2.聖域の守護者と不浄の男
よろしくお願いします。
不浄の……男……?
ソーフィアが湯上がりでホカホカと湯気が上がる頃、アンナが帰ってきた。
「お嬢様? お風呂に入られたので?」
「ええ、まあ⋯⋯」
そうだ、飛竜の皮の防具。スライムに溶かされたことを思い出し、ソーフィアは青ざめた。
「アンナ、あのね、私⋯⋯」
「ほう、スライムが⋯⋯。まずはご無事で良かったです。防具などまた新しいものを揃えましょう。……ですが、これは……?」
玄関のハンガーに掛けられた男物のコート。やや魔物の血が付き、ところどころ汚れている。しかもなんだか上質な雄の香りがする。
「ああ、それ……通りかかった人が助けてくれて、服が溶けちゃったから貸してくれたの」
「ほーお…………」
アンナの声は一段と低くなった。
「つまり、その男はお嬢様の恩人でもあるが、お嬢様の肌を見た不届者ということですね。殺りましょう」
「えっ、ま、待って、確かに見られたけど、隠してたし大丈夫だと思うわ! 別にそんな命まで取らなくても!」
「その肌を見たと言うだけで万死に値します。それが貸してもらったというコートですか? (クンクン)……ほほう。だいたい分かりました。ちょっとヤッてきます」
「待って待って待って! アンナ行かないで一人にしないで〜〜!」
何とかアンナを留めたものの、ソーフィアは素肌にあのコートを着たということから「消毒」という名の風呂にもう一度入らされる事になった。
そしてそのコートは不浄ということで焼却処分となった(跡形もなく灰となった)。
「なんでぇ〜〜!?」
「あっ、ソーフィアちゃん! 無事だった?」
三日後。新しい防具に身を包んで、勇んで依頼を受けようとしたソーフィアに、受付嬢はほっとしたように話しかけてきた。
「えっ、無事ってなんですか?」
「ほら、この間、こちらのギルドカードが黒くなっちゃって、何かあったんじゃないかって心配してたのよ」
そういえば。服が溶けたことに気を取られてギルドカードのことをすっかり忘れていた。あ、とソーフィアは口元に手を当てる。
「忘れてました! 再発行できます?」
「ええ、大丈夫! ⋯⋯何かあった?」
「えっと⋯⋯、ヒカリゴケの採取中にスライムに襲われちゃって⋯⋯」
「それは災難だったわね。ちなみに、そのスライムの種類は?」
「種類?」
「スライムも色々あって、毒を持っていたり、金属系を好んで食べたり、マグマのような熱を持っていたりするものもあるの」
「そうだったんですね! ごめんなさい、不勉強だったわ」
「いえいえ、アンナさんと一緒に依頼すると、スライムなんて弱すぎるものね」
冒険者たちの情報は大切なので、共有できるところは共有するのよ、と受付嬢は笑顔で言う。
「ええと⋯⋯ピンク色でした。すごく大きくて、あっという間に飲み込まれてしまったの」
「まあ! ソーフィアちゃんも餌食に? ⋯⋯よく無事で」
スライムの色を言った瞬間、ギルドの中が静まり返った。というより、男性冒険者達はひと言でも聞き漏らすまいと黙り込んだのだ。ごくり。誰かのつばを飲み込む音が聞こえた。
この辺りの高嶺の花、若くて美人でナイスバディなソーフィアちゃんがあのスケベスライムの餌食に⋯⋯? とすると、あの聖域が⋯⋯!? 彼らは妄想をたくましくしていた。
「で、でも、親切な人がスライム討伐したので!」
「えっ? 誰?」
「私もちょっと慌ててたので、そうね、お名前聞きそびれたわ⋯⋯。黒髪で、目が紅くて、怖そうな男の人だったわ」
ア・イ・ツか⋯⋯! 冒険者達は一斉にステファンの顔を思い浮かべた。できることなら自分がソーフィアちゃんを助けたかった。
「黒髪で紅い目⋯⋯、ステファン・ノクスドラクさんですね」
「ステファンさん⋯⋯。それで、コートを借りたんですけど、その、アンナが洗濯しようとして、その⋯⋯」
コートを借りた!? いや待て、ピンクスライムの粘液をかけられたなら一部の被害で済むが、飲み込まれたと言っていた⋯⋯ということは⋯⋯あの防具の下、さらにその下の、聖域をあの男は目にしたというのか!!?
「うわああああ!」
「ちくしょー!」
男性冒険者たち(主に若者)は口々に膝から崩れ落ちた。女性冒険者達は白けた顔で彼らを見ている。耐えきれなくなった者から叫び始めた。
ステファン・ノクスドラク、サザランズの男性冒険者をほぼ全て敵に回した瞬間だった。
「えっ、いきなりなんなの⋯⋯?」
ソーフィアもびっくりだ。隣りにいたアンナはこれ以上ないほどの笑顔を浮かべており、「今叫んだ者たち、後で呼び出しますね」と口にしていた。
「まあ、コートはとりあえずいいの。ギルドカードの再発行お願いします」
「再発行しなくてもいい」
ドキン。少し冷たくて低い声がソーフィアの背後から聞こえ、心臓がはねた。
弾かれたように振り向くと、そこには不機嫌そうに眉間にしわを寄せた三日前の男が立っていた。
ギルド全員の視線が集中したことに気がついたステファンは、眉間のしわをさらに深くした。
「⋯⋯なんだ、この妙な空気は」
「おのれえええ! ステファン・ノクスドラク! よくも、よくも俺たちの聖域を拝みやがったなあああ!」
血走った眼をした若手冒険者が、身の程もわきまえずに拳を振り上げ、特攻を仕掛けた。
ステファンは眉一つ動かさない。
ドゴォッ!!
鈍い音が響いた。ステファンは一歩も動いていない。ただ彼の髪が風圧で軽くそよいだだけだ。
ただ、懐から取り出そうとした「ソーフィアのギルドカード」を邪魔された不快感から、手刀の一撃が若手の鳩尾を正確に捉えていた。
「ぐはっ⋯⋯!?」
「失せろ。羽虫が。⋯⋯俺は、この『ソーフィア』という女に用があるだけだ」
ステファンが冷たく言い放ち、その「ソーフィア」という名前を口にした瞬間。
ギルドに残っていた男たちの心に、二度目の、そして最大級の絶望が走った。
「呼び捨て⋯⋯だと⋯⋯?」
「もうそんな関係なのかよおおお!」
返り討ちにあった男の横で、さらなる悲鳴が上がる。
そしてステファンの視線は、新しい防具に身を包み、気まずそうに身を縮めているソーフィアへと移る。
「あ⋯⋯えっと、ステファン、さん?」
「⋯⋯ソーフィアと言ったな。お前のギルドカードが落ちていた」
近づいてきたステファンをソーフィアは見上げ、差し出されたカードと見比べた。
壁のような高い背。赤い瞳はまるでパイロープ・ガーネットのような輝きを持ち、その奥には仄かな熱を感じる。
「あっ、ありがとう、ございます」
ソーフィアは受け取ろうと手を伸ばした。と、二人の指先が触れ合う。
「⋯⋯っ!」
ステファンは火傷でもしたかのように手を引っ込めた。ソーフィアと一瞬視線が絡み合う。ついと目をそらした。
「⋯⋯俺の、コートは(何か、話題を言わなければ)」
あのコートはステファンがそれなりに気に入っていた逸品だった。内ポケットには彼のギルドカードが入っていたのだ。返してもらわなければ。
「あっ、えっと、その、コートもありがとうございました。でも、その⋯⋯」
「さっさと言え」
「あ、アンナが、灰にしちゃいました⋯⋯」
「は?(え? あの特製コートを?)」
沈黙が、ギルドを埋め尽くした。
「灰にした、だと⋯⋯? 馬鹿な。あれは耐魔法攻撃無効と耐物理攻撃無効の特注品だぞ!? 誰がそんなことを」
「私ですが、何か?」
すすす、とソーフィアの後ろに控えていたアンナが進み出た。何故か勝ち誇ったかのような顔をしている。
「ステファン・ノクスドラク。お久しぶりですね」
アンナの顔を認めたステファンは、ものすごく嫌な顔をした。苦い薬草をすり潰してそれを十倍に濃縮したものを飲んだ、そんな顔だった。
「⋯⋯お前か」
「お嬢様を助けていただいたことは感謝します。感謝の意味を込めまして、あの汚れたコートは処分させていただきました」
感謝の方向が違う! ギルド全員のツッコミが揃った。ステファンはこめかみに手を当てる。
「⋯⋯どうしたら処分に繋がるんだ? 普通に返せばいいだろう」
「アンナ、知ってる人なの?」
(ある意味)空気を読まないソーフィアがキョトンとした顔でアンナを見た。
「ええ、同郷なので。さあ、お嬢様、そんな顔はしてはいけません。(そんな可愛い顔を見せてはいけません)」
「あっ、ごめんなさい、アンナ。それで、コートの弁償をしたいと思って⋯⋯」
ソーフィアはやや震える手でお金の入った巾着を取り出した。特注品と言っていたのだ。お値段がどれくらいになるのか想像もつかない。借金かもしれない。
「ふん、金などいらん。Cランクのお前の稼ぎ程度であのコートが買えるとでも?」
冷たく言い捨てられた言葉に、ソーフィアは納得しつつもシュンとうなだれた。
「それは、そうですけど⋯⋯」
「それより重要なのは俺の武器だ。先日の依頼で双剣が折れた。直すために必要な素材を銀炭山に取りに行く手伝いをしろ。期間は一週間。それでチャラにしてやる」
「えっ」
ステファンの言葉にソーフィアはもちろん、ギルドの男たちもどよめいた。こいつ、まさか俺たちのソーフィアちゃんと一週間も一緒に過ごすつもりか。
「おおおお嬢様! 頷いてはなりません! 脅しです何をされるかわかりません素材と言いつつ狙いはお嬢様かもしれません!」
アンナが超早口でまくし立てた。ステファンはさらに苛ついたのか、周りの温度が低くなったような気がした。
「お前など眼中にない。金ではなく労働力で返せと言っている」
「(それって実質『体で払え』って言ってるわよね?)」「(情熱的〜)」受付嬢達がこそこそと会話している。
「――分かりました。私にできることであれば、何でも」
覚悟を決めたソーフィアは顔を上げた。ふ、とステファンは不敵な笑みをたたえる。
「――なんでもする、か。その言葉、覚えておけ。明朝、ギルドの前で集合だ。遅れるな」
ステファンはくるりと背を向け、出ていく。その様子を見ていた男たちはまた、膝から崩れ落ちていた。
「⋯⋯なんなんだよ、あの人⋯⋯!」
結局、聖域の守護者って誰だったんでしょうね……?
アンナ? アンナかなあ……⁉




