4.星霜の演武と魂の証明
よろしくお願いします
本日お昼にもう1話更新します
「ソーフィアの護衛だがな、最も腕が立ち、俺が信頼のおけるこいつに頼もうと思う」
そう言ってステファンは一人の青年を執務室に呼んだ。
「失礼いたします。ノクスアニマーレ様におかれましては、ご機嫌麗しく。⋯⋯リュカ・スカイドラクと申します」
青年騎士の、一点の曇りもない爽やかな声が室内に響く。
ガチャン!
無機質な金属音が響き、アンナが愛用していた除菌スプレーが床を転がった。
「アンナ? 顔色が悪いわ。⋯⋯大丈夫?」
心配して駆け寄ろうとするソーフィアを、アンナは震える手で制した。
「⋯⋯い、いいえ。失礼いたしました。少し、指先が滑っただけでございます。⋯⋯お気になさらず」
アンナは必死で呼吸を整え、膝を折ってスプレーを拾い上げた。だが、視線はどうしても、目の前に立つ青年の「胸元」を探ってしまう。鎧に隠れて見えないが、そこにはあの時と同じ「痣」があるのではないか。
「スカイドラク⋯⋯。空の名を持つ青竜か。⋯⋯若いが、その腕は騎士団でも随一だ。天空祭の間、俺が動けない時はこいつがお前の影となる」
ステファンの紹介に、リュカは「はっ!」と力強く頷いた。
そして、彼は不意に、拾い上げたスプレーを握りしめているアンナの方へ向き直った。
「⋯⋯あの、失礼ですが。貴女とは、以前どこかでお会いしたことはありませんか?」
「⋯⋯⋯⋯っ!」
「なんだか、貴女の髪の色を見ていると⋯⋯胸の奥が、熱くなるような気がして。⋯⋯すみません、変なことを言って」
リュカが困ったように眉を下げて笑う。その顔は、百年前、結婚の約束をした時の「あの人」の最後の笑顔と、残酷なまでに重なった。
「⋯⋯初対面ですわ。スカイドラク殿。⋯⋯私は、ソーフィア様の影となるお方を、厳しく見定めさせていただきます。⋯⋯よろしいかしら?」
アンナの声は、冷徹なまでの「鉄の響き」を取り戻していた。だが、ソーフィアだけは気づいていた。アンナの隠された右手が、スカートの布地を千切れんばかりに握りしめていることに。
天竜祭の朝は、抜けるような蒼天に恵まれた。
カザドゥームの王宮の一室では、アンナが厳かな手つきで、一着の衣装を広げていた。
「⋯⋯これが、竜人族の正装、『竜鱗の聖衣』ですよ」
それは人族の衣服とは根本から異なっていた。古龍の脱皮殻を織り込んだという布地は、ソーフィアが触れると、まるで生きているかのように指先に吸い付き、光の角度によって白から深い黒へとその表情を変える。
「アンナ、これ⋯⋯背中がこんなに開いていて大丈夫なの?」
「当然ですわ。竜人族にとって背中は翼を司る聖域。それを隠すのは、誇りを捨てるも同然。⋯⋯それに、ソーフィア様」
アンナは手際よくソーフィアの髪を高く結い上げ、うなじを完全に露出させた。そこには、ステファンが刻んだ黒い星――ステラが、誇らしげに輝いている。
「このステラこそが、貴女がノクスドラクの半身である証。それを隠すなど、この私が許しません」
鏡の中に映った自分を見て、ソーフィアは息を呑んだ。
首元には竜の爪を模した金のホルターネックが輝き、腰回りからは飛膜を思わせる薄布が、動くたびに幻想的な影を落とす。大きく開いた背中には、左側の肩甲骨に黒の片翼の模様が浮き出ている。大胆な露出は、かつての「守られるだけの少女」から、「王代理の番」としての強さと艶やかさを引き出していた。
「で、でも、こんな脚が出るなんて⋯⋯」
歩くたびにスカートのスリットから覗く、白い脚。
「丈夫で動きやすく、そして美しい。ソーフィア様はまさに、竜人族の『強さと美しさ』の象徴です」
コンコン、と控えめなノックの後に現れたステファンもまた、その姿を変えていた。
片肌を脱ぎ、重厚な革の肩当てを纏ったその姿は、戦士としての荒々しさと貴族の気品が同居している。
「⋯⋯ソーフィア。お前、本当に⋯⋯」
ステファンは言葉を失い、そのパイロープ・ガーネットの瞳を揺らした。自分の魔力に染まり、自分の名を冠する衣装を纏った彼女が、あまりにも眩しかった。
「似合ってる、かしら?」
「⋯⋯ああ。美しすぎて、今すぐ翼でお前を包んで、誰の目にも触れさせたくないくらいだ。……行くぞ、俺の『片翼』。今日、この国に教えてやる。お前が誰のものなのかを」
ステファンが差し出した大きな手に、ソーフィアは迷いなく自分の手を重ねた。
天空祭のメインストリートは、色とりどりの魔法の灯火と、正装の竜人族たちで埋め尽くされていた。
城のテラスからそれを見下ろす、王代理としての正装を纏ったステファンと、その「番」として初めて公の場に姿を現したソーフィア。ソーフィアの二歩後ろには、アンナとリュカが両脇を固めるように立っていた。
「王代理! 開会宣言をお願いいたします!」
その言葉に、ステファンは軽くため息をついて「ちっ、面倒くせぇ」とぼやいたが、次に前を向いた時には眼光鋭く「王の杖」を握り直していた。
「⋯⋯長々とした理屈は抜きだ。俺が戻ったからには、この国をちゃんと回してやる。竜の誇りとは何か、愛する者を守る力がどれほどのものか⋯⋯今から俺が空に刻んでやる。
今宵、俺たちの絆がどれほどの輝きを放つか、その目に焼き付けるがいい。⋯⋯開会だ! 宴を始めろ!」
ステファンが杖でテラスを力強く打ち付けると、夜空高く星――魔力結晶――が白く輝き出した。にっ、とソーフィアに向かって不敵に笑う。
「ソーフィア、見ていろ。お前に最高の景色を見せてやる。――天を仰げ! 星を落とす時が来た!」
竜人族の戦士たちが次々に竜化し、その打ち上げられた星を空中で砕いていく「星落としの儀」。砕かれた破片は光の粉になり、街へ振り注いでいった。
その光景はまるで、ソーフィアが幼い頃アステリアの王都で見た、花火にも似たような美しさだった。
「⋯⋯綺麗⋯⋯」
「俺も行ってくる」
杖を頼む、と言ってステファンはソーフィアへ杖を預け、彼は背中から翼を生やしてテラスから飛び立った。その姿が見えなくなるほど小さくなると、彼は黒く荘厳な黒竜へと姿を変える。
そして、一際大きな「主星」に近づいて――。
「グルルルゥオオオァ!!」
天を衝く黒竜の咆哮が、カザドゥームの街中を震わせた。
一際大きく輝いていた「主星」が、ステファンの爪によって粉々に砕け散り、黄金の光の奔流となってソーフィアたちの元へと降り注ぐ。
「⋯⋯すごい、本当に星が降っているみたい⋯⋯」
ソーフィアはステファンから預かった杖を胸に抱き、眩い光のシャワーを見上げた。頬に触れる光の粒は温かく、まるでステファンの魔力に優しく包まれているような感覚に陥る。
民衆からは、畏怖と熱狂の入り混じった歓声が沸き起こっていた。人族を連れて帰ったと冷ややかな目を向けていた者たちも、この圧倒的な「力」の前には沈黙せざるを得ない。
降り注ぐ光の粉の中、優雅な足取りでテラスへ現れた影があった。
「⋯⋯素晴らしい演武だったな、ノクスドラク」
ヴェイロンが、灰色の髪を夜風に揺らしながらソーフィアに近づく。
リュカが即座に剣の柄に手をかけたが、ヴェイロンはその殺気を柳に風と受け流し、ソーフィアが持つ「王の杖」をじっと見つめた。
「人族の娘。その杖は、この国の数千年の重みが宿るものだ。⋯⋯お前の細い腕では、じきにその重さに耐えられなくなる。⋯⋯今のうちに、私が『支えて』やろうか?」
甘く、毒を含んだ誘いの手。
ソーフィアは一瞬だけ足を震わせたが、杖を通じて伝わってくるステファンの「熱」を思い出し、ヴェイロンを真っ直ぐに見据えた。
「お気遣い、ありがとうございます。ヴェイロン様。⋯⋯ですが、この杖は彼が私に預けてくれたもの。⋯⋯彼の信頼より重いものなど、この世にはありません」
その言葉に、ヴェイロンの口角がピクリと動く。
序列最底辺の「灰」である自分に対し、最下層と見なしていた「人」が臆することなく言葉を返した。その事実に、彼の自尊心が音を立てて軋む。
「⋯⋯ふん、強情なことだ。⋯⋯その誇りが、いつまで保つか見ものだな」
ヴェイロンが背を向けようとしたその時、上空から轟音が響き、黒い影がテラスを覆った。
着地と同時に人型に戻ったステファンが、乱れた髪をかき上げながら、ヴェイロンとソーフィアの間に割って入る。
「⋯⋯王の杖に触りたければ、まずは俺の首を落としてからにしろ。⋯⋯帰れ、ヴェイロン。今日は祭りだ。不浄な灰を撒き散らすな」
ステファンの放つ「黒」の魔力が、ヴェイロンの「灰」を圧倒し、周囲の空気を物理的に押しつぶした。
ヴェイロンは鼻で笑い、闇へと消えていったが、その去り際の視線は、まだソーフィアを諦めてはいなかった。
「ソーフィア様、お急ぎください! 日付が変わってしまいます!」
王の杖を抱えたソーフィアとアンナ、そしてリュカは暗い夜道を走っていた。
「星落としの儀」の次は、その日のうちに祭壇に祈りを捧げなければならない。ステファンは王の座で動けない。そして、この儀式は誰の力も借りられない。
祭壇は城からやや離れた浮島にある。
(⋯⋯いくら橋が掛かってるって言われても、この距離は想定外!)
もし自分にも翼が生えていたのなら、あっという間に飛んで行けたのに。
スカート部分の大きく開いたスリットに感謝しながらも、ソーフィアは息を切らして全速力で走った。
「⋯⋯っ、アンナ! この靴を選んだのは、誰っ?」
「大変申し訳ありません! 衣装と共に準備されておりましたので⋯⋯。まさか、走ることになると思わず」
ソーフィアが履いている靴は、踵が高く華奢で走りにくい。しかも紐で結ぶタイプで走っているうちに皮膚に食い込んできて擦れてしまう。
「時間がない! お説教は後で聞くわ!」
そう言って、ソーフィアはスカートをまくり、靴の紐を解く。
「お嬢⋯⋯っ、ソーフィア様!?」「ノクスアニマーレ様っ!? わわわっ」
予想外の行動にアンナは「お嬢様」と呼びかけ、リュカはソーフィアの白い脚が見えた瞬間真っ赤になった(その直後アンナにハリセンでしばかれていた)。
混乱する二人を尻目に、ソーフィアは脱ぎ捨てた高級な靴をアンナの腕に押し付けた。
「石が痛い? 知るもんですか! サザランズの岩場に比べれば、この石畳なんて絨毯みたいなものよ!」
裸足になったソーフィアは、ふわりと『竜鱗の聖衣』の裾を翻し、再び夜の闇を蹴った。
足裏に伝わる冷たい石の感触が、逆により鮮明に、彼女の中の「生存本能」を叩き起こす。
「⋯⋯アンナ! リュカ! 遅れないで!」
「⋯⋯っ、 承知いたしました。⋯⋯スカイドラク殿、鼻血を拭きなさいな。みっともありませんよ」
「ち、違います! これは動揺で⋯⋯わっ、待ってください!」
浮島へと続く巨大な吊り橋は、風に煽られて激しく揺れていた。
その橋の向こう、霧に包まれた祭壇の前に、灰色の人影が立っているのが見える。
「⋯⋯やっぱりいたわね、ヴェイロン様」
橋のたもとで立ち止まったソーフィアは、肩で息をしながらも、背筋をピンと伸ばしてヴェイロンを睨み据えた。
乱れた髪、土に汚れた白い足先。けれどその瞳は、どの竜人族の貴婦人よりも誇り高く輝いている。
「⋯⋯ほう。靴を捨ててまで走ってくるとはな。人族の執念とは、なんと醜いことか」
ヴェイロンは冷ややかに笑い、足元に広がる深い谷を見下ろした。
「だが、この橋を渡れるのは『竜の魂』を持つ者のみ。⋯⋯魔力なき者が踏み出せば、橋はただの奈落への滑り台となる。⋯⋯さて、お前の『魂』が、本物かどうか試させてもらおうか?」
ヴェイロンが指を鳴らすと、吊り橋を支える鎖が不気味な音を立てて軋み始めた。
「橋が!?」
これは恐らく、ヴェイロンの罠。「竜の魂」を持ってようがなかろうが、ソーフィアが橋に足をかけた瞬間に崩れ落ちるだろう。
「アッシュドラク殿! なぜこのような⋯⋯!?」
たまらず、リュカが問いかける。
「⋯⋯『なぜ』? 知れたことを! スカイドラク、貴様は人族の悍ましい歴史を知らんから言えるのだ! 竜人族の手足をもぎ、その血の一滴まで私利私欲のために得ようとした人族⋯⋯。この小娘が神聖なるカザドゥームに足を踏み入れただけでも怖気が立つというのに、それが、あの黒竜の番だと!? 揃いと揃ってふざけている!」
「アッシュドラク⋯⋯あなたは⋯⋯」
アンナが低く唸る。ヴェイロンはアンナを一瞥して鼻を鳴らした。
「片翼をもがれた追放者も戻ってくるとはな。今世の王は愚かだ。『灰』が、『黒』に劣るだと⋯⋯? 私こそが! 『白』に最も近いではないか! 私が王だ!」
ヴェイロンの叫びに、夜風が凍りついたように冷たく吹き荒れる。
ソーフィアは、泥に汚れた裸足で一歩、前へ踏み出した。
「⋯⋯ヴェイロン様。一つ、聞いてもいいかしら?」
鈴を転がすような、けれど芯の通った声。ヴェイロンの狂ったような視線がソーフィアを捉える。
「あなたがそれほどまでに欲しがっている『王』の座。⋯⋯もしあなたが王になったら、あなたは誰を守るの? 誰の幸せを願うの?」
「⋯⋯何?」
「ステファンは面倒くさがりだけど、山のような書類と戦ってでも、この国の平穏を守ろうとしていたわ。ブランシュだってそう。⋯⋯自分の色にしか興味がないあなたが、数千年の歴史があるこの杖を、正しく持てるとは思えない!」
ソーフィアは、ステファンから預かった「王の杖」を高く掲げた。
その瞬間、杖の頭にある魔石が、彼女の鼓動に呼応するようにドクン、と黒い輝きを放つ。
「この橋が落ちるというのなら、落ちればいいわ。⋯⋯私は『棒切れ』と呼ばれていた頃の私じゃない。⋯⋯ステファンの半身、ソーフィア・ノクスアニマーレよ! 彼が信じてくれた私を、私自身が裏切ったりしない!」
ソーフィアは、崩落を予感させる揺れる吊り橋へと、迷いなくその裸足をかけた。
ブチン⋯⋯!
吊り橋の鎖がいとも簡単に切れる。一つ切れた瞬間、次々に鎖が切れていく。
「ソーフィア様!!」
アンナの叫び声。ソーフィアの足元の橋は、見えない底へ落下していく。
ソーフィアは自身の中の、ステファンの逆鱗が熱くなっていることに気がついていた。
いつも彼が口にしていた、「大丈夫」という言葉。
(私がステファンを信じてあげないで、どうするの!)
ソーフィアは何も怖くなかった。
――ぶわり。
崩れ落ちる吊り橋の轟音を切り裂き、ソーフィアの背中から黄金色に輝く一対の翼が羽ばたいた。
それはステファンの魔力が具現化した、光の翼。
「ソーフィア様!!」
「⋯⋯なっ!?」
アンナの安堵の叫びと、ヴェイロンの驚愕の声が交差する。
ソーフィアは、重力を無視して宙を舞い、奈落の底へと消えていく橋を眼下に、真っ直ぐに浮島の祭壇へと着地した。
土に汚れた裸足で祭壇の前に降り立つと、光の翼は粒子となって霧へと溶けていく。
ガンッ!
ソーフィアは、震える手で「王の杖」を祭壇に叩きつけるように立て掛け、その場に膝を折った。
喉は焼け付くように熱く、心臓は酸欠で破裂しそうだ。だが、彼女の「祈り」は、これまでになく澄み切っていた。
(どうか⋯⋯この美しいカザドゥームの皆が、幸せに、平穏に暮らせますように⋯⋯!)
憎悪も、恐怖も、コンプレックスも。すべてを包み込むような、無垢なる祈り。
――ドクン。
その瞬間、ソーフィアの心臓部に宿る逆鱗が、かつてないほど眩い光を放った。
それは黒でも灰でもない。夜明けの空を思わせる、朝焼けの太陽の光。
光は祭壇を通じて浮島全体へ、そしてカザドゥームの全土へと広がり、ヴェイロンの「灰色の霧」を瞬時に霧散させた。
「⋯⋯ありえん。ただの人族の祈りが、竜神の祭壇を、これほどまでに⋯⋯!」
ヴェイロンは、その光に射抜かれ、本能的な恐怖に顔を歪めた。
彼が守ろうとした「色の純血主義」が、目の前の少女の「魂の輝き」によって、根本から否定されようとしていた。
リュカ……。年下ってのも美味しいですよね?




