3 二人の旅路、五十年振りの新婚旅行
ようやく新婚旅行です。
「⋯⋯さて、準備できたか、ソーフィア」
冒険者服に身を包み、腰に双剣を装備したステファンが尋ねた。
「ええ、準備バッチリよ」
動きやすい服にローブを羽織り、ソーフィアは応えた。あれから年数が経つが、ソーフィアは今だ若々しくスタイルもバッチリだ。まさか彼女が十三人の子持ちとは思うまい。
「行っちゃうのー? 不安なんだけど⋯⋯」
ブランシュはその白い髪をかき上げながら聞いた。彼女は結局三人の子を生んだ。皆白竜で、後継者はブランシュの長女のシエルに決まっている。
「充分教えただろうが! いいだろう! 今になってやっと新婚旅行くらい行ったって! 俺達は誰かのせいで蜜月なかったんだぞ!」
くわっ、とステファンはソーフィアの肩を抱きながら青筋を立てる。その眼光をブランシュは飄々と受け流した。
「まあ〜、いいけどぉ〜。戻ってくるのよね?」
「子どもたちがいるからちゃんと帰ってくるわ。心配しないで、ブランシュ」
「母上、気をつけて。特に、父上に」
長男、黒竜のゼノが真剣な顔をしてソーフィアに向かって口を開いた。
「⋯⋯お前こそ、成竜するまではシエルには手を出すなよ」
「なんっ、父上!」
幸か不幸か、ゼノとシエルは「番」であることが判明している。シエルが成竜するまであと六十年ほどある。長い。
「でもパパ、ヤリそう。ま、その時は手紙とか教えてね。名前とか考えてあげる」
四女の紫竜、エイルがニヤニヤしながらソーフィアに回されたステファンの腕を見る。
「ちょっ、あなたたちまで何言って⋯⋯!」
大きくなった子どもたちにからかわれながら、ステファンとソーフィアはカザドゥームに向けて今日飛び立つのだ。
「行くぞ、まずはサザランズだ。ギルドカードは持ったな?」
ソーフィアは子どもたち全員の額にキスをし、翼を広げた黒竜に飛び乗った。大きく手を振る。
「じゃあ、ちょっと行ってきます!」
今度は二人きりで、五十年ぶりの新婚旅行だ。新しい人との出会いや新しい景色にワクワクする。
黒竜はゆっくりと羽ばたき、二人は飛び立った。
かつて二人が出会い、不器用な恋をした、あの懐かしい街。
宿場町のギルドに足を踏み入れたのは、黒いコートを翻す屈強な男と、朝焼け色の瞳を輝かせた美しい女性だった。
「おい、見ろよ⋯⋯あの二人、ただ者じゃねぇぞ」
「魔力の気配が桁違いだ。特にあの男、昔この街にいた伝説のSランク冒険者に似てねぇか?」
「てか、あの女の子、もしかして『手出し無用のソーフィアちゃん』!?」
ざわつく冒険者たちを余所に、ステファンは慣れた手つきで受付にギルドカードを差し出した。
「⋯⋯依頼を受けに来た。一番手強くて、報酬が良いやつを頼む。⋯⋯ああ、 あと、この街で一番大きな一軒家を借りたい」
「えっ、家ですか? お二人だけなら宿屋で十分では⋯⋯」
「⋯⋯いや、すぐ手狭になる予定だからな」
ステファンは隣でクスクスと笑うソーフィアの肩を抱き寄せ、少しだけ誇らしげに口角を上げた。
「⋯⋯ここが、私達の家になるのね」
広い部屋でソーフィアは顔を輝かせた。家具もない殺風景な部屋はどこか、がらんとして寂しい。
「ね、ステファン。もう少ししたら、子どもたちを呼んで、サザランズを見せてあげましょうよ」
「嫌だ」
少し拗ねたような声。
(⋯⋯もう、仕方のない人)
少し眉を下げ、ソーフィアは困ったように微笑んだ。
「昔のクールな貴方はどこへ行ったのかしら?」
「⋯⋯こんな俺は、お前の前だけだ。⋯⋯フィフィ⋯⋯」
そっと抱き寄せ、耳元で囁く吐息に、ソーフィアは顔を赤らめる。
「⋯⋯まだ、明るいわ。『自制心』は、どこへ行ったの⋯⋯?」
「そんなの、サザランズの森に捨ててきた⋯⋯」
サザランズの風は、二人が出会ったあの頃と同じように、どこか甘く、自由な香りがする。
「⋯⋯ステファン、本当に家を借りて正解だったわね」
朝の光の中で、ソーフィアが幸せそうに微笑む。
「ああ。⋯⋯お前の声を、どこの誰とも言えん奴に聞かせるわけには行かないからな」
「もう! ⋯⋯変なこと言わないで!」
「くっ、はははっ!」
屈託なく笑うステファンは、かつてのような影は感じられない。つられてソーフィアも笑った。
数ヶ月経って。単独で依頼を受けていたソーフィアは、サザランズの森の中で見知った気持ち悪さを感じ取っていた。
(⋯⋯この感じ、まさか⋯⋯うっ⋯⋯)
目の前には口からよだれを垂らし、鋭い爪を掲げたブラッディベアー。ソーフィアは涙をのんで手から魔力を放出する。
「――ステファンに、煮込み料理を食べさせてあげたかったのにぃー!」
ドゴオオオオ⋯⋯!
綺麗にブラッディベアーだけを浄化し、ソーフィアはその場で嘔吐した。三十五年振りのつわりだった。
しばらくして、ゆったりとした服に身を包んだソーフィアがギルドを訪れた。
「あっ、ソーフィアさん、指名依頼入ってますよ」
受付嬢の言葉に、ソーフィアは申し訳なさそうに眉を下げる。
「ごめんなさい。しばらく冒険者をお休みしないとならなくて」
「あら、それは残念ですね。どうされたんですか?」
ソーフィアはそっとお腹に手を当てた。
「実は、妊娠しちゃって」
ピタリ。ギルドの喧騒が水を打ったように静まり返る。というより、男性冒険者達はひと言でも聞き漏らすまいと黙り込んだのだ。ごくり。誰かのつばを飲み込む音が聞こえた。
「おめでとうございます! ⋯⋯ちなみに、どなたとの⋯⋯?」
「あなたもよく知っている、黒髪で紅い瞳の、いつも不機嫌そうな彼よ」
ふふ、と幸せそうにソーフィアは口に手を当てて笑う。
ア・イ・ツか⋯⋯! 冒険者達は一斉にステファンの顔を思い浮かべた。
「ステファン・ノクスドラクさん、ですね」
このサザランズの高嶺の花、若くて美人でナイスバディなソーフィアちゃんがあのいつも不機嫌そうで冷徹な男、ステファン・ノクスドラクとあんなことやこんなことを⋯⋯? つまり、あの男はその聖域を汚したというのか!?
「うわああああ!」「ちくしょー!」
男性冒険者たち(主に若者)は口々に膝から崩れ落ちた。女性冒険者達は白けた顔で彼らを見ている。耐えきれなくなった者から叫び始めた。
「本当に、おめでとうございます! お一人目ですか?」
「いいえ、十四人目よ」
「じゅっ⋯⋯」
受付嬢が絶句した。そして、冒険者達も。
「うわああああー! 俺には無理だああああ!」「腰! 腰が死ぬ!!」
その日、ステファン・ノクスドラクという男はサザランズの男達から羨望と畏怖が上書きされたのだった。
――結果として。
五十年ぶりの新婚旅行という名のサザランズ生活で、家族はさらに三人増えた。
カザドゥームから追いかけてきたアンナの「ノクスドラク、いい加減になさい!」という怒声と、巨大化した特製除菌スプレーがサザランズの家を白く染める頃には、子供部屋はもはや迷宮のように増築されていた。
「⋯⋯十六人かぁ。ふふ、ステファン、あなた本当に『二十人』に届いちゃいそうね」
冗談めかして笑うソーフィアに、ステファンは今度こそ、誇らしげに、そして少しだけ疲れた顔で頷いた。
「⋯⋯いや、もう十分だ。十六人。俺はこの宝物たちを全力で守り抜く。これ以上は、お前の体も心配だしな。⋯⋯ああ、神に誓って、もう十分だ」
――だが。人はそれを「フラグ」と呼ぶ。
数年後、カザドゥームに届いた「サザランズで無事に子が産まれました」という報告書を読み、ブランシュの絶叫が玉座の間に響き渡ったのだった。
「また増えてるじゃないのよ!!」
おい、ステファン、いい加減にしろよ……?




