3.姉、生意気だと詰られる
王立学院では、定期的に成績優秀者をエントランスホールの掲示板に掲示する。各講義ではAからEまで点数が付けられ、Eは失格となるため、改めて試験を受けるか講義を再び受けなければならない。Dは最低限、Cは普通、Bは優良、Aは優秀と言う評価になる。稀にこれらを超える評価としてSを付けられる者もいる。
今回掲示されたのは、在学生の前年度全体を通しての評価だった。
そこには各講義でAを獲得した学生の名が掲示されている。Aを取るのはおおむねその講義を受けた上位一割程度であった。アリシアはすべての講義でA以上の成績を修めている。更に言うと領地経営と歴史、語学ではSを取っていた。
その掲示を見上げていたアリシアの背中に、不穏な囁き声が響いた。
「どうせ領主になれないのに……無駄じゃないか? なあ?」
「ええ、そうですね!」
「体調さえ万全なら、爵位を継ぐのはセドリック様であるのは自明の理、領主にならない女は淑女教育に専念すべきだ。|賢<さか>しらに学業で目立って何になるのか」
「全く、その通りですね!」
『セドリック……』と言う言葉がアリシアの鼓膜を捉えた。生徒達の群れに紛れて、先日の弟の友人が話している。どうやら小柄な少年は、セドリックを案じるあまりアリシアを非難せずにはいられないらしい……残念なことに。
だが全生徒の模範となるべき生徒会委員であるアリシアは、その小さな声をとりあえず聞き流すことに決めた。この場でいちいち取り合っては、フレイム伯爵家の内情を不本意に広めてしまう事になりかねない。
しかしトラブルを避けるため、そっと立ち去ろうとした時、思わぬ援軍が現れてしまった。
「……ちょっと、言いがかりは止めなさいよ!」
アリシアが振り返ると、ひょろりと背の高いダニエル・モリス(弟の友人の素性が気になったので、一応調べた)を背に立っている小柄なロビン・シラー(こちらも同様に調べた)が立っていた。そこへアリシアを庇う様に飛び出して来たのは、彼らと同じ新入生のミランダ・ボンドだった。ミランダは栗色の髪をツインテールに結んだ、猫を思わせる釣り目の少女だ。
「な、なんだと! お前、生意気な……平民のくせに!」
ロビンは自分の嫌味を聞きとがめ、真正面から立ち向かってくる人間がいるとは考えていなかったらしい。ましてやそれが、貴族が通うために作られた学院に、お情けで通わせてもらっている(と、ロビンとその親は考えている)平民だと言うことに苛立ちを感じたらしい。
しかしミランダは優秀な成績で入学試験を突破し、尚且つ大きな商会を経営する親が決して少なくない額の寄付金を収めている。そして平民ではあるが、母親は隣国の貴族の出であった。その上、三人の兄達が寄ってたかって可愛がったため、鼻っ柱も大変強かった。蝶よ花よと育てられ、『平民』として蔑まれた経験など無かった―――学院に入学するまでは。
貴族の子供がこれだけ集まると、中には平民に対する差別意識を隠さない者もいる。ミランダは初めて蔑まれる、という理不尽を経験して傷つき、苛立った。しかし何度も経験するうちに苛立ちは疲弊に変わる。柄にもなく落ち込んだりすることが多くなり、保健室で泣いている所を怪我をした生徒に付き添って来たアリシアに慰められたのだった。
それ以来ミランダは、アリシアの事が大好きになってしまった。それから当のアリシアが戸惑うくらい、心酔している。だから少しでもアリシアを批判する言葉に、我慢できないほど怒りの感情を抱いたのだった。
「……何ですって!」
だから『平民』と蔑まれ、彼女は、顔を真っ赤にした。こちらも今の彼女にとってはNGワードである。苛立ち紛れに良くないと思いつつ―――ボソリとこう吐き出した。
「ふん!……傲慢チビが」
「な、何だと!!」
売り言葉に買い言葉、ロビンはカッとなった。
思わず腕を上げ、掌をミランダに向ける。
カッとなった彼は家庭教師に習った、身を守るための攻撃魔法を繰り出そうとしたのだ。
その仕草を察知したアリシアは、素早く二人の間に滑り込んだ。
同時に、人差し指を口元に掲げる。新入生を守るために―――ミランダを物理攻撃から守り、ルール破りを衆人環視の中でやってしまいそうなロビンを守るために。
薄い膜が張られ、ロビンからふわりと放たれた衝撃が、シュン……と吸収されるように静かに相殺された。
魔法を学院で初めて学ぶ者も多いが、家の方針でロビンのように事前に手ほどきを受ける者もいる。しかしそれを同じ学院の生徒に当てるのは規律違反である。そもそもどの程度制御できるかも怪しい魔法を使って、相手に怪我をさせたり暴走で自分が怪我したりする可能性がある。バッジに防御機能はあるが、正しく付けるのを忘れたり、メンテナンスを怠って魔力を十分に補充しておらず正常に機能しない場合もある。新入生は技術や安全などそういう事もよくよく学んでから、初めて魔法の演習を許されるのだ。
王立学院の生徒は学院できちんと魔力制御を習わなければならない。このため、暴走を防ぎ、けが人を出さないために、王立学院内では決まった場所で、許可や立ち合いを得て魔術を使うことが決められている。それを破れば、罰則を受ける場合もあるし、査定に響く。
学院に入学したてのロビンはまだよくその事を認識できずにいるに違いない。
アリシアは慎重に、言葉を選んだ。
「身分に関わらず切磋琢磨するのが……当学院の指針です。彼女の発言が礼儀に適うかどうか、良し悪しは別にして、身分を盾にするのは指針に反します」
ロビンの魔術は周囲を囲んでいる者が視認できるほど強い物では無かったが、ミランダが弾き飛ばされれば気付かれただろう。アリシアはそれを同じだけの力で相殺させることで、無かったことにした。
更にロビンがカッとなって魔術を使ったことには敢えて触れず、アリシアは生徒会委員として彼を諫めたのだった。
自分の攻撃を難なく読まれ、沈静化させられた事に呆然としたロビンは、一瞬息を飲む。だが直ぐに気を取り直し、キッとアリシアを睨み返した。
アリシアはその視線を静かに受け止め、それからフッと慈愛を込めた瞳で背にかばったミランダを振り返る。
「ミランダも―――いきなり人に食って掛かるのは、どうかと思うわ」
「だって、私悔しくて……平民ってバカにされるのは……」
「人の外見について言うのは……どう考えるの?」
「うっ」
ミランダは苦虫を潰したような顔になり、痛い指摘に俯いた。
「……ごめんなさい」
「でも庇ってくれて、嬉しかった」
ハッとミランダは顔を上げて、アリシアを見る。変わらず、柔らかい表情を目にして、ホッとしたように眉間を緩める。
「ありがとう」
とアリシアに微笑まれ、思わず、うるりとミランダは瞳を潤ませた。
「アリシアさまぁ!」
そしてミランダはアリシアにヒシっと抱き着いた。アリシアはちょっと目を丸くして、それでもミランダを突き放さず、優しく背を撫でる。
いつのまにかエントランスホールに居た生徒達の群れは四人を囲むように遠巻きにしていた。まるで決闘の場を観戦するような空間が生まれている。
ミランダを慰めるアリシアに周囲がホッとした視線を向ける中で、何となく居心地悪い思いを抱いたロビンはじりじりと後ずさってこの場を逃げようとしていた。
「……何をやってる?」
低い声が響き、人垣が割れて現れたのはセドリックだった。
「セドリック様!」
パッと顔を上げたロビンが、ホッとしたように駆け寄った。ひょろりとしたダニエルがその背に続く。セドリックに駆け寄ったロビンはキッと振り返りミランダとアリシアを睨みつけた。まるで虎の威を借る何とか、である。
「この平民が、生意気にも僕の事を罵ったのです……っ!」
眉根を寄せて、セドリックがアリシアとミランダに視線を向ける。
アリシアとセドリックの視線が一瞬絡み合った。つい先日気付いてしまった自らの思い違いが彼女の心に暗い影を落とし、思わずアリシアは視線を外してしまう。
「お騒がせして、ごめんなさい」
そう一言だけ言い置いて、気づかわし気にこちらを窺っているミランダに再び微笑み背を撫でる。
「ミランダ、もう行きましょう」
そのまま振り向かずミランダを促して立ち去るアリシアの前に、人垣は自然に道を開けた。
「まっ……」
その背中に手を伸ばし何か言いかけたセドリックは、彼が何を言い出すのかと大勢の視線が集まっているのに気が付いて、ぐっと拳を握って下ろす。「ちっ」と舌打ちすると、クルリと背を向けて逆方向に歩み去った。
「セドリック様!」
ロビンとダニエルが、慌ててその背を追う。
主役たちが立ち去ったため、周囲に集まっていた見物人たちはそのうちその場から散ってしまった。
その一部始終を、少し離れた場所から腕組みをして見守っている生徒がいたのだった。
次話は26日6:00投稿予定です
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