4.残り一つの砂時計、すれ違う心
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「大人」な表現入っておりますので、ご注意ください。
「そろそろ、タイムリミットなんだけど」
腕組みをしたブランシュがステファンを見下ろした。
「⋯⋯なんだ、ブランシュ」
ステファンは喉を焼くような酒精の強い酒を一気にあおる。今日は、どうしようもなく泥酔したい気分だった。
宿での別れ際、おやすみと言った時の、あの顔。はにかんだあの笑顔に、どれほどの理性を総動員して引き剥がしてきたか。
「約束の話、忘れたとか言わせないわよ? あ、店主さん、こいつと同じ飲み物で」
「分かりま⋯⋯ええ? 大丈夫!? すごいアルコール度数だけど!?」
「持ってきなさい。お代はこのヘタレが支払うわ」
親指でステファンを示したブランシュは、ステファンの向かいの席にどっかりと座った。もう一杯、ステファンは酒をあおる。
「ソーフィアは無垢なんだ。言葉遣いに気をつけてくれ」
「いいじゃない。私はあの子好きよ。透き通るように綺麗な心が分かるもの。⋯⋯ありがとう」
酒を持ってきた店主にお礼をいい、ブランシュはグラスを傾けた。
「さっきの話、逸らさないでくれる? あと半年。あなたが番を見つけて帰らなかったら、諦めて私の婿候補になる。まあ、私はあなたなんてぜぇったい、嫌なんだけど」
「⋯⋯」
「それか、私の番が見つかるまで、補佐を国でする。それが、あの時交わした『契約』よ」
ステファンは無言でグラスをあおる。空になったグラスはもう片手では数え切れない。
黙り込むステファンに、ブランシュは「逃がさないわよ」と言うかのように、ずいと顔を寄せた。
――ゴン、と。互いの額が触れ合うほどの間近で、彼女の金の瞳がステファンを射抜く。
「つっ⋯⋯」
「どちらにせよ、あなたは国に帰らなければならない。これはあなたに下した命だったはずよ」
「⋯⋯わかって、います⋯⋯きちんと⋯⋯」
敬語に戻ったステファンの声は、ひどく掠れていた。
願わくば、この穏やかなサザランズの風の中で、いつまでも彼女と笑い合っていたい。
だが、竜の王族としての義務という名の砂時計は、無情にも最後の一粒を落とそうとしていた。ただ、この幸せがいつまでも続けばいいと祈ってしまう。
お風呂上がり。湯上がりの熱を冷ますように、ソーフィアはアンナに髪を拭いてもらっていた。
通りに面した窓からは、眼下にステファンの行きつけの酒場「銀酒」が見える。その店の入り口付近の席に、見慣れた黒い後ろ頭があった。ステファンだ。
その向かいに、ブランシュが座っている。
二人は酒を酌み交わしているようだ。時折、ブランシュが楽しそうに笑い、身を乗り出して何かを話し込んでいる。
(⋯⋯お酒、美味しそう。あんなに笑って、何を話しているのかしら)
ソーフィアはまだ、酒を飲んだことがない。アンナの過保護なガードによって、「酔って無防備な姿を晒すのは危険です」と遠ざけられてきたからだ。
けれど、あの楽しそうな二人を見ていると、自分だけが知らない「大人の、竜人族同士の領域」があるようで、胸の奥がちくりと疼いた。
今日は、ステファンと二人で街を歩いた。任務ではない、ただの穏やかな買い物。時折美味しいものを食べて、笑って、少しだけ手を繋いだ。
幸せだった。けれど――。
「⋯⋯ねえ、アンナ」
「はい、お嬢様」
「ステファンに、『番』だと言われたけれど。⋯⋯竜人族って、それを言って終わりなのかしら」
髪を梳る手が、ぴたりと止まった。
「手は、繋いでくれるわ。大切にもしてくれる。でも⋯⋯アンナたちが言う『契り』については、ステファンは何も言ってくれないの。⋯⋯私、そんなに頼りないのかしら。それとも、彼は本当は、私とそこまで深く⋯⋯」
言葉が途切れる。窓の外では、ブランシュがずいとステファンに顔を寄せた。
月明かりの下、額を合わせるようにして密談する二人の影。
それは、ただの仲睦まじい恋人同士にしか見えなかった。
「⋯⋯お嬢様。ノクスドラクは、臆病なのです。⋯⋯そして、あまりにも貴女を愛しすぎている」
アンナの声が、いつもより低く、湿り気を帯びて響いた。
鏡越しに見るアンナの瞳は、遠いどこか、ここではない過去を見つめているようだった。
「竜人族にとって、番とは魂の片割れなのです。一度出会えば、抗うことのできないもの。それほどまでの存在なのです。⋯⋯私にもかつて、その『片割れ』がいました」
「――私はかつて、竜人族の国でブランシュ様のお父上、当時の陛下の護衛を務めておりました」
「えっ、アンナ、そんな凄い人だったの!?」
陛下の護衛。それは言わば高位の者が行う仕事。ソーフィアは驚いて目を瞬いた。
「いえいえ。護衛はかなりの人数いましたし、そんな凄いわけではありません。⋯⋯百年程前でしょうか。人族の国から、ある男が番探しの旅から帰ってきたのです。それが、私の転機でした」
アンナはその記憶を慈しむように、ずっと遠くを見る目をした。
「彼は、私の番でした。長い年月の間、国を離れていたので、分からなかったのでしょう。⋯⋯一目見た瞬間、魂が震えるような衝撃が私を襲いました」
「⋯⋯待って、アンナって、何歳⋯⋯? 私より少しだけ年上に見えるけど」
「そうですね、五百年は生きています。竜人族は基本、長生きですね。子どもの頃は人族と同じように成長し、その体が最盛期となると成長がほぼ止まります。そこから何百年と生き、寿命が近づくと年老い、その一生を終えます」
「そう、なのね。ごめんなさい、話を折ってしまったわ」
いいえ、とアンナは首を振って目を伏せる。
「まあ、私たちは竜人族同士でしたので、互いが番と分かりました。『魂が呼ぶ』、そう言われていたことはこのことだったのだと思ったのです。結婚の約束もしていました」
アンナは手を握りしめる。
「――だけど、それは叶わなかった」
「結婚――『真の契り』まであと三日のことでした。私はあの色ボケジジイ⋯⋯失礼、陛下の八十四番目の側妃として後宮入りを命令されてしまったのです」
「⋯⋯!?」
「普通、竜人族は番でないと子をなせません。ですが、白竜――王だけは違います。竜人族は番が見つからない事も多いので、王だけは番以外でも子が成せるようになっているのです。寿命が近づいている王、生まれない白竜。焦っていたのでしょう」
「番がいると訴えました。けれど、あいつは、私の後宮入りを強制した⋯⋯! 一度、子をなせば解放される。そう思っていました。ですが、あいつは、彼の『逆鱗』を壊したのです⋯⋯!」
血を吐くようなアンナの声は震えている。 たまらずソーフィアはアンナに近づき、彼女を抱きしめた。
「⋯⋯逆鱗を失った竜人族は、その命さえも失います⋯⋯。私は、私は、彼を、天へ送ることしかできなかった⋯⋯!!」
「アンナ⋯⋯」
「閨で私は力の限り抵抗しました。死んでもいいと思った。ですが。――国外追放されたのです。彼の墓にも行けず、死ぬこともなく」
抱きしめたアンナの肩が震えている。いつも飄々としている彼女の、初めて見る弱さをさらけ出した瞬間だった。
「⋯⋯これを、見ていただけますか」
そう言って彼女は着ていた衣服をするりと脱ぎ、後ろを向いた。――パサリ、と、彼女の背から赤く、燃えるような翼が生える。だが、片方だけ。
「⋯⋯!」
彼女の片翼の反対側、翼があったであろう場所は、捩じ切られた翼の根元だけが生えていた。ソーフィアはその痛々しい光景に、口元を手で覆った。
「私は、片翼を切られました。この印は、竜人族にあらずと言う印。そうして私は『マグドラク』という名を捨てました。陛下から殺されれば、彼の元へと行けたのに、死ぬことすら許されぬなんて」
ふ、と自嘲気味に口元を歪める。
「⋯⋯しばらく、世界を転々としたあと、サザランズの冒険者をしました。そこで、お嬢様のお母様、奥様に出会いました。もうすぐ子が生まれるから、しばらく護衛を頼みたい、と⋯⋯」
大きなお腹をした、幸せそうな女性。子を宿していたら、自分もそうだったのかもしれない。
けれど、雇い主の夫は愛人の家に入り浸りで、彼女は必ずしも幸せな家庭ではなかった。
「お生まれになったお嬢様は、大変愛らしく、私が心からお守りしたいと思いました。竜の因子を持つ、誰かの番。その運命をも背負った貴女を、私がいつか導けるように。――そして、私は卑しくも、貴女を娘として見ていました。⋯⋯申し訳、ございません⋯⋯」
頭を深く、深く下げるアンナの声は、もう涙でかすれている。そんな彼女をソーフィアは強く抱きしめた。
「違うわ! そんなことない! アンナが、アンナがいたから、私は生きてこれたの! アンナは私のお姉さんであり、お母さんよ! 謝らないでよ!」
「お嬢様⋯⋯」
失われた片翼と、奪われた最愛の記憶。アンナが背負う過去はあまりに凄惨だったが、今、自分を抱きしめるその腕の温もりだけは、何よりも確かな真実だった。
しばらくして、アンナが涙を拭い、いつもの凛とした、けれどどこか柔らかい表情に戻った頃。
「お嬢様。先ほども申しましたが、ノクスドラクは不器用で、臆病な男です。一度、話してみてはいかがでしょうか」
「⋯⋯ステファンと、話す⋯⋯」
ソーフィアはふと、静まり返った窓の外へ目をやった。
(⋯⋯あ)
そこには、まだ二人の影があった。
酒場の灯りに照らされ、額を寄せ合うステファンとブランシュ。
アンナの凄絶な過去を聞いた直後だからこそ、その「番」のように見える親密な光景が、ソーフィアの胸をより深く、鋭く抉る。
(アンナは、ステファンが私を愛していると言ってくれた。⋯⋯でも、彼は私に何も言わずに、あんなに近くで、あの人と何を⋯⋯?)
と、ブランシュは急に立ち上がり、ステファンの顔に近づいた。顔と顔が近づいて、それはまるで――。
ずきん。ソーフィアの胸の痛みが一層強くなった。
慌てて窓から目をそらす。見てはいけないものを見てしまったようで、ソーフィアは唇をかみしめた。
「お嬢様⋯⋯?」
急に顔を背け、唇を噛み締めたソーフィアの異変に、アンナが即座に気がついた。
ソーフィアは震える手で窓のカーテンを乱暴に閉め、寝台に座ってぬいぐるみを抱きしめる。
「⋯⋯アンナ、私、やっぱり分からないわ」
「何が、でございますか?」
「ステファンは、私を番だと言った。でも、ブランシュとも仲が良くて⋯⋯。竜人族って、番でなくともあんなに⋯⋯あんなに、距離が近いものなの?」
アンナがカーテンの閉められた窓を覗くと、ふらつく足取りのステファンをブランシュが支えながら歩く姿が見えた。それは、かつての主の娘が、不器用なステファンをこれでもかと煽り、挙句に泥酔させたのだと察せられる光景だった。
(⋯⋯潰れたのか。珍しいこと)
ここ、書いてる時苦しかった……。特にアンナ。
お昼にまた更新します。




