3.銀炭山、地獄の遠足
遠足が始まります。
果たして、誰に対しての「地獄」なのか……?
夜明け前にステファンは目が覚めた。
遂に言った。頑張った俺。これから一週間、どんな態度で接すれば⋯⋯いや待てよ、恐らくあの過保護な女も来るのだろう。奴の信頼を勝ち取るのが先か?
そんなことを考えながら支度をする。ちょっと丁寧にシャワーを浴び、ヒゲが伸びていないかチェックし、髪を整える。
――番は良いぞ。荒ぶる魂が落ち着く。
――出会うために生まれてきたんだって思うの。
ふいに両親の言葉が思い出された。他の同胞達も、番同士で人目も憚らずイチャイチャイチャイチャとしていた。そんなモノ、いらない、一生独身を貫こうと思っていた。
――十年くらい、私達ならすぐよ。見聞を広めるために、番でも探してきなさい。
そう命令され、国を放り出されて。適当に時間を潰してから帰ろうと思っていたのに。ステファンは、ソーフィアという番と出会ってしまった。
「⋯⋯こんなにも心躍るものなんだな」
ぽつりと呟いたその言葉すら、浮かれているようだった。
とりあえず、頼れる男になるため、準備は万全かつコンパクトに。
約束の時間まで、あと三時間。
一方。
「起きてください、お嬢様!」
ソーフィアはアンナに叩き起こされていた。布団はベリッと剥がされ、ソーフィアのお休みの友のぬいぐるみも吹っ飛んで行った。
「んん⋯⋯アンナ? まだ暗いわ⋯⋯」
「奴をギャフンと言わせるための準備です! さあ、お風呂に入ります! 戦いはすでに始まっているのです!」
「待っ、きゃあ! それ、冒険者に必要〜!?」
まるで夜会の日の朝さながら、ソーフィアは夜明け前からアンナに磨かれるのであった。
「⋯⋯遅い」
ギルドの前にステファンは腕を組んで仁王立ちしている。双剣の代わりか、背中にある大剣と不機嫌そうな顔が相まってものすごい迫力だ。彼はコートの代わりにシャツを羽織り、他の冒険者と比べるとかなりの軽装であった。
「ご、ごめんなさい⋯⋯ちょっと準備に手間取って⋯⋯」
言いながら現れたのは、サラサラつらつらの金髪をなびかせ、つやつやぷるぷるな肌に、完璧なプロポーションのラインを惜しげもなくさらけ出したソーフィアだった。
後ろからは底意地の悪そうな顔をしたアンナが付いてきている。
「⋯⋯あ、ああ。そ、そうか。いや、何の準備に手間取るというんだ(何の拷問だこれは!? 可愛すぎて直視できん⋯⋯!)」
「ノクスドラク、私がお嬢様のお世話をいたしますから、貴方は思う存分に素材を採取なさってください」
アンナはニヤニヤしながら見ている。
「ちっ、時間が惜しい。行くぞ」
出発しようとしたその時。
「あっ、アンナさーん! いたいた〜!」
受付嬢ののんびりとした声が呼び止めた。ぱたぱたと走ってくる。
「アンナさんはサザランズの辺境伯様からご指名で依頼が入ってます〜。今日から三日、護衛お願いします〜」
「えっ、アンナ⋯⋯」
「はっ!? おおおお嬢様!?」
「⋯⋯⋯⋯(なんだ、と⋯⋯?)」
わなわなとアンナは震えている。
「なんというタイミング⋯⋯! あの辺境伯め⋯⋯! これは陰謀です。私はお嬢様の影⋯⋯! 影が本体から離れてどうしますか!」
がっくりとアンナはうなだれている。ソーフィアは傍らに膝をつき、アンナの肩に手を置いた。
「指名依頼がつくということは大変名誉なことよ、アンナ。ギルドの信頼のためにも行ってきなさい。大丈夫、私はアンナに育ててもらったのだもの。⋯⋯いい機会だから、一人でもできるようにしないと」
ソーフィアの言葉によってアンナは撃沈した(主に精神面で)。
「! お嬢様が自立を⋯⋯! ううっ、嬉しいのにこの状況は憎たらしい⋯⋯!」
そして今度はステファンの方を睨みつける。眼光が凄まじい。ソーフィアとの態度が違いすぎる。
「いいですね、ノクスドラク。あなたはお嬢様には手を触れずお守りするのです。指一本でも触れたら、その命ないものと思いなさい」
「ふん。言ったはずだ。俺は女には興味はない。この相棒の修繕に必要な素材集めにこき使う。それだけだ」
「きいー! ああ言えばこう言う! だから私はお前が嫌いなのですよ! 三日と言わず二日で片をつけますから! お嬢様、ご無事で!」
「アンナさん! 早く来てください!」
受付嬢の急かす声が聞こえた。後ろ髪を引かれながらもアンナはギルドの中へと向かったのだった。もちろん、その間何度も振り返るなどした。
はあ、とステファンは深く嘆息した。
「予定が狂ったが、行くぞ。自分の身は自分で守れ」
「はっ、はい!」
無言の道中。口を引き結んだステファンの横顔を窺う。ソーフィアは、アンナには安心するようああ言ったものの、ちょっと二人での行動に不安になった。
街の門を西から出てしばらくするとゴツゴツとした岩が目立つようになる。
「そういえばステファンさん、銀炭山ってどんなところですか?」
「……ソロで行くにはBランクでないと攻略できないところだ。それなりに強い魔物が出るが、相応の素材が手に入る」
「わ、私、Cランクなんですけど⋯⋯!」
「Sランクの俺がいるから行ける」
「え、Sランク⋯⋯。ステファンさんって、すごいんですね。⋯⋯きゃっ!?」
平らだった道からでこぼこが酷くなり、ソーフィアはやや大きめの石に足を取られて転びそうになった。
「⋯⋯手間を掛けさせるな」
痛みに耐えようと目を瞑ったソーフィアだったが、衝撃は来ない代わりに耳元でステファンの低い声が耳朶を打つ。ステファンはソーフィアの腰を軽く引き寄せ、転ばないよう支えていた。
「あっ、ありがとうございます! ご、ごめんなさい⋯⋯」
「気をつけろ。もう少ししたら魔物も出てくるし足場もさらに悪くなる。油断するな」
「はいぃ」
ステファンは目を合わせない。冷たいような態度のなかに、ほんの少し、熱があるようにソーフィアは感じられた。
なんとなく、この人はやさしい人、なのかもしれない。
対するステファンは。
(――腰が、細くて折れそうだ。しかもこの近距離での香り⋯⋯。これが三日も続くのか⋯⋯!? 耐えられないのはどっちだ⋯⋯)
悪路が続く。さすがのソーフィアも少し息が上がってきた。緑はなくなり、見渡す限りの岩、岩、岩⋯⋯。
(――こんな所、初めて来たわ)
見慣れない風景と二人きりという状況に、ソーフィアは少しどきどきしてきた。
「おい」
「ひゃっ!?」
変な声を出して飛び上がるソーフィアに、ステファンは呆れたように言った。
「そんなに怯えるな。来るぞ」
「えっ、ま、魔物⋯⋯!」
出てきたのはロックリザードが三体。Bランク冒険者がパーティーを組んで倒す魔物だ。鉱物のように硬い皮膚と岩を飛ばしてくる攻撃、重い体の割に速い動きが倒すのに手こずる。
「み、見ててください⋯⋯!」
ソーフィアは手をかざし、的をロックリザードに当てる。思い浮かべるのは、アンナと一緒に来れなかった不満。
ズガガガガン!と魔力を打つと――。土煙と貫かれるロックリザード、そして砕け散った岩。
「な⋯⋯!?」
大剣を抜こうとしたステファンが目を見開いて固まった。
「できました! お手間、掛けてませんよ?」
にっこりとソーフィアは笑みを浮かべた。
ぱち、と火が爆ぜる。
夜は魔物の行動が活発になる。ちょうどよい岩棚が見つかったので、日も暮れてきたこともあり野営を行うことになった。
ステファンに準備してもらった火を見ながら、食事を食べる。行く前にアンナに手渡された携帯食は、軽くて持ち運びもしやすいのに美味しい。
「ステファンさんもどうぞ。おいしいですよ」
「ああ、もらおう」
一口食べたステファンは目を瞠った。きっとおいしすぎて驚いているのだろうとソーフィアは思った。が。
(――これは、地竜の肉だと⋯⋯!? しかも野菜と見せかけてポーションの材料が挟まれている!? 魔力と体力の回復剤というわけか⋯⋯。いや、これは食べ過ぎると逆に毒だ⋯⋯! 精力剤か!?)
そこまで消費してないステファンには危険である。主に、己の理性が。
「もっと食べます?」
無邪気に勧めるソーフィアに、ステファンは首を振った。
「食料は大事にしろ。日持ちするなら一気に食べるのは止めておけ(これ以上食べたらまずい頑張れ俺の理性)」
「あっ、そうですよね。アンナ、大丈夫かしら⋯⋯。(またやっちゃった⋯⋯ステファンさん、呆れてるかしら)」
「⋯⋯あの、ステファンさん」
「なんだ」
「私を、同行者に選んだ理由って何ですか?ステファンさんならとても強いし、助けなんて必要ないんじゃ⋯⋯」
「いや⋯⋯。俺でも無理なものがある」
そう言ってステファンは折れた双剣の片割れを火にかざした。
「この双剣は、銀炭から抽出される特殊な金属を使っているんだが、抽出する溶媒に光響木の花が必要でな。光響木は乙女でないとすぐ枯れてしまって採取できないんだ」
「そうなんですか? 光響木⋯⋯初めて聞きます。でも、『乙女』って?」
「⋯⋯さしずめ、経験のない女ってことだ」
「? 確かに、私はまだ未熟ですが⋯⋯」
よく伝わっていないのか、ソーフィアの頭には疑問符が浮かんでいた。なるべくオブラートに包みながら直球を避けた物言いだったが、ソーフィアには伝わらなかったらしい。ここでアンナがいたらある意味殺されていただろう。
ステファンは立ち上がり、テントを指さす。
「火の番は俺がやる。お前は寝ろ」
「で、でも、一晩中ってのは」
「夜明け前に起こしてやる。交代だ。それから俺は仮眠をとる。日が昇ったら起こせ」
「あっ、分かりました。ありがとうございます、ステファンさん。おやすみなさい」
テントの中にソーフィアが入る。少しして規則正しい寝息が聞こえてきたのを確認して、ステファンは静かに、だが深く息を吐いた。
(――初日でこれか⋯⋯。なんだこの生き地獄は。可愛すぎる。辛い)
どろりと熱い血液が、全身を駆け巡っている。先ほど食べたあの毒のような肉の影響か、あるいはテントから漏れ出る少女の甘い香りのせいか。
座ったままでは、理性の防波堤が内側から決壊しそうだった。
ステファンは立ち上がり、静かに大剣を引き抜いた。
夜の冷気が肌を刺すが、火照った体にはちょうどいい。
シュッ、と鋭い風切り音が闇を裂く。
一振りごとに、行き場のない熱を剣先に込めて解き放つ。
二振り、三振り。
巨躯が描く円舞は、本来なら魔物を一撃で粉砕する破壊の旋律だ。だが今の彼にとっては、猛り狂う本能を鎮めるための「祈り」に近い。
甘い香りはあの出会いを否応なく思い出させる。
(頼む⋯⋯。俺の心臓、鎮まってくれ⋯⋯! 思い出すな、鎮まれ、鎮まれ⋯⋯!)
額に浮かぶ汗が、焚き火の光を反射してパイロープ・ガーネットの瞳のように赤く光る。
結局、彼は交代の時間まで数千回の素振りを繰り返し、その鬼気迫る様子に怯えたのか、魔物は一匹も近づいてこなかった。
約束通り、空が白み始める前にステファンはテントの幕をそっと開けた。
「⋯⋯おい、ソーフィア。起きろ。交代だ」
「ん⋯⋯ふぁい⋯⋯。おはようございます、ステファンさん⋯⋯」
目をこすりながら出てきたソーフィアは、寝起きのせいで少し体温が高く、頬が桃色に染まっていた。あろうことか、彼女はふらふらとステファンの胸に頭を預けてしまう。
「⋯⋯っ!? お、おい!」
「⋯⋯ステファンさん、温かい⋯⋯。岩みたいに、がっしりしてるのね⋯⋯」
ソーフィアは無自覚に、ステファンの鍛え上げられた胸板に頬をすり寄せた。あの香りがふわりとソーフィアの鼻に届く。とても安心する――。
ステファンの理性という名のダムが、ミシミシと音を立てて崩壊の兆しを見せた。なるべく力を入れないように、ステファンはソーフィアの両肩に手を置く。そしてゆっくりと押し返した。
「⋯⋯ソーフィア、離れろ。お前、自分が何を⋯⋯」
「⋯⋯え? あ、⋯⋯ご、ごめんなさい! 私、寝ぼけて⋯⋯!」
ようやく意識がはっきりしたソーフィアが真っ赤になって飛び退く。
「⋯⋯いいから、座って火を見張ってろ。俺は少し寝る。⋯⋯変な魔物が来たら、昼間みたいに消し飛ばせ。いいな」
「は、はいっ! 任せてください!」
ステファンは逃げるようにテントへ潜り込んだ。
そこには、さっきまでソーフィアが寝ていた温もりと、あの甘い香りが充満していたのだった。
(⋯⋯クソ。仮眠どころか、これじゃ拷問の延長戦だ⋯⋯!)
一方、見張りに立ったソーフィアは、自分の心臓がうるさいほど鳴っていることに気づいていた。
(どうしよう。ステファンさんの胸、すごく⋯⋯ドキドキしてた。私を嫌ってるわけじゃ、ないのかしら⋯⋯?)
翌朝。ややげっそりとしたステファンと元気なソーフィアはさらに上を目指す。
(――結局一睡もできなかった⋯⋯)
(――ステファンさん、機嫌悪そう⋯⋯。私が頑張らなきゃ!)
チグハグな事を考えている二人である。
ソーフィアのおやすみの友のぬいぐるみは何なんだろうと思う今日このごろ。
鋼の精神力の持ち主・ステファン?




