2.竜の裁きと解き放たれる鎖
章を設定するの忘れてました……
大変申し訳ありません……。
冒険者たちが振る舞ってくれた、香ばしく焼かれた干し肉と温かなスープ。
ようやく人心地つき、ステファンがまだ青白い顔をしながらも、なんとか上体を起こした頃。
「そういえば、あの王子様たちは無事かしら?」
思い出したかのように、ブランシュは隣のテントへ視線を向けた。
視線の先で、ルズベリーの冒険者が困ったように肩をすくめ、首を横に振る。
「お嬢、ありゃぁダメだ。殿下たちは⋯⋯完全に気が触れちまってるぜ」
それは、当然の報いとも言えた。
黒竜の「逆鱗」に触れ、あの中毒的な殺意と怒りを至近距離で浴び続けたのだ。脆弱な人族の心が、その凄絶なプレッシャーに耐えきれず、粉々に砕け散ったとしても不思議はない。
「ま、自業自得ね。⋯⋯このままサザランズへ送り届けましょう。ああ、私はサザランズに残ることにしたから、あなたたちとはそこでお別れよ。短かったけれど、楽しかったわ」
ブランシュがさらりと告げると、冒険者たちは寂しがるどころか、野太い声でからからと笑い飛ばした。
「お嬢! いなくなると寂しくなるな!」
「ああ、短い間だったが最高に楽しい旅だったぜ!」
「いいかお嬢、早くいい婿さん見つけろよな!」
湿っぽさなど微塵もない、あまりに潔い冒険者たちの挨拶。
ブランシュもまた、そんな彼らの快活さに合わせるように、気品と親しみのこもった微笑みを浮かべた。
「ええ、あなたたちも精進なさい。次に会う時は、全員Sランクになっていてちょうだいね」
カイル達を馬車に押し込み、ソーフィアたちもテントを畳む。
「あの⋯⋯、ステファン。私、その⋯⋯、番って、意識したこと、なくて⋯⋯」
ソーフィアがもじもじとしながらステファンを見あげると、彼の動きがピタリと止まる。
「っ、今は忘れてろ。全て片付いたら、その、話す」
それと、とステファンはふいに手を伸ばし、ソーフィアの額を指で弾いた。
「痛っ」
「上目遣いもやめろ。⋯⋯可愛すぎて、我慢できなくなる」
「えっ」
真っ赤になりながらステファンは逃げるように背を向けて歩き出した。
額を抑えつつも、取り残されたソーフィアの顔も、みるみるうちに真っ赤に染まった。
サザランズへ向かうことにした一行だったが、やがて奇妙な違和感に気づく。
「そういえば、さっきから魔物、出てこないわ」
ソーフィアが首を傾げると、ブランシュは面白そうにクスクスと笑った。
「そうね。あなたたちが絶滅寸前まで狩りすぎたんじゃない?」
「えっ、まさか⋯⋯!?」
「⋯⋯」
ブランシュのその飄々とした言葉に、ソーフィアは絶句し、ステファンは「余計なことを」と言わんばかりに無言を貫いた。
しかし、アンナに至っては、「お嬢様を害する羽虫など、一匹たりとも逃しません!」と言わんばかりに、誇らしげに胸を張っていた。
気づけば、いつの間にか鬱蒼としていた木々はまばらになり、足元には整備された石畳の道が続いていた。――魔の森を、ついに抜けたのだ。
「そろそろ、王家の使者も来ているかしらね」
どこまで先の未来が見えているのか。金の瞳をいたずらっぽく輝かせながら、ブランシュがのんびりと呟いた。
その言葉を聞いた瞬間、ソーフィアはある重要な事実に気づき、血の気が引くのを感じた。
この遠征で、王家側の人間は全滅に近い。生き残った者たちは気が触れ、カタリナは魔物に喰われて命を落とした。無事に帰還するのは、依頼を受けた自分たち冒険者だけだ。
(⋯⋯これって、依頼に失敗したことになるんじゃ⋯⋯?)
それどころか、王族に連なる者を死なせた責任を問われ、反逆の罪を着せられるのではないか。最悪の予測が頭をよぎり、ソーフィアの指先がみるみる冷たくなっていく。
だが、その手が凍りつく前に、ステファンの温かく大きな掌が、彼女の手を力強く包み込んだ。
「大丈夫だ」
短く、けれど揺るぎないその一言。
それだけで、ソーフィアの強張っていた肩の力がふっと抜けた。
隣を歩くアンナも、あるいは前を行くブランシュも、罰など微塵も恐れていない様子で堂々としている。
「⋯⋯そうね。みんなが、いてくれるものね」
握り返した手の温もりに勇気をもらい、ソーフィアは前を見据えた。
サザランズの街門が見えてきた頃、そこには異常な光景が広がっていた。
王都の紋章を掲げた豪華な馬車と騎士たちが、ギルドの荒くれ者たちによって完全に「足止め」を食らっていたのだ。
「通せと言っているだろう! 私たちは王命を預かった使者だぞ!」
「るせえ! ギルド長の許可なしに入るんじゃねえよ!」
門前で怒鳴り合う使者を一蹴するように、ルズベリーの冒険者たちが「道を開けろ!」と豪快に割り込んだ。その中にソーフィア、ステファン、アンナ、そしてブランシュの姿を認めると、街全体が静まり返る。
「お、無事に帰ってきたか。ん? 誰だそのお嬢ちゃんは」
「ギルド長! その、殿下達は⋯⋯」
「おい! 殿下達はどこにいる! サザランズで滞在し、古竜を捕らえ次第王宮へ帰還する手筈だろう!?」
「は? そんな命は受けていませんね。我々は殿下方の護衛と、古竜の捜索を依頼されたましたが。これがその親書だ」
親書を奪い取るように受け取った使者は、文面を目で追っていくうちにブルブルと震えていく。
「なっ、バカな⋯⋯! 殿下が同行するなど! まさか、カイル殿下は文書をすり替えたのか⋯⋯?」
「それは分かりませんがね。殿下方は『魔の森』へと共に向かった。それが事実です」
「そして、その成れの果てが――これだ」
ステファンの声とともに馬車の扉が開き、ドサリ、という音ともに転がり落ちたのは、汚物にまみれ焦点の合わない虚ろな目で笑っているカイルと、「竜が⋯⋯、竜が⋯⋯」と震えている騎士たちの憐れな姿だった。
「なっ⋯⋯!殿下!?何ということを⋯⋯!冒険者風情が、王族に対して⋯⋯!」
「不敬な! 全員死刑である!」
色をなして叫ぶ使者たちに、ブランシュの冷ややかな声が切り裂いた。
「ずいぶんと煩いじゃない。不敬なのはどちらか、事実を確認してからでも良いのではなくて?」
ブランシュは懐から銀色の書簡を取り出した。そこには竜の紋章が刻まれている。
「そ、それは竜印の親書!?」
使者たちの顔から血の気が引いていった。
「そう。我々竜人族の国であるカザドゥームと、人族との契約書。ここには、『人族は竜およびその血を利用しない。竜と人族はともに友好とする』と書いてある。百年ほど前にできた、割と新しい契約書ね。⋯⋯で、古竜を利用? 竜人族の血を使おうとした? 契約違反ではないの?」
「な、なんだ貴様は⋯⋯! お前のような小娘が!」
ブランシュは真っ白い髪をかきあげ、金の瞳を使者たちに向ける。
「私はブランシュ。白竜と言えばあなたたちなら分かるかしら? 竜人族の王にして、人族との調停を結ぶ者。そこに転がる者たちの行為が、我が一族へのどれほどの侮辱か、分かっていて?」
ブランシュが目を細めると、重圧が使者たちを襲う。彼らは膝から崩れ落ち、立てなくなった。敵意を向けられていないソーフィアでさえ、その威圧で膝が震えるほどだった。
「王家が隠蔽しようとするなら、我々は契約違反として宣戦布告と取る。⋯⋯どうする? 今ならその脳みそ空っぽな憐れな王子の勝手な行為ということにできるけれど?」
「お、お、お待ちくだされ!」
「すぐに、すぐに陛下へお知らせを!」
「私どもでは判断ができぬのです!」
先程までの態度はどこへやら、使者たちは慌てふためき、ある者は平伏し、ある者はよろめきながら馬車へ向かい、またある者は昏倒し⋯⋯。なかなかの地獄絵図だった。
騒ぎの中で、ステファンはそっとソーフィアの指を絡めた。
「言ったろ。大丈夫だと」
その声に頷いたソーフィアは、やっと王家という呪縛から解き放たれたことを実感したのだった。
「――終わったぜ、ソーフィア。王都から正式な『沙汰』が届いた」
スティーブはそう言って、数枚の書簡をテーブルに置いた。
そこには、かつてソーフィアを苦しめた者たちの、あまりに呆気ない幕引きが記されていた。
「カイル第二王子は廃嫡。それどころか、竜人族との契約を危うくした大罪人として、毒杯を賜ったそうだ。⋯⋯今頃はもう、この世にはいねえよ」
その言葉に、ソーフィアは小さく息を呑んだ。
死を願ったわけではない。けれど、あれだけのことをした男に下された、王家としての最大限の「落とし前」。
「カタリナ侯爵令嬢の方は、死人に口なしだが⋯⋯王子を唆した張本人として、ローラン侯爵家は取り潰しだ。国王も責任を取って退位。王太子が即位して、今は国中がひっくり返ったような騒ぎらしいぜ」
スティーブが「ま、辺境まではその騒ぎは来てねえな」と肩をすくめる。
それを隣で聞いていたステファンは、興味なさげに鼻で笑い、ただ、冷たくなっていたソーフィアの手を力強く握りしめた。
「⋯⋯そう。本当に、全部終わったのね」
「毒杯など生温い。あれほどのことをお嬢様にしておきながら⋯⋯!」
「⋯⋯周辺諸国に知られるわけねえだろうがよ、姐さん。この辺で勘弁してやれや」
ギリギリとアンナが悔しそうに歯ぎしりするのを聞きながら、スティーブは慣れた手つきで煙草に火をつける。紫煙が部屋に漂った時、アンナの目がキラリと光った。
「スティーブ! お嬢様の前でそのような不浄な⋯⋯! その煙、あなたの肺ごと浄化します!」
「どわぁっー! 肺まで洗われたら死んじまう! か、勘弁してくれ!」
そんな喧騒を背に、窓の外に広がるサザランズの青空を見上げながら、ソーフィアは自分を縛っていた重い鎖が、音を立てて崩れ去るのを感じていた。
サザランズの風が吹き抜ける、見晴らしの良い塔の上。
ソーフィアは遥か遠く、霞んで見える王都の方角を見つめて呟いた。
「アンナ⋯⋯」
「はい、お嬢様」
「これで、全て終わったのね。私は、もう好きに生きていってもいいのね?」
「ええ、もちろん。⋯⋯どこへでも行けます。なんなりと、私に申し付けくださいな」
ううん、とソーフィアは穏やかに首を振った。
「私は、冒険者として生きていくわ。この街で、もっと――自由に」
「⋯⋯それが、ようございます。お嬢様」
その時、塔の下からソーフィアの名を呼ぶ、聴き慣れた低い声が響いた。
ソーフィアは弾かれたように、その声の主を確認するために下を覗き込んだ。
「ステファンだわ」
「ちっ、ノクスドラクめ⋯⋯。せっかくのお嬢様との水入らずなのに⋯⋯」
鼻を鳴らして悪態をつくアンナに苦笑しながら、ふと、ソーフィアの心に小さな悪戯心が芽生えた。
かつての籠の鳥だった自分なら、決して思いつきもしなかったような大胆な衝動。彼女は大きく身を乗り出し、地上で待つ彼へと声を張り上げた。
「ねえ、ステファン! 今すぐ行くわ!」
優しくて不器用で、でも世界で一番、安心をくれる人。彼ならきっと、呆れながらも全力で受け止めてくれる。そう確信していた。
「おおおお嬢様!? まさか飛び降りるおつもりですか!?」
「おい、ソーフィア!? 馬鹿野郎、危ねえだろうが! ちゃんと階段で降りてこい!」
必死に叫ぶステファンの怒鳴り声すら、今の彼女には心地よい音楽のように聞こえた。
「だって、ステファンならきっと受け止めてくれるって、信じてるもの!」
その無邪気で、絶対的な信頼。
不意を突かれたようにステファンは一度瞬きをし、やがて降参したように、太陽のような眩しい笑顔を見せた。
「⋯⋯ったく、仕方ねえな。受け止めてやるよ。――何度でも、な!」
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