辺境伯領の真実
無事リックから同行の許可を得られた次の日、アキは屋敷の前でリックが来るのを待っていた。
その手には、昨晩のうちにうきうきで準備を進めた旅行鞄が握られており、鞄ははちきれんばかりにパンパンに膨らんでいる。
無論今回行うのは仕事への同行なのだが、それでもリックとこれほど長時間一緒にいられるのはアキをして初めての経験だ。
たとえそれが仕事の一環でかつ危険が伴うものであったとしても、アキにとって楽しみであることに変わりはなかった。
「アキ様が行くのであれば、私としても何が何でもついていきたいところですが……」
「エリーゼ、無茶を言わないでくれ……」
集合時間よりもかなり早く来たアキに少し遅れて、リックとエリーゼが現れる。
エリーゼは本気でついてきたい様子だったが、今回は急いでフロントラインまで向かうために彼女を連れて行くだけの余裕はない。
遺憾の意を表明するエリーゼをなんとか宥め、アキはパワードスーツを召喚し自身の肉体に取り付ける。
「よし、それなら……行くか」
彼女に続く形で、リックも魔法を発動させた。
青色の輝きを発した魔法陣が現れ、彼の脇に氷で出来た虎が現れる。
リックが最も得意とする氷魔法によって生み出された氷の虎が、喉を鳴らしながら彼へとすり寄る。
まるで生き物のような氷虎を撫でると、彼はそのまま颯爽と氷虎へと軽々と飛び乗った。
「できれば昼前にはフロントラインに向かいたい。少々急ぐぞ」
「はいっ!」
このパワードスーツには衝撃を吸収する効果もついているため、着用した状態であれば、たとえ数時間連続で走ろうが肉体的な疲労はほとんど感じずに済む。
アキは氷虎と併走しながら、とてつもないスピードで街道を駆けてゆく。
こうして二人は屋敷を後にし、魔の森へと向かうのであった……。
♢♢♢
現在アキ達は、シュヴァルツェンベルク辺境伯領の領都ケーニッヒで暮らしている。
魔の森は、このケーニッヒを更に北へ馬車で一日ほどかけて進んでいった先に存在している。
領都と魔境の距離がこれほどまでに近いのは、シュヴァルツェンベルク家が辺境伯家になったことにその理由がある。
辺境伯というのはざっくりと言えば、自身の強力な軍を持つことを始めとした一部の特権のを持つことを許された伯爵家のことを指している。
軍権を始めとした特権を許されているのは、敵対国家や魔物の棲む魔境など明確な外敵が近くに存在しているが故。
かつては子爵家であったシュヴァルツェンベルク家は武勇に優れた人材を代々輩出することからその戦働きを期待されるようになり、魔の森の魔物の撃退に失敗し失陥した領土をまとめる形で辺境伯家へと昇爵された。
辺境伯となったシュヴァルツェンベルク家は、そんなカッセ帝国皇帝からの期待に応え続けた。
最終防衛線となるラストラインを抜かれることは終ぞなく、百年以上に渡る長い期間、一度として魔物達に帝国の領土を踏ませることはなく防衛を成功させている。
しかし、その代償は決して軽くはなかった。
まず長きにわたる闘争によって、シュヴァルツェンベルク辺境伯領の産業はほぼ全てが壊滅的な打撃を受けてしまっている。
主な収入源は討伐した魔物の売却益であり自領の交易は基本的にほぼ全て赤字である。
シュヴァルツェンベルクが潰れれば魔物の矢面に立つのが自分達であることを理解する寄子達が献身的に食料の輸入を行ってくれていることで、領民を食わせることはできている、といった状態であった。
魔の森における激しい防衛戦が常態化したことで人口も減少傾向にあり、徐々に領地としての体裁を保つことができなくなりつつある斜陽の大貴族家。
「俺が父から継ぐことになったのは、そんな半ば沈みかけた泥船だったわけだ」
「……」
昼前にフロントラインに到着したアキは、昼食をリックと共に摂りながら、このシュヴァルツェンベルク領の歴史を聞かされる。
アキは、自分がこの領地のことを、何も知らなかったのだという事実を嫌というほどにわからされた。
魔法技術を研鑽するよりも自分がリックと共にいけるような魔法を開発するよりも、もっとすべきことがあったのではないか。
自分が治める領地を沈みかけた泥船と評し、乾いた笑みを浮かべるリックを見て、そんな風に強く感じてしまう。
「山狩りを行いその身を危険に晒す熟練の兵士達は、結果として定年を迎えるよりも早く死んでいく。領地を逃げ出す領民の数も多く満足に兵数の充足ができず、魔法が使えるだけの新兵を実戦に投入しなければならないほどに事情は切迫していた。正直なことを言えば……俺は自分の代かその次の代までにはシュヴァルツェンベルク家が潰れ、魔の森に飲み込まれると思っていた」
「……っ!?」
たしかに今思い返してみれば、フロントラインの防壁はアキが修繕するまではかなりボロボロであった。
最終防衛戦であるはずのラストラインに大量の魔物の痕跡があったのは、そこまでしなければ撃退できぬほどにリック達が何度も追い込まれていた、ということだ。
「結婚を受け入れたのは、半ば自棄になっていたからだ。それが他国の人間だったのは……詳細な実情を知っている帝国の人間は、シュヴァルツェンベルク家に嫁入りなどを許すわけがないことを知っているからだ」
リックの言葉に、アキは妹のフィリアが自分に吐き捨てた言葉を思い出す。
『カッセ帝国のシュヴァルツェンベルク辺境伯よ! 田舎で何もないくせに現地は魔物だらけでひたすら戦いに明け暮れてる野蛮な領地の領主様! 良かったわねアキ、田舎ならあなたが大好きな土も食べ放題よ!』
隣国である王国にさえ、魔物との激しい戦闘についての情報は届いていたのだ。
フィリアでさえ嫌がってそれをアキに押しつけたのだから、いわんや同じ帝国の貴族令嬢をや、というわけだ。
「だがその事態が……アキが来てくれたことで一変した。アキが『魔女』かもしれないとわかった時には正直、これが神の采配かとも思ってしまったくらいに」
話を聞くだけで、リックが相当に厳しい状況下に置かれていたことはわかる。
だがそれでもリックは、彼女のことを一度もただの『魔女』として、現状を打開できる戦力として利用しようとはしなかった。
たしかに興奮した時に彼女に外壁の修理を依頼することはあったが、リックはあれ以降無理にアキに何かを頼んだ一度もないし、以後の働きは全てアキが自発的に始めたことだ。
「頼りきりですまないな……武勲比類なきと言われるシュヴァルツェンベルク辺境伯としては、非常に情けない限りだよ」
アキは以前、自分が初めて彼の土を食べていた様子を見ていた時のことを思い出していた。
彼がその時に浮かべていたのはこれで状況が改善するという安堵の表情ではなく……アキを自身のシュヴァルツェンベルク家の事情に巻き込まなければいけないことに関する、羞恥と同情であったはずだ。
(なんて優しい人なんだろう……)
それだけ厳しい状況にありながらも、リックは生来持つ貴族としての気高さを失っていなかった。
自棄になって結婚を受け入れたと言っていたが、彼は自身が死ぬことを覚悟していながらも、他人の死を惜しむことができる人だ。
おそらく彼はなんらかの理由をつけて、婚約破棄を行うつもりだったのではないだろうか。
いや、ひょっとしたら今の婚姻だってどこかで反故にするつもりなのかもしれない。
(それは……嫌だな)
アキは自分の人生に意味を与えてくれた、自分という存在を初めて認めてくれたリックのためになら、どんなことでもするつもりだった。
彼女が必死になって土魔法を覚えたのも、ゴーレムを動かし続けたのも、ひとえにこの地に骨を埋めるつもりだからだ。
リックと、できることならずっと一緒にいたい。
彼と過ごす幸せな時間が、永遠に続けばいい。
それは全てに諦め続けてきたアキが人生で初めて抱いた、強い欲求だった。
「情けなくなんて……ないです」
話を終え黙り込んでいたリックに、アキは勇気を出して手を差し伸べる。
彼女は手を震わせながらも、ゆっくりとリックのそれに重ねた。
長年剣を握ってきたのであろう、ゴツゴツとした男らしい手が、本より重い物を持ったことがない自分の小さく丸っこい手に重なる。
「リック様がどれだけ頑張ってきたのかわかるなんて、軽々しくは言えません。けれど……あなたがここにいる人達のことを思って気を配っているのは、兵士達皆さんの態度を見ればわかります」
シュヴァルツェンベルク領軍がリックを見つめる目は、どれも敬意に溢れていた。
死地に送られるも同然である終わりなき防衛戦に向かう兵士達の顔ではない。
リックは自身、誰よりも率先して戦い続けている。
領都がここまで魔の森に近いのはきっと、彼を含めた歴代の当主達が、皆常に身命を賭して魔物と戦い続けてきたからなのだろう。
「困った時は助け合う……それが夫婦というものじゃないですか?」
「……アキ」
リックは勢いよく顔を上げ、アキのことを見つめる。
浮かべているのは、いつもと変わらぬ仏頂面であるはずだ。
だがアキにはその顔は、助けを求めて泣いている子供のように見えた。
いつもなら恥ずかしくなって顔を逸らしてしまうアキだったが、今の彼女はなぜか、きちんとリックのことを正面から見つめ返すことができた。
「私、もっともっとリック様の役に立ちます。私達でこのシュヴァルツェンベルク辺境伯領での戦いを終わらせましょう。そうして……毎日、お屋敷で美味しいデザートを食べる、のんびり過ごすんです!」
「……ふっ、そうだな」
「えっ、なんで笑うんですか!?」
アキの言葉を聞いたリックは、いつものように微笑を浮かべた。
けれど険の取れた表情は、いつもよりもずっと爽やかに見える。
「大きく出たな、アキ。だが、魔の森はそう簡単じゃないぞ」
「大丈夫です、きっと。二人で力を合わせれば……」
「ああ、俺達にできないことはない」
「……(こくっ)」
アキは頭に浮かんだ言葉をそのまま口には出さず、そっと胸の内に秘めて魔の森との領境へと向かうことにした。
『私がこの地に来たのは、運命だったのかもしれません』
――そんなロマンチックな言葉を真正面から吐くのは、今のアキにはまだ難しかったから。




