まだ知らない
「ふんふんふふっふーん」
「ずいぶんと機嫌がよろしいのですね、アキ様」
上機嫌に鼻歌を歌うアキに微笑みかけながら、エリーゼが朝食を並べていく。
エッグベネディクトにウインナー、そして真っ白な白パンとビネガーのかかった野菜、そして一匙の土。
伯爵領にいた頃からは考えられぬほどに素晴らしい朝食に、元から高まっていた気分は更にアゲアゲでテンションはマックス。
楽しみすぎて昨日は寝付けずに少し寝不足気味だが、そんなものは気合いで吹き飛ばしてしまえるくらいに今日のアキはパワフルだった。
何せ今日は……
「ええ、今日は初めての一日デートですから!」
そう、今日はアキが辺境伯家に来てから初めての、リックとの一日デートなのだ。
これを楽しまずして何を楽しむのかといった具合で、まずはアキは匙に乗った土をパクリと食べる。
土魔法を大量に使うようになったからか、あるいは土を食べてもいいとわかり安心したようになったからか、アキが以前のような食土衝動に頭を悩まされることはなくなった。
今ではこうして朝軽く土を食べれば十分な状態になっており、彼女の活躍を知っている使用人達の中にそんなアキへと嫌な視線を向けてくる者は一人もいない。
「せっかくなら朝ご飯も一緒に食べたかったですけど」
「リック様もそういうところは配慮が足りませんね」
朝の家に今日しなければいけない仕事を済ませるからと、リックは現在執務室に籠もって業務に明け暮れている。
そんなリックにエリーゼはやれやれ顔だったが、アキからすればそこまでして自分との時間を作ってくれているということが何よりも嬉しかった。
以前より肌つやも良くなり、髪育も成功して長く伸びた金髪はキューティクルが回復しキラキラと光沢を宿している。
今の彼女の見た目は、どこに出しても恥ずかしくないほどの淑女に見える。
「あのすみません、牛乳のおかわりを……すみません」
……あくまでも、見た目だけは、だが。
♢♢♢
アキは屋敷を後にし、一人スキップをしながらリックとの待ち合わせ場所へと向かっていた。
パワードスーツの要領でゴーレムにも改良を施したことで、今やゴーレムはアキを介さずともゴーレム同士で信号を送り合うことができるようになった。
ゴーレム同士を同調させることが動きをリンクさせることができるようになり、腕木信号と呼ばれるパターン別に分けた腕の動きを用いることで、情報をアキが伝えずとも直接やりとりすることができるようになったのだ。
おかげでここ最近、アキの仕事はずいぶん減った。
今は新人用のパワードスーツや補修用の代替パーツを作ったりすればいいので、アキはのんびりと花壇を弄ったり、ちょっと土をつまんだりしたりとのんびりとした毎日を過ごしている。
「リック様、お待たせしました!」
「アキ……似合っているよ」
今までの心労から解放されたからか、以前と比べるとはるかに明るくなったリックの顔を見つめ返せずに、アキはそのまま両手で持っているバスケットの方へと視線を向ける。
今の彼女が着ているのは、花柄のワンピースとくるぶしまでの靴下、そして赤の紐なし靴だ。日差しが強いので麦わら帽子を被っている。
対してリックはというと、彼の服は黒のスラックスとYシャツ、そして黒のジャケットであった。
身長が高いせいで、揃いの上下がよく映えている。
よく見るとワンポイントで首の辺りに雪の結晶を思わせる金のペンダントを付けていて、どこか高貴な雰囲気が全体からにじみ出ている。
「そしたら……行こうか」
「はいっ!」
アキは差し出されたリックの手を取る形で、彼と一緒に歩き始めた。
彼女が家を出ることは滅多にないため、こうして領都ケーニッヒを散策するのは初めての経験だ。
「お腹の方はどうだ?」
「まだそんなには……」
「そうしたらここで軽く茶でも飲んでいこう」
リックが連れてきたのは、少しこじゃれた感じのカフェのテラス席だった。
夏の暑さがまだ残る初秋なので、頬を撫でる風が心地よい。
「私はローズマリーで」
「カモミールティーを一つ」
二人で紅茶をゆっくりと飲みながら、他愛もない雑談に耽る。
雑談といっても、リックが話すのは基本的に軍務のことばかりだ。
やれ兵士の損耗率がどうだ、やれフロントラインに現れた魔物がどうだという話は、おそらく普通の令嬢であればあくびをしながら聞き流すような退屈な内容だろう。
だが仕事の話をされても、アキは嫌な顔一つせずにきちんと相づちを打って話をしていた。
ゴーレムを使って何度も見聞きし、実際に現場に出向いて現場にいる兵士達からの声を聞いたアキは、もはや自分が当事者であると思っている。
故に親身になって話を聞くし、もし改善点があるのならそれを自分の土魔法を使ってなんとかすることはできないかと考えもする。
気がつけば紅茶はなくなり、それでもなおリックは話をやめていない。
こんなデートも自分達らしいと、アキはそんな風に思う。
「そろそろ出るか」
「はい!」
そのまま店を出た二人は、一緒に店を冷やかしに回る。
いくらシュヴァルツェンベルク自体の経済が下火とは言っても、領都ケーニッヒはさすがに賑やかだ。
中でもやはり特に多いのは、魔物関連のお店。
魔物の魔石を使って発動させる魔道具や、魔物の素材を使って造られた革製品、魔物の肉を香草などで混ぜて売っている店もある。
「魔物のお肉は、食べられるのでしょうか?」
「ああ、問題なく食べられるぞ。イノシシや牛の魔物の肉は、普通に買う豚や牛より安いな」
シュヴァルツェンベルク辺境伯領では魔物との戦いが日常茶飯事であるため、魔物の素材を余すところなく使うための体制が完全に出来上がっている。
今まではなんとかして糊口をしのぐためのものだったかもしれないが……その状況は大きく変わりつつある。
「魔石も今までは食料に変えるために全て売っていたが……パワードスーツに使用する分以外はプールして、加工して魔道具にして輸出できるようにしたいな」
魔力の塊である魔石は多数の使い道があり、擬似的な魔法効果を生み出す魔道具と呼ばれるアイテム類はほぼ全てがこの魔石を動力源として動かすようになっている。
そのため魔石にはエネルギー源としての価値が高く、今まではそれを主な収入源としていた。
だがそれも安定して魔物を狩ることができるようになったことで大きく変わってきている。
以前より大量の魔石が手に入るようになったことで、それを使って何かをするだけのゆとりが生まれ始めていたのだ。
未来のことが考えることができるのは、終わりが見えていたというこの領地にとってあまりにも大きな変化であった。
その一助を担えたことは、アキにとって何よりも嬉しいことである。
誰かのために働いて、誰かから感謝されて……カッセ帝国に来てからの日々は、アキにとって何にも代えがたい大切な経験の連続だった。
毎日が幸せで、満ち足りていて……だからこそアキは、不安になる。
果たして自分がこんなに幸せで、いいのだろうかと。
領地防衛に目処が付きリックが以前と比べて一緒にいる時間を増やしてくれるようになっても、この不安は消えるどころか増すばかりであった。
アキは時折、こうして自分が見ているもの全てが夢なのではないかと思ってしまうことがある。
目を開けて布団から起き上がれば、そこにはあるのは打ち付けられ開かなくなった窓が、鍵が外側からかけられたあの扉なのではないか。
自身が十五年もの間過ごし続けてきたあの部屋におり、今見ているのは幸福な幻なのではないか……そんな不安に襲われてしまうのだ。
幸せすぎて怖くなる、などとリックに正直に言うのはあまりにもはばかられてしまう。
故にアキは、そのもやもやをずっと心の内側に抱え続けていた。
「ディナーの店は……あそこだな。行こう、アキ」
「……はい」
そんなことを思い出してしまい、アキはまた不安になってしまった。
領地防衛の目処が立った今、ひょっとしてもう自分は要らないのではないか。
捨てられれば自分を待っているのは、あの殺風景な何もない部屋だ。
あそこにはもう二度と、返りたくない。
そんなわけはないと思いながらも、確信を持てない自分がいる。
彼女はまだ知らない。
これから行く店で、そんな自分の不安が……綺麗さっぱりなくなってしまうことを。




