『土食い姫』の幸せな結婚
リックが連れてきたのは『ピエトロ・ラ・ボエム』という高級料理店だった。
完全個室であり、リックとアキを除いて他には誰の姿もない。
今日はお忍びということで護衛も一人も連れていないため、貴族家における後ろの使用人はいないものとするという意味ではない、正真正銘の二人きりだ。
「わあぁ……」
「せっかくだからワインでも頼むか。アキは白と赤どちらがいい?」
「どっちでも大丈夫です!」
アキは今までほとんどお酒を飲んだことがない。
伯爵家でもお酒が出てきたことなどなかったし、辺境伯家では基本的にいつでも救援にかけつけられるようリックが酒を飲まない習慣があるため、アキも合わせて飲んでいない。
まともな飲酒経験は、寒いときにエリーゼが出してくれたワインのお湯割りくらいだ。
なのでワインがどんな味なのかもまったく知らないのだが、リックが飲みたいのならそれに合わせたいとアキは思った。
食事に合わせてとリックが長い名前の白ワインを頼むと、アイスペールに入った開封済みのボトルがやってくる。
ワインが二人の前にあるグラスに注がれていき、リックの見よう見まねでアキはワイングラスを掲げた。
「それじゃあ……シュヴァルツェンベルクの未来に」
「はい、リック様の幸福に」
「「乾杯」」
チンッとグラスを打ち付け合わせ、初めてのワインを飲む。
葡萄ジュースのようなものを想像していたが、全然甘くない。
だが酸味の奥にわずかに甘みもあり、なんだか大人な味わいだった。
喉の奥にするりと入っていくと、身体がぽかぽかとしてくる。
皆がお酒を飲む理由がわかった気がした。
リックが事前に予約をしていた明らかに高そうなコース料理を、アキはリックと一緒になって食べていく。
特に野菜が新鮮で美味しく、野菜がふんだんに使われたキッシュや、発酵調味料を使って生で食べるエシャロットは絶品だった。
辺境伯家の食事ももちろん美味しいのだが、家で食べるご飯と外食というのはやはり違う。
非日常感があるやや濃いめの味付けや目で見て楽しい料理などは、屋敷では味わうことはできない。
コース自体が一種のエンターテイメントになっていて、食べているだけで気分が上がってくる。
「……」
美味しい食事に美味しいお酒。
それでもどこか気分が乗りきらずにいるのはやはり、先ほど脳裏に浮かんだ懸念故なのだろうか。
こんなの、自分でもおかしいとは思っている。
だが幸福でないことが当たり前であったアキからすれば、幸福自体がどこか怖いものになってしまっているのだ。
やっぱり私は幸せになれないのだ。
アキは今までそうやって、自分を慰めていた。
それでいざ幸せになれそうだとなれば怖じ気づいてしまうのだから、自分でも笑えてきてしまう。
そんなアキの態度に何かを察したのだろうか、リックは途中から口数少なに明らかにそわそわとし始めた。
「……トイレに行ってくる」
「……はい」
コース料理もあとデザートを残すだけというタイミングで、リックがゆっくりと席を立った。
誰もいない一人の空間。
それが以前居たあの場所と重なってしまい、妙に居心地が悪くなってしまう。
アキはゆっくりと視線を下げ……物音と共に再び上げる。
「え……?」
彼女の視線の先には……バラの花束を持った、リックの姿があった。
いつも真面目な表情をしている彼だが、その表情はいつもの三割増しで固い。
緊張がこちらにまで伝わってくるほどだった。
「アキ、もしかしたらお前は……自分が幸せになる資格はないとか、この生活がいつか終わってしまうんじゃないかと不安に思っていたりするのかもしれない」
「……っ!?」
そのままびしりと内心を言い立てられ、思わず動揺してしまう。
だがリックの言葉を遮ろうとは思わなかった。
普段冷静沈着な彼は視線を左右に揺らしてから、アキのことをジッと見つめる。
「安心してくれ。俺はお前を捨ててどこかにいったりはしないし……お前のことを、もう離すつもりもない」
「あ、あの、それって……」
「嫁入りをしてそれでも不安になるというんなら、改めて俺の口から言わせてもらう。アキ、俺の……妻になってくれ。シュヴァルツェンベルク辺境伯夫人として、ずっと俺の隣にいてほしい」
「……」
リックはそう言うと、その手にしたバラの花束をこちらに手渡してくる。
バラの本数は五本、その花言葉は……あなたに出会えた心からの喜び。
彼が片膝を突き、その手に握られた箱を開く。
その中には大きなダイヤモンドの嵌められた指輪が入っている。
彼からのストレートなプロポーズに、アキは完全に言葉を失ってしまった。
衝撃のあまり最初は何も感じられなかったが、実感が追いついてくることで徐々に感情があふれ出してくる。
「……ぅ……っ」
目尻から涙が流れ、頬を垂れていく。
顔は真っ赤になり、言葉に詰まり、パクパクと情けなく口を開いてしまう。
――自分には幸せになる資格はないと思っていた。
この考えは何があっても変わらないとも、思っていた。
だが、ひょっとするとそんなことはないのかもしれない。
人は誰だって、幸せになれる資格がある。
いや、そもそも……幸せになるのに資格など必要ないのかもしれない。
「ぅぁ……」
自分がこんなに幸せでいいのだろうか。
そんな疑問は、頭の中から吹き飛んでしまった。
いいのだと、かまいやしないと、真っ正面から自分に向き合ってくれるリックが、全身全霊で教えてくれたから。
だから次は、アキの番だ。
彼女はぽろぽろとこぼれる涙を拭いながら、ゆっくりと頷いた。
「はい……喜んで」
アキが震える手をゆっくりと差し出す。
リックは少し照れた様子で、その薬指に指輪をはめ込む。
こうしてこの瞬間、リックとアキは、本当の意味で夫婦となった。
幸せとは、状態だ。
心が満ち足りている状態を維持するためには、片方だけではなくお互いが努力を続けなければならない。
だが、アキは何も心配していなかった。
彼女が先ほどまで抱いていたはずの言い知れぬ不安は、綺麗さっぱりと消えていた。
この人となら、大丈夫。
これから先どんな困難が待ち受けていても、二人で力を合わせれば……乗り越えられぬことなどないはずだから。
アキはこちらに笑いかけてくれるリックと共に歩み出す。
『土の魔女』アキは己の真価に気付き、今日も力を振るう。
それを気付かせてくれた人と、共に幸せな日々を過ごすために――。
読んでくださりありがとうございます。
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