1.琥珀の残熱、花弁の刻印
肌色注意。
アレな表記も注意ください。
カーテンの隙間からは朝日が差し込み、部屋の中を照らし出した。
「ん⋯⋯」
ソーフィアは自分をがっちりと抱きしめて眠るステファンの腕のなかで目を覚ました。
傍らのステファンは安心しきった表情で寝ている。その顔があどけなくて、愛しくて、ソーフィアは軽くキスを落とした。
ステファンの長いまつげが震え、瞼が開いてパイロープ・ガーネットの赤が見えた。
「ソーフィア⋯⋯煽るな⋯⋯」
「えっ、あっ、きゃあ!?」
気がつくとソーフィア視線は天井に向き、視界いっぱいにステファンの肌があった。
「お前が悪い」
深く口づけられた。
規則正しく扉を叩く音がする。アンナだ。
「お嬢様、そろそろ日が高くなりましたので、お迎えにあがりました⋯⋯はっ、お嬢様!? まさか、ノクスドラクに無理を⋯⋯!? このっ、黒トカゲ! お嬢様に何ということを! この扉を開けなさい!!」
ノックの音から激しく扉を叩く音に変わった。
「⋯⋯っ、近所迷惑だ」
しぶしぶステファンはソーフィアに軽くキスをし、体を起こした。
「ノクスドラク、開けなさい!!」
アンナの戸を叩く音が激しくなってきた。このまま宿の扉を壊されそうな勢いだ。
「待て、今開ける!」
ステファンは焦ったように服を身に着け、鍵を開けた。
「おおお嬢様〜〜! ご無事ですか!?」
ステファンには目もくれず、アンナは寝台でシーツに包まっているソーフィアのもとへと一目散に駆け寄った。
「アンナ⋯⋯お、おはよう」
アンナはソーフィアの変化した髪色や瞳、そして首の星のような形をした番の印を見て、やや目を潤ませた。
「お嬢様、おめでとうございます⋯⋯。これからはもう、『お嬢様』と呼べなくなるのですね……」
感慨深げなアンナに、ソーフィアはもじもじとしながら言う。
「あのね、アンナにね、お願いがあるの。これからは、お嬢様じゃなくて⋯⋯名前で、呼んでくれる? 『ソーフィア』って」
「!!」
はうっ、とアンナは何かの衝撃を受けたように仰け反り、歓喜の涙を流す。
「ええ、ええ! もちろんですとも! ソーフィア様!」
「いえ、あの、私、少しでも対等になりたくて、様は要らないんじゃ」
「私の主はソーフィア様お一人! 対等という言葉は勿体のうございます!」
そして。アンナはシーツに包まったままということに今気が付き――。
「失礼いたします」
そう言ってベリッとソーフィアからシーツを無情にも引き剥がした。
「きゃあああ!? アンナ!?」
「何という⋯⋯独占欲⋯⋯!」
ソーフィアの身体には赤い花弁がびっしりと散らされていた。彼女のデコルテ、形のよい胸、細い腰、太ももに至るまで、それこそおびただしい数の花弁。
「えっ、何これ!? これも竜人族の!?」
ソーフィアが自分の体を困惑気味に見回す。
「違います。キスマークです。ソーフィア様、後ろも拝見」
「キッ⋯⋯!? やだ、こんなところにまで!?」
アンナは鬼の形相で、ソーフィアは顔を真っ赤にして涙目でステファンの方を向いた。彼は素知らぬ顔で水を飲んでいる。
「ノ〜ク〜ス〜ド〜ラ〜ク〜?」
「ス〜テ〜ファ〜ン〜!」
「⋯⋯言ったろ、泣いても喚いても、離さないって」
「それとこれとは違います!!」
「恥ずかしくて、外に出られないじゃない!」
「一週間のソーフィア様接触禁止令を出します!」
そう言ってアンナはソーフィアをシーツでくるみ直し、光の速さで部屋を出ていった。後ろで「アンナ? 服、服!」「あれは不浄です! 浄化いたしますよっ!」なんて会話もされていたが、接触禁止令の衝撃に打ちのめされているステファンには耳に入らなかった。
「⋯⋯一週間? おい、一週間って言ったか、今」
静まり返った部屋で、ステファンは手にしたコップを握りしめたまま、魂が抜けたような声を漏らした。
先ほどまで感じていた、番とひとつになれたという全能感。それがアンナという名の最強の鉄壁によって、音を立てて崩れ去っていく。
「⋯⋯やりすぎたのは認める。だが、あんなに⋯⋯あんなに可愛かったんだぞ? 仕方ないだろ」
誰に言い訳するでもなく呟くが、虚空を見つめるその瞳には、ソーフィアの全身に刻んだ渾身の「花弁」たちが焼き付いている。
竜人族の独占欲をなめてもらっては困る。自分の魔力を流し込み、自分の印を刻み、文字通り「俺のもの」だと世界に宣言したかったのだ。
一方、別の部屋へ連行されたソーフィアは、アンナによって文字通り「物理的な浄化――お風呂」の真っ最中だった。
「ソーフィア様、そんなに赤くなっては湯あたりします。⋯⋯全く、あのトカゲめ。お嬢様の肌をキャンバスか何かと勘違いしているのでしょうか」
「⋯⋯アンナ、怒らないで。ステファン、すごく必死だったから⋯⋯」
湯気の中で、ソーフィアは自分の腕に残る淡い赤を指でなぞる。
恥ずかしい。死ぬほど恥ずかしいけれど、それはステファンが自分をどれほど求めていたかの証拠で。
目を閉じれば、昨夜の彼の熱い吐息と、耳元で繰り返された「愛してる」の言葉が蘇る。
「⋯⋯でも、一週間は、私もちょっと寂しいかも」
ポツリと漏らしたその独り言を、アンナは聞こえないふりをして、手際よくソーフィアの髪に香油を馴染ませた。
「ノクスドラク、おめでとう。一週間後、国へ帰るわよ。支度なさい」
ブランシュがひょっこりと廊下から顔を出した。打ちひしがれたまま、ステファンはブランシュを振り返った。
「⋯⋯早いな⋯⋯」
「私だって早く番見つけたいもの〜。羨ましいわぁ、番。誰かさんは一生独身でいいって言ってたくせに、ちゃっかりモノにしてるしぃ」
「それは⋯⋯」
言い淀むステファンに、ブランシュはさらに言い募る。その顔は真剣そのものだった。
「⋯⋯早くしないとあの子、子を宿しそうよ。動けるうちに帰るの」
その言葉の威力は、アンナの接触禁止令よりも鋭くステファンの理性を貫いた。
真っ赤になった顔を両手で覆い、指の隙間からブランシュを睨むが、彼女はどこ吹く風で優雅に爪を眺めている。
「⋯⋯お前、言葉を選べ⋯⋯っ!」
「あら、事実でしょ? あの密度で混ざり合っておいて、今さら何を純情ぶってるのかしら。カザドゥームの寝室は防音がしっかりしてるから、今のうちにサザランズの住民を安眠させてあげなさいな」
ブランシュは「じゃ、そういうことで」と背を向け、軽快な足取りで立ち去った。
残されたステファンは、静まり返った自室で一人、自身の熱を持ったままの手のひらを見つめる。
一週間。
ソーフィアに触れられないその時間は、今の彼にとって永遠にも等しい拷問だ。けれど、ブランシュが言った「国へ帰る」という言葉は、かつて彼が逃げ回っていた重荷ではなく、ソーフィアという「居場所」を公式に守るための凱旋へと意味を変えていた。
「⋯⋯チッ。一週間、か」
彼は窓を開け、サザランズの賑やかな街並みを見下ろす。
人族の活気、スパイスの香り、騒がしい商人の声。
この「人族の街」で彼女と出会い、不器用に恋をし、命を懸けて繋がった。
その思い出すべてを胸に抱いて、一週間後、彼は彼女を伴い、空の向こうにある故郷へと飛び立つことになる。
「五年もここにいると、かなり物が増えましたねえ〜」
荷物をまとめながらアンナは一人ごちた。もう明日は出立の日。アンナはせっせと宿の部屋を片付けていた。
ソーフィアはブランシュと共にお茶へ行かせている。最愛の主に片付けを手伝わせるなど侍女としてのプライドが許さない。
「ふう⋯⋯あとは不用品を売りますか⋯⋯」
ガランとした部屋は、五年前にここに来た時のよう。アンナはテキパキと持っていくものと不用品とに分類していく。
「⋯⋯これは、ソーフィア様の寝るときのぬいぐるみ⋯⋯私が使いましょう」
きっと、これから寝るときの相棒は、憎たらしい男になるのだから。
少しさみしく思う気持ちに蓋をし、アンナは次の品を手に取った。
「⋯⋯これは、使用期限が迫っていますから売りますか」
ソーフィアのマッサージ用の香油、美容ドリンク、パック⋯⋯手際よく箱に詰めていく。売りに出せばなかなかの収入になるはずだ。
――ぽた。
「⋯⋯あら?」
気がつくと、アンナの目から雫がこぼれていた。
「なぜ⋯⋯?」
最愛のお嬢様が、片割れの魂と出会い、一つとなれたのだ。それのどこがさみしいというのか。
――ああ、そうか。『さみしい』のだ。ソーフィアと侯爵家を出て、冒険者となって。何にも縛られない自由な生活は、ソーフィアも、そしてアンナも楽しかった。
いかにソーフィアの肉体美を見せつけるか(そして怒られる)、いかに翌日に疲れを残さないようマッサージをするか(そしてアンナへ他の冒険者たちから苦情がくる)、いかにソーフィアへ危険がないよう先回りして魔獣を討伐するか(ギルド長から泣いて感謝される)、本当に楽しかった。全てかけがえのない思い出だ。
「まだまだ、ソーフィア様との思い出はこれから何百年もあるんですもの。ここからが、始まりよ、アンナ」
アンナはそう呟いて自らの頬を叩いた。
一方その頃、街のテラス席では、ブランシュとソーフィアが最後のお茶を楽しんでいた。
「⋯⋯アンナ、怒ってたわね。ステファンのこと」
ソーフィアが申し訳なさそうにカップを置くと、ブランシュはクスクスと笑いながらスコーンを口に運ぶ。
「いいのよ、あれが彼女なりの祝福なんだから。それよりソーフィア、顔つきが変わったわね。⋯⋯この間のステファン、相当必死だったんでしょ?」
「も、もう、ブランシュまで⋯⋯! でも、そうね。彼の鼓動が私の中から聞こえるたびに、もう一人じゃないんだって、勇気が湧いてくるの」
「ふふ。ねえ、ソーフィア。私、前の空色の瞳も好きだったけど、今の朝焼けの瞳も好きよ。竜はね、太陽が好きで好きでたまらないの。その瞳、今にも太陽が昇りそうね」
ソーフィアの瞳に宿る微かな紅い光。ようやく、ステファンと「対等」となった証であるかのように煌めいていた。
ソーフィア達が旅立った後。ギルドのロビーは異様な熱気に包まれていた。
「おい、これがあの『アンナ姐さん』の特製ドリンクか!?」
「マッサージ香油、私が買うわ! 三倍出すから!」
アンナが放出した美容・健康グッズの数々は、サザランズの女性冒険者たちの間で熾烈な争奪戦を巻き起こしていたのだ。
「これを使えば、私たちもソーフィアちゃんみたいな美肌になれるのかしら⋯⋯」
「アンナさんの『除菌』パワーにあやかれるかも!」
アンナの知らぬところで、彼女はサザランズの「美容の神」として伝説になろうとしていた。
美容の神、アンナ。




