4.二十翼の奇跡
ちょっと長め。
さらに時は流れ。
ゼノが成竜し、その数年後シエルが成竜した後、彼らは無事に契りを行った。それから数年経ち、二人の間に可愛い子どもも産まれ⋯⋯。
孫が産まれてよほど嬉しかったのか、気が緩んだのか、事件は起こった。
王の補佐はシエルとゼノに任せ、自分たちは王宮の近くに建てた家(でも城並み)に引っ込んで孫の世話でもしようか、なんて話をしていたばかりだった。
ブランシュはまだ二百歳ちょっと。まだまだ現役で城の重鎮たちを引っかき回している。レオンは人族のまま、その天寿を全うした。
「⋯⋯! ⋯⋯、⋯⋯!!」
「⋯⋯、⋯⋯」
夫婦の部屋で何か言い争う声がする。
「ねえ、なんかパパとママ、喧嘩してない?」
七女の黒竜、ノアが不穏な空気を感じ取ったのか、長いまつげをパチパチと瞬いた。
「⋯⋯ちょっと見てくる」
ゼノはあやしていた赤ん坊をベッドに寝かせてステファン達の部屋に向かった。
「⋯⋯あなたが言ったんじゃない!」
「それとこれとは別だろ!?」
「じゃあ、今さら諦めろっていうの!?」
「そういうことじゃない!」
バン! ガチャン! なかなかに激しい。 こんな激昂しているソーフィアは初めてだ。ドアノブに手を掛けようとしたゼノは、そっとその手を下ろし、遠い目になる。触らぬ神に祟りなし。
「⋯⋯っ、勝手にしろ!」
「ええ! 勝手にさせていただきます!」
しばらくして、バン! と扉を勢いよく開けて目を真っ赤にしたソーフィアが出てきた。
「は、母上⋯⋯?」
「ルナは!? ルナはいる!?」
ふー、ふー、と鼻息荒く、ソーフィアはゼノのすぐ下の妹に声を掛けた。
「なあに、お母様?」
「サザランズへ乗せて!」
「えっ、私、これから登城なんだけど⋯⋯」
「じゃあアンナ! アンナはどこ!?」
鬼神のような勢いのソーフィアに、ルナは呆然となる。
ソーフィアの声に反応したのか、どこからか(多分王宮から)ばたばたとアンナが走ってきた。
「はい! ソーフィア様、お呼びですか!?」
「ちょっとサザランズに乗せてもらうよう、リュカに言って! 私はしばらく帰らないわ!」
「えっ、ちょっと、お母様⋯⋯?」
「ママ⋯⋯?」
「しょ、承知いたしました。では私も支度を⋯⋯」
「アンナは行かなくてもいいのよ。ジンジャーはアンナが必要でしょう?」
「いえ、ジンジャーはすでに三十五歳。一人でも何とかなりますわ」
その言葉にソーフィアは頷き、キッ、とステファンがいるだろう部屋を睨みつけた。
「⋯⋯私は! 一人で! しばらく帰りません!!」
「ママー!?」
ソーフィアがリュカに乗り、アンナと家を出ていった後。部屋に残されたステファンは、見たこともないほど暗い顔で、床に転がった「とある紙」を見つめていた。
「⋯⋯父上、何があったんです」
恐る恐る入ってきたゼノが尋ねるが、ステファンは「⋯⋯うるさい。放っておけ」と吐き捨てるだけ。
しかし、その場に居合わせた末っ子、十六番目の銀灰竜テオが、床の紙を拾い上げて叫んだ。
「あー! これ、ママの『新しくやりたいことリスト』だ!」
そこには、ソーフィアがこれからの隠居生活でやりたいことがびっしりと書かれていた。
『子供たちの干渉なしに、二人で冒険に出る』
『サザランズに竜人族と人族の交流ギルドを作る』
『ステファンを一日三回は褒める』
そして一番下には⋯⋯『二十⋯⋯』
「それを⋯⋯お父様が『もう若くないんだから無理をするな』とか、『これからは孫の代だ』とか、デリカシーのない正論で全否定したのよね!?」
ソーフィアそっくりの金髪をした緑竜、三女フィオナが鋭く指摘した。
「⋯⋯それどころではないぞ、フィオナ」
ステファンは震える声で言う。
「ソーフィアだけじゃない⋯⋯アンナまで連れて行かれたんだ。この家(城)の清掃と、俺たちの食事はどうなる⋯⋯?」
その瞬間、十六人の子供たちの顔が引き攣った。
一方、懐かしのサザランズに到着したソーフィアは、リュカの青い背中から降り立った。
彼女はかつての借家ではなく、自分たちが買い取った豪華な別荘に陣取り、拳を机に叩きつけた。
「なによステファン! 『おばあちゃんらしく落ち着け』!? 私はまだ現役よ! 竜人族としてはピチピチの盛りじゃない! なぁんにも変わらないわよ!!」
そう、喧嘩の火種は「ステファンの過保護すぎる健康管理」と、ソーフィアの「まだまだ現役でいたいという情熱」の衝突であった。
「ソーフィア様、落ち着いてください。⋯⋯でも確かに、ノクスドラクの言い草はひどいですわ。私もジンジャーの育児に口出しされてイラッとしていたところです。⋯⋯数日は帰りませんよ、私たち!」
(※結局、アンナも一緒に残ることにした模様)
カザドゥームでは、ゼノたちが必死に父を説得していた。
「父上! 早く迎えに行ってください!」「 このままじゃ、僕たちの食事が全部『ジンジャーの適当料理』になっちゃう!」
「⋯⋯行かん。あいつから謝るまで、俺は一歩も動かんぞ」
「⋯⋯⋯⋯パパ、それ、ママが一番嫌いな態度だよ」
「えー!? ソーフィア様、それは本当でございますか!?」
サザランズで、ソーフィアは泣きながらアンナに愚痴っていた。
「⋯⋯なのに、なのに、ステファンってば……ぐすっ」
「……一度ブランシュ陛下に殴られて死んでこい、ですわね」
ですが、とアンナはちょっと困ったように頬に手を当てた。
「⋯⋯どうしましょうか⋯⋯」
数日後、ルナに連れてこられたブランシュは珍しく青筋を浮かべていた。
「⋯⋯で? それでアンタはソーフィアを行かせたわけ?」
ふい、とステファンは叱られた子どものように目を逸らした。その態度にブランシュは腕まくりをする。
「歯ぁ食いしばりなさいよ⋯…!」
ブランシュは拳を振り上げ――。
ステファンを殴り飛ばした。
ドガガガ!!
と派手な音を立ててステファンは部屋の壁に突っ込み穴を空け、外へ吹っ飛んだ。
「(ちょっと、陛下おうち壊しちゃったよ!?)」「(パパ飛んでったね⋯⋯)」
「(ちょっと兄さん! 陛下を止めてよ!)」「(あの義母上を止められるのはレオン義父上だけだ)」「(⋯⋯つまり無理じゃん!)」
子どもたちが囁きながらブランシュを見る。ブランシュは無言で穴に脚をかけ、ステファンの倒れ込んでいる地面に降り立った。
「⋯⋯弁明はある?」
ぺっ、と血を吐き捨て、ステファンはやさぐれたように倒れ込んだ。
「⋯⋯別に⋯⋯」
ビシっとブランシュはステファンを指さした。
「ふっざけんじゃないわよ! アンタは、身重の最愛の妻を、勝手にしろって放り出したのよ!」
ブランシュの拳よりも重い言葉が、ステファンの胸を貫いた。
「⋯⋯え。⋯⋯身、重⋯⋯?」
ステファンは、金縛りにあったように固まった。脳内再生される、ソーフィアとの激しい言い争い。
『じゃあ、今さら諦めろっていうの!?』
『そういうことじゃない!!』
(⋯⋯俺は、てっきり⋯⋯あいつがまた『新しい子を産みたい』なんて無茶な希望を言ってるんだとばかり思って⋯⋯だから『もう体に障るからやめろ』と⋯⋯)
血の気が引いていく。
彼女は「欲しい」と言ったのではない。すでに「宿って」いたのだ。そしてそれを伝えようとした矢先に、自分はあんなデリカシーのない暴言を⋯⋯。
「あんた、ソーフィアの顔をちゃんと見た? 彼女、どれだけ不安そうにしてたか分かってるの!? 孫までいるこの状況で、また授かるなんて⋯⋯誰よりも彼女自身が一番驚いて、怖かったはずよ!」
ブランシュのヒールが、ステファンの鼻先の地面を削る。
「それを、一番の理解者であるはずの夫が⋯⋯『勝手にしろ』? 死にたいの? むしろ私が今ここで殺してあげようか?」
「⋯⋯っ、⋯⋯⋯⋯ぁ⋯⋯」
最強の黒竜王、完全沈黙。
彼は震える手で地面を掴み、そのまま消え入りそうな声で呟いた。
その頃、サザランズ。
ソーフィアはアンナの膝で、落ち着いたもののまだ「すんっ、すんっ」と鼻を鳴らしていた。心なしか顔は青ざめている。
「⋯⋯アンナ。私、もうあんなデリカシーのないトカゲ、知りません。⋯⋯一人で産んで、一人で育てて、サザランズの山奥で隠居してやるわ⋯⋯」
「ええ、ええ、お供いたしますわ。⋯⋯ただ、ノクスドラクが血相を変えて飛んでくるのは目に見えています。リュカに連絡して、家の周囲に『強力な結界』を張っておきましたので、ご安心を」
「⋯⋯ありがとう、アンナ。頼りにしてるわ」
「⋯⋯うそ、だろ⋯⋯? ソーフィアが⋯⋯?」
気をつけていたはずだった。いや、孫が生まれて舞い上がって忘れたかも。
そもそも、竜人族は長命だからか子ができにくい。百年、二百年差の兄弟だってざらにいる。この短期間の間、十六人もの子を生んだソーフィアが異質なのだ。いや、ステファンの生命力か。
「ソーフィアから相談を受けていたわ。アンナにも申し訳なくて言えないって! しかも、一人じゃないのよ!」
十七人目の弟か、妹か、と考えていた兄弟達はブランシュの言葉に動きを止めた。もちろん、ステファンも。
「四つ子よ!!」
「⋯⋯は⋯⋯?」
ステファンは自身のフラグ(発言)を回収することになる。
「四つ子おおおおお!?」
カザドゥームの空にステファンの絶叫が響く。
ブランシュは海よりも深いため息をついた。
「⋯⋯あのねえ、妊娠出産は命のやりとりを行うこともあるの。竜人族の場合、胎児が母親から魔力ももらっているの! 一人や二人ならまだしも、四人よ!? このままだと母体が危険よ。本当に、ソーフィア、死ぬかもしれないのよ!? 過去に多胎出産に成功した記録は三人まで。父親からも魔力をもらわないと、母親が魔力欠乏するって文献にもあったわ。それを知って、ソーフィア、とても不安がってたの! ステファン、怒るかなって⋯⋯!」
そういえば妊娠中はソーフィアはステファンにずっとくっついていた。イチャイチャできない寂しさから、ステファンもくっついていたが、そうか、あれは魔力譲渡をしていたのか。
「ソーフィア⋯⋯」
ステファンは顔を上げた。
彼の瞳から、さっきまでの情けない色が消えた。代わりに宿ったのは、かつてサザランズの森でソーフィアを助けるために、ピンクスライムを一蹴した時の、あの鋭く猛々しい光。
「⋯⋯ゼノ! 留守を任せる! シエル、ブランシュを頼む!」
「えっ、父上⋯⋯!?」「お義父様?」
「今すぐサザランズへ行く。⋯⋯俺の全魔力を、ソーフィアと四つ子に流し込む。あいつを⋯⋯一人で死なせてたまるか!」
ドォォォォン!! と足元の石畳を砕き、ステファンは人型のまま空へと爆ぜた。竜化する時間さえ惜しかった。
その頃、サザランズの別荘。
ソーフィアは顔色が悪く、寝台に横たわっていた。四つの小さな命が、彼女の体から凄まじい勢いで魔力を吸い上げているのだ。今朝まで平気だったのに、魔力が底を尽きそうだ。
「⋯⋯ソーフィア様、魔力回復薬を。⋯⋯リュカ! ノクスドラクが来ました! 速度が尋常ではありません、迎撃を!」
「ええっ!? でも、アンナさん⋯⋯あれ、本気ですよ! 殺されますって!」
家の外では、ステファンが真っ黒な流星となって降臨した。だが衝撃音は小さく、彼なりに気を遣ったのが分かる。
「どけ、リュカ! ソーフィアに会わせろ!!」
「だ、ダメです! アンナさんが『反省の色が見えるまで入れるな』って⋯⋯うわあああ!」
ステファンはリュカを撥ね退け、扉を蹴破らんばかりの勢いで中へ踏み込んだ。
寝室の扉を開けたステファンが見たのは、青い顔で必死にお腹をさするソーフィアの姿だった。
「⋯⋯ステファン⋯⋯? どうして⋯⋯」
「⋯⋯黙ってろ。⋯⋯悪かった。俺が、世界で一番の馬鹿だった」
ステファンはなりふり構わずソーフィアを抱きしめた。そして、咆哮に近い声を上げる。
「――持っていけ! 全部だ! 俺の魔力も、命も、好きなだけ吸い尽くせ!!」
ドクン、と部屋全体が脈打つような衝撃。
ステファンの膨大な黒い魔力が、濁流となってソーフィアへと流れ込んでいく。空になりかけていた彼女の魔力回路が、愛する番の熱い力で満たされていった。
ソーフィアの顔に赤みが差し、荒かった呼吸が整い始めた。すると、彼女のお腹の中で、四つの小さな鼓動が力強く跳ねる。まるで「パパ、遅い!」と文句を言っているかのように。
「⋯⋯あ、⋯⋯動いた。⋯⋯ステファン、この子たち、喜んでる⋯⋯」
「⋯⋯ああ。⋯⋯すまない、ソーフィア。俺がついてる。もう、一秒も離れない」
ステファンは、ソーフィアの金髪に顔を埋めて、情けなくも涙をこぼしたのだった。
「⋯⋯あなた、ゼノがお腹に来た時、言ったじゃない。子どもは二十人欲しいって」
ソーフィアはパンパンに大きくなったお腹を撫でながら笑った。最近は少し動くだけで息切れしてしまう。
「⋯⋯そんなこと、覚えていたのか」
甲斐甲斐しく世話を焼きながら、ステファンは呟いた。
「それなのに、『もう孫も生まれたから、俺たちも落ち着かなきゃな』って。どの口が言ってるのよ」
「⋯⋯悪かった。その、まさか⋯⋯すでにいるとは思わず⋯⋯」
「八つ当たりしちゃったみたいで、ごめんね、ステファン。私、言うのが怖かったの。ブランシュには言ってたんだけど。⋯⋯どうせ、すぐバレちゃうのにね」
座ってソーフィアの髪を梳きながら、ステファンは彼女のつむじに口づけた。
「いや、俺が悪い。ブランシュに殴られた。⋯⋯あ」
そういえば、家を壊してなかったか? いや、それを今言ったらソーフィアを不安にしてしまう。
「ふふ、壁まで粉々になったって、子どもたちから聞いてるわ」
既に知っていた。
ソーフィアがあんなにも怒ったのは、後にも先にも四つ子事件だけだった。彼女はどんなことにも笑って流してしまう、この大空のように心の広い女性なのだ。
「ねえ、ステファン」
すり、とソーフィアはステファンの腕に顔を擦り寄せた。
「ん、どうした? 水でも飲むか」
「私、本当に幸せ。幸せすぎて、どうにかなっちゃいそう」
「まだ大仕事が残ってるぞ。この子たちの育児もな」
軽くお腹をつつくと、ポコンと足の形が浮き出た。その小さな足の形を、ステファンは大きな手のひらでそっとなでる。
「⋯⋯元気な奴らだ。ソーフィア、お前を蹴り飛ばすなんて、親の顔が見てみたいものだな」
「あら、あなたの若い頃にそっくりだって、アンナが言ってたわよ?」
「⋯⋯あいつ、余計なことばかり⋯⋯」
ステファンは苦笑しながら、彼女のお腹にそっと耳を当てる。
四つの鼓動が、まるで音楽のように重なり合って聞こえる。それは彼がかつて渇望していた「家族」という名の、最も美しい音楽だった。
廊下では、アンナがリュカにテキパキと指示を飛ばしていた。
「リュカ! 産湯の温度は手ではなく湯温計を使いなさい! あと、産着の除菌は済みましたか!?」
「ぜ、全部終わってますよ、アンナさん! それより、外に十六人の子どもたちが勢揃いしてて、サザランズのギルドが『何事だ!?』ってパニックになってます!」
そう、ステファンの招集により、ゼノを筆頭とした全兄弟が別荘を取り囲むように集結していたのだった。
数日後の夜明け。サザランズの空が紫から黄金へと変わる頃、別荘に産声が響き渡った。
一つ、二つ、三つ⋯⋯そして、最後の一つ。
「⋯⋯おめでとうございます、ソーフィア様! 四人とも、健やかな赤子ですわ!」
アンナの声と共に、ステファンは震える手で赤子たちを受け取った。
一人はステファン譲りの漆黒。
一人はソーフィア譲りの黄金。
一人は空のような碧。
そして最後の一人は、透き通るような純白。
「⋯⋯二十人。⋯⋯本当に、揃ったな、ソーフィア」
疲れ果てて眠りにつこうとするソーフィアの枕元で、ステファンは涙を堪えきれずに微笑んだ。
ステファンは、ソーフィアと一緒に、カザドゥームの最も高い塔から、自分たちの血を引く若き竜たちが空を舞う姿を眺めていた。
「⋯⋯ソーフィア。俺の両親が見たら、腰を抜かすだろうな。まさか自分の息子が、こんなに賑やかな群れの主になるとは」
「ふふ、きっと空の上で喜んでいらっしゃるわ。ステファンが寂しくないように、神様が私をあなたの元へ送ってくれたのよ」
ステファンは、ソーフィアの柔らかな金髪に顔を埋めた。
かつて自分は孤独だと思っていた黒竜は、今や広大な家族の中心にいる。
「⋯⋯ああ。お前を選んで、お前に選ばれて、本当に良かった。⋯⋯俺の、太陽」
そっとソーフィアもステファンに寄り添う。
「こちらこそ、私を見つけてくれてありがとう」
読んでいただき、ありがとうございました!




