甲斐性
【side リック・フォン・シュヴァルツェンベルク】
俺は自分という人間のことを、幸運だと思ったことは一度もない。
貧乏籤を引かされて家を継ぐことになり、いつ潰れてしまうかもわからない傷ついたシュヴァルツェンベルク辺境伯領をなんとかすることもできぬままに戦いだけを重ねていく日々
日々疲弊していく領地と傷つき去って行く仲間達。
なぜこれほどに厳しい困難を与えるのかと、神を恨んだことも一度や二度ではない。
だが禍福は糾える縄の如しという。
まるで今までの困難を裏返したかのように、シュヴァルツェンベルク辺境伯家を襲う困難は解決の兆しをみせている。
その全ての起点となっているのは彼女……アキだ。
しかしながら、彼女と出会うまでの俺は散々だった。
これは血塗られたシュヴァルツェンベルクの歴史の一ページを背負うことになった俺の、血塗られた思い出の記憶。
今となっては思い出したくもない、彼女が来る前の苦い記憶だ――。
♢♢♢
俺はシュヴァルツェンベルク辺境伯家の三男として生を受けた。
本当なら俺は家を継ぐこともなく、冒険者でもして気軽に暮らしていくつもりだったのだ。
幸いにも俺は、シュヴァルツェンベルクが持つ魔法の才を色濃く引いていた。
自分で言うのもあれだが、氷魔法の才能であれば帝国に右に出るものはそうはいないだろう。
実際に俺は『魔男』の友人から、あと一歩魔導の深淵へ向かえば『魔男』に至るだろうと言われている。
その力を使って気楽に生きていこうという俺のプランは、残念なことに成人する前に崩れてしまった。
魔の森で定期的に起こる魔物の大襲撃により父と、兄であり嫡男であったヴェインが死んだからだ。
兄達は命に替えて領地を守りきった。
さてこれで次男のストーンが領地を継げば俺は晴れてお役御免……だったのだが、そうはならなかった。
本来であれば長男の代わりに嫡男となり、そのまま辺境伯を継ぐはずであった次男のストーンは、魔物の大襲撃に怖じ気づき、領都からひそかに抜け出したところを捕縛されていたからだ。
辺境伯家は軍人の家系だ。
自分達が曲がりなりにもこの領主の一族として暮らすことができているのは、魔の森の魔物達と戦わなければならない宿痾故のこと。
軍人において敵前逃亡は死罪に相当する。
もしこのまま兄を許し、彼がシュヴァルツェンベルク辺境伯家を継げば、おそらくこの家は潰れるだろう。
俺という人間がそれがわかってしまう程度に馬鹿ではなく、そんなことは知らんと全てを投げ出せるほど無責任ではなかった。
故に俺は略式裁判で兄を殺し、辺境伯の座に就いた。
そこからは、控えめに言って地獄の日々だ。
スタンピードを乗り越えたところで、魔物の襲撃は収まらない。
大量に出現した魔物達が生態系を荒らしたことで食物連鎖のピラミッドが変化し、以前より強力な個体がこちらにあふれ出すようになっていった。
そんなやつらを、俺は自身の手で倒し続けた。
俺はほぼ毎日休みなく、最前線で立って戦い続けなければならなかった。
辺境伯家国力が大陸で最も高い帝国にあって最強の陸軍を抱えるとも言われていたのも今は昔。
実際のところ、その実体はボロボロと形容するのも生やさしいほどの惨状だ。
強力な魔物が出現すれば俺かハロルドが出張って戦い、そうでない魔物は兵達に戦闘を任せて休息を取り……魔物達の活動が一段落したタイミングで領都へ戻り政務をこなす。
そんな地獄のような生活を、俺は何年も続けていた。
今はまだ若いからなんとかなっているが、そう遠くないうちに身体にもガタが来るだろう。
いや、それ以前にまたあの時のような魔物の大襲撃が来れば……俺は己の身命を賭して、なんとしてでもそれを止めなければならない。
おそらくそうなった時、俺はもうこの世にはいないだろう。
嫁を取ろうかと考えたのは、そのためだ。
俺が死ぬ前に俺の子供がいれば、シュヴァルツェンベルク辺境伯家自体は存続できる。
ハロルド辺りに後見人を任せれば、もう少しくらいなら、だましだましやれるはずだ。
家の存続を第一に考えなければならないのだから、貴族というのも因果な商売だ。
妻も無事では済まなくなるかもしれないが……あまりおおっぴらには言えないが、もしスタンピードが起きれば妻とは離縁して故郷に帰ってもらうつもりであった。
地獄にいる人間は、一人でも少ない方がいいからな。
♢♢♢
「ん……」
目を覚まし、自分が椅子の上で寝てしまっていたことに気付く。
ここはフロントライン、ではなく領都ケーニッヒの屋敷だ。
ほぼ毎日最前線で戦い続けなければならなかったあの頃から、状況は完全に一変した。
魔物達の魔法攻撃によってもびくともしない鉄壁の要塞と、魔物の数と脅威度を即時連絡が可能なゴーレム伝達網、そして新たに開発されたパワードスーツ……これらは地獄であったシュヴァルツェンベルクの防衛戦線を、戦士達の狩り場へと変えた。
特に影響が大きかったのは、元々自分でも俺についてこれるくらいにムキムキになりたいからという理由でアキが作った、あのパワードスーツだった。
このスーツの凄まじいところは義手・義足として使えるところではなく、自身の意志に応じて自在に動かすことができるところにある。
これによって怪我によって引退を余儀なくされたものではなく、加齢によって退役することになった歴戦の軍人達が再び戦線に復帰することになったのだ。
「現役の頃より身体が動きますわい。こりゃあ戦働きは当分やめられそうにありませんのぅ」
「まだまだ若い者には負けられんな」
そう言って嬉しそうに笑うのはかつて剣聖と謳われていたヴァロッサ老や、戦鬼と呼ばれていたクオン老など、歴戦の戦士達であった。
彼らはパワードスーツを一瞬にして乗りこなし、往事を上回るほどの身体能力をひっさげて戦場へと帰還した。
そしてその影響力は、あまりにも大きかった。
あの改築以降、フロントラインより先の地は一度たりとも魔物によって踏み荒らされていない。
仕方がなくセカンドライン、ラストラインまで後退しながらなんとかして数を打ち減らしていたのが、まるで遠い過去のように思える。
そして現在、恐ろしいことほどのハイペースで積極的に山狩りを行う老兵達によって、魔の森から出現する魔物の数は減り始めている。
今までは月に数度も帰れれば良かったはずの屋敷で、こうしてゆっくりとまどろむことができるほどの余裕ができたのだ。
一年前の俺に言っても、まず信じてはもらえないだろうな。
「……」
立ち上がりゆっくりと後ろを振り向けば、そこには虚空に向かってぺこぺこと頭を下げているアキの姿が見えた。
多分、というか間違いなく、操っているゴーレムの視界の先で誰かに謝っているのだろう。
これほどのことをしているにもかかわらず、アキは驚くほど以前と変わっていない。
実際に魔の森に行けば何かが変わるかとも思ったが、まったく難の変化も見られていない。
自信を持ってもらいたい……以前と比べて心に余裕を持つことができるようになったからか、そんな気持ちは前よりもずっと強くなっていた。
だが俺はこういう時、何をすればいいかわからない。
わからない時は自分で考えるだけではドツボにハマることになる。
なので俺は素直に、一番気兼ねなく質問のできるエリーゼに聞いてみることにした。
「アキ様に自信をつけてもらう方法……ですか?」
エリーゼは俺の話を聞くと、なぜかあきれ顔でそう口にした。
ジト目で見つめてくる彼女の視線は、こちらを咎めているようにも見える。
「本当にリック様は……いいですか、アキ様は不安なのですよ」
「不安? 一体何が不安なのだ」
「それはもちろん、自分が用済みになってリック様に捨てられることがです」
「……」
俺が、アキを……捨てる?
一体なぜそんな話になるのだ。
俺はそんな話を一度もしたことはないし、そんな素振りを見せたこともないはずだ。
「ではリック様は一度でも俺はお前のことを絶対に捨てない。生涯愛し続けると口に成されたことがありますか?」
「……いや」
俺がアキとするのはいつも食事の話や甘味の話、魔の森の話や領軍の話などだ。
二人の関係について言及したことは、思えば一度もない。
アキはこちらに嫁入りし、俺がそれを受け入れているのだ。
であればそれだけで十分ではないか。
「言葉にしなくても態度でわかるだろと殿方はお思いかもしれません。ですが実際に口にされないとやはり不安に思ってしまうものなのですよ」
「……そういうものか」
「人は自分が思っていた以上の幸せを受けた時、無性に不安になるものなのですよ。自分にそんな資格がないと思っている人は」
それならどうやってアキに自信をつけてもらえばいい。
俺が再び再び尋ねれば、エリーゼはゆっくりと、こちらに言い聞かせるように続けた。
「自分の価値は、自分自身で思っているよりもずっと高いのだ……彼女がそう確信を持てるほどに、リック様が尽くす他ないでしょう。――男の甲斐性を見せるべき時は今ですよ、リック様」




