙るほどに恐ろしい悪鬼の姿があった。
「リック様! アキ様のお体が十分に回復されていないことはご存じのはずです……なのになぜこれほどの無理をさせたのですか!」
「それは……すまなかった、不注意で」
「あなたは戦場でも不注意で仲間を殺すのですか!? それに……謝る相手が違うでしょう!」
「……そうだな、その通りだ」
リックは少し距離を離した状態でアキと向かい合う。
そして彼女の方を見て……直角に、見事なほどの最敬礼で頭を下げた。
「アキ、済まなかった。俺の不注意でお前に無理をさせてしまった」
「……いえ、いいんです。自分の力量も詳しく理解しないまま、無理をしてついていこうとした私も悪かったですから」
アキとリックはそのまま互いに頭を下げながら謝り合い……どちらともなく笑い出す。
「ぷっ……あははははっ」
「ああ、やっぱり……」
リックは優しい目をしながらアキのことを見て、そのままゆっくりと口を噤む。
その先の言葉が気になったが、アキはリックが楽しそうなのでいっかと思い直す。
するとエリーゼがアキに近付き、こう囁いた。
「単細胞の仕事人間に……妻馬鹿、も加わりそうですね」
「……っ!?」
エリーゼの言葉にアキは顔を真っ赤に染め……もしそうならいいな、とリックに今の自分の顔を見られぬよう、そっと後ろを向くのであった……。




