1.白の導き、賑やかな夜明け
繰り返しますが、5000字程度で1話、4〜5話ずつで章を構成しています。
この章から糖度がきつくなっていくはず……!
ピシリ、と大空洞を支える岩盤が悲鳴を上げる。
邪竜との戦いと黒竜の咆哮という絶大な魔力がの衝突に、この大空洞はもう耐えられない。
(――どうしよう、こんなたくさんの人たち、私一人じゃ避難させられない――!)
気を失ったステファンをを抱きかかえながら、魔力を使い果たしたソーフィアは焦燥に駆られた。
周囲には気を失ったカイルや騎士達。見捨てるわけには行かないが、一刻の猶予もない。
そんな時。
「⋯⋯見知った魔力をここから感じたと思えば、やっぱりノクスドラクじゃない」
崩壊の兆しを見せ始めた大空洞の中に、涼やかな女の声が響いた。
声と共に現れたのは、「白」と言っても過言ではない少女。
白く長い髪をたなびかせ、悪路には似つかわしくない、華奢な靴。簡素な黒いワンピースは、彼女の白い肌を残酷なほど美しく際立たせている。
年はソーフィアと同じか、少し下だろうか。面白そうに金色の瞳を細め、戦場を見回した。
そして、彼女と共に現れたのは、数人の屈強な冒険者たちだった。
「ルズベリーからやっと合流できたのだけど⋯⋯、あら、もう終わったようね。それに、ここは長く持たないみたい」
彼女は淡々と状況を把握すると、短く背後の男達に命じた。
「みんな、彼らを運んでくれる? ここは危険よ」
「へいへい。来たばっかだってのに、もうお役御免か?」
「まあ、お嬢が言うならいいけどよ」
「おい、この王子誰が運ぶ?」
「じゃんけんだ! 負けたやつな!」「げええー! 最悪だ!」
死地を彷徨っていたのが嘘のような、あまりに場違いで、けれど圧倒的に頼もしいやり取り。
張り詰めていたソーフィアの心に、ようやく一筋の希望が差し込んだ。
「あなたも、ここから早く出るわよ。あの二人はこちらに任せなさい。大丈夫、私達は味方。安心して」
ソーフィアはお嬢と呼ばれた女性へと目を向け、戸惑いながらも頷いた。
「は、はい⋯⋯」
最後の一人を運び出した瞬間、大空洞はその入り口を塞ぐようにあっけなく崩壊した。――それはまるで、三百年の孤独を終えた古竜の墓を、静かに埋葬するような光景だった。
魔の森は驚くほど穏やかな夜明けを迎えている。鬱蒼と茂る木々の間から太陽の光が仄かに差し込み、冷え切った空気を白く染めていた。
「かなりやられたのね。ノクスドラクは」
「お嬢! こいつは確か、Sランクだぜ!」 筋骨隆々の男に軽々と背負われるステファンを見上げ、「お嬢」と呼ばれた少女が小さく呟いた。その声音には、無敵を誇るはずの男がこれほど無様に血を流していることへの、意外そうな響きが混じっている。
崩壊した大空洞を背に、一行は少し開けた陽だまりまで移動し、意識を失った者たちを寝かせた。
「激しい戦いだったんだな!」
「――恐らく、王族達の裏切りかしらね。ほら、見て。この刺し傷は剣によるものよ」
少女は冷徹に傷口の観察をする。その傷口はドクドクと脈打ち、その度に新しく血が流れ出ている。
「す、ステファン⋯⋯! 早く、止血しなきゃ!」
ソーフィアが居ても立っても居られず、手当てのために膝をつこうとする。だが、少女はそれを制した。
「待って、その前に。誰か、上着貸してくれない?」
「あ⋯⋯」
言われて初めて、ソーフィアは自分の状態を思い出した。
カイルに切り裂かれた服からは、肌が露わになり、下着の一部すら見えてしまっている。ルズベリーの冒険者たちは、ソーフィアが必死にステファンを想う姿に敬意を払ったのか、一斉に顔を背け、気まずそうに空や茂みを見つめてくれていた。
「ひ、あ、えっ⋯⋯!?」
顔が沸騰しそうなほど赤くなる。小さく悲鳴を上げた彼女に、一人の男が無骨に差し出したのは、かなり使い古された、けれど清潔な上着だった。
「⋯⋯おう。汚ねえが、使え」
「あ、ありがとうございます⋯⋯」
ぶかぶかの上着に腕を通し、前を固く閉じる。その温もりと、少しだけ焦げ臭い男たちの匂いに、ソーフィアは自分がようやく「生還した」のだと、心の底から実感した。
「ふふ、お似合いよ、――さて、ノクスドラクの傷を見せてちょうだい」
少女が言うが早いか、手をかざす。ふわりと温かな光がその手から放たれ、彼を包んだ。――「無詠唱」だ。
「――致命傷は塞いだけれど、出血多量だからしばらく安静ね。それから、マグドラク、あなたも無理をしたのね。起きられるかしら?」
――マグドラク?
ソーフィアは思わず瞬きをした。聞き慣れないその響きに、胸の奥で小さな違和感が跳ねる。
(アンナのことよね? でも、そんな名前だったかしら。ステファンの『ノクスドラク』とどこか似ている気が⋯⋯)
ぴくり、と彼女の閉じられた瞼が動き、徐々に体に力が入っていく。
「うっ⋯⋯このアンナ、不覚でした⋯⋯お嬢様⋯⋯お怪我は⋯⋯」
「アンナ! よかった、気がついたのね!」
「はい⋯⋯お陰様で⋯⋯。こちらの方々は⋯⋯っと、ぶぶぶブランシュ様!?」」
飛び起きたアンナの顔が驚愕で引き攣る。
「何年ぶりかしら? 元気そうで何よりだわ。⋯⋯あなたの仕える『主』は見つかったかしら?」
うろたえるアンナとブランシュ「様」と呼ばれた少女。ソーフィアは困惑気味に二人を見つめた。
「おい、お嬢! テントが出来たぜ。込み入った話するなら、中でしな」
「俺達は周囲を見てくるぜ。魔物が出たら任せろ!」「俺は朝メシでも作るかな」
ルズベリーの冒険者達は頼もしくもそう言い、建てたテントを指さす。
意識のないカイル達は別のテントへ手荒に押し込まれた。冒険者たちは、ソーフィアたちが抱える「言葉にできない事情」を察したのか、わざと騒がしく笑いながら距離を置いてくれた。その無骨な気遣いをありがたく思いながら、彼女たちはテントの中へと入った。
――さて、ステファンをどこに寝かせるか。
アンナとソーフィアで一悶着があったものの、ステファンはソーフィアの膝の上に頭を置くことで決着した。
「その辺の石を枕にしたら良いのです。お嬢様の柔肌に触れさせる訳には行きません!」
アンナはそう息巻いていたが、ソーフィアは「これだけは譲れない」と言わんばかりの眼差しで押し切ったのだった。
ブランシュの治癒魔法によってステファンの顔色は少し良くなったが、それでも失った血の量は尋常でなく、静かに眠り続けている。
「マグドラク、ずいぶんと甲斐甲斐しい侍女になったこと。見違えたわ」
ブランシュはその美しい白髪をかきあげ、アンナを見据えた。
(⋯⋯やっぱり、アンナのことをそう呼んでるのね)
ソーフィアの隣でその名に反応したかのようにアンナの肩がピクリと揺れる。彼女は深く、深く頭を下げ、震える声で答えた。
「私は、私を受け入れてくださったお嬢様のため、この命を懸けると決めたのです。かつての名が何であろうと」
ソーフィアは、借りたぶかぶかの上着をぎゅっと掴み、ブランシュを見た。
「ブランシュ、様。ステファンやアンナを治してくださり、ありがとうございます。⋯⋯でも、あなたは一体⋯⋯」
ブランシュは微笑む。その美しい笑顔には、ソーフィアの純粋な疑問すら優しく遮るような、不思議な威圧感があった。
「ブランシュでいいわ。敬称もいらない。私は――そうね。アンナやそこの寝ている男と同じ『竜人族』よ。そして、調停者とでも言おうかしら。でも、今はただの冒険者のブランシュ。そう思ってくれて構わないわ」
ブランシュはカイル達が転がされているテントを一瞥し、冷たく鼻で笑った。
「人族の王家がこれほどまでに腐っているとはね⋯⋯。竜の血を弄び、あまつさえその『番』をも傷つける。ノクスドラクが激昂するのも無理はないわ。⋯⋯まったく、命拾いしたわね、あの王子様方は」
やれやれ、と肩をすくめる。その金色の瞳は、ソーフィアとステファンの繋がりをすべて見透かしているようだった。
ソーフィアの膝の上で、ステファンが小さく身じろぎした。
「ん⋯⋯。ソー、フィア⋯⋯?」
「ステファン! 気がついたの!?」
ゆっくりと開かれたパイロープ・ガーネットの瞳が、潤んだソーフィアの瞳を捉える。
彼は数秒かけて状況を把握し、次にソーフィアが男物のぶかぶかな上着を羽織っていることに気づくと、不快そうに眉根を寄せた。そして、傍らで面白そうに眺めているブランシュを認め、いっそ苦々しげな声を漏らす。
「⋯⋯よりによって、一番知られたくない奴に⋯⋯」
「ひどい挨拶ね。いいじゃない、そろそろ『約束の日』なんだもの。顔を見に来てあげたのよ」
ブランシュの涼やかな言葉に、ステファンは鼻で笑って切り捨てた。
「⋯⋯約束なんて、忘れた⋯⋯」
掠れた声でそう呟くが早いか、彼は重い上体を強引に起こし、ソーフィアの細い肩を抱き寄せた。
「え、ステファン⋯⋯っ!?」
驚く彼女を、壊れ物を扱うような慎重さと、決して逃がさないという執念が混ざり合った力で、自らの腕の中へと閉じ込める。まるで、誰の視界にも、一端の光さえ彼女に触れさせたくないというように。
狭いテントの中、ステファンの腕の力は緩むどころか、さらに強まっていく。
無意識に彼女の首筋――甘い中毒的な香りが立ち昇る場所へと顔を埋め、ステファンは深く、深く息を吸った。耳元で聞こえる彼の熱い息づかいと、自分を求める切実な鼓動。
(⋯⋯ステファン? どうしたの、こんなに強く⋯⋯)
ソーフィアの胸は、彼の体温に当てられたように激しく鼓動し始めた。
「ステファン、苦しいわ。それに、あなたはまだ安静にしてなきゃ⋯⋯」
「しばらく、このままで⋯⋯。いや、この上着、後で燃やす」
「待って!? 借りただけだし失礼だから!」
「⋯⋯いいの? あなたの『主』にあんなことされているけど」
「⋯⋯大変不本意ですが、お嬢様が嫌がっておりませんので、仕方ありません。ですが、私はノクスドラクに仕える気はさらさらありません」
「ふうん。⋯⋯もうお父様はいないから、あなたの国外追放を取り消しても良いわよ」
「⋯⋯お嬢様の生きる場所が私の生きる場所。⋯⋯ですがもし、そのようなことがあれば、お願い致します」
「ふふ、ずいぶん都合のよいこと」
小声で会話をしていたブランシュは、いきなりしゃがみ込み、ステファンからソーフィアを引き剥がした。
「⋯⋯ぅおっ、陛⋯⋯ブランシュ!」
ステファンは抗議の声を上げたが、それを無視してブランシュはソーフィアの両手を取った。
「ねえ、ソーフィアはステファンの『番』なのよね?」
「つがい⋯⋯? って、何のことですか? ⋯⋯そう言えば、あの時もステファン、『俺のつがい』って⋯⋯」
ブランシュは自分の想像が当たっていたことに、嬉しそうに顔を輝かせる。
「やっぱりそうなのね! ん? ⋯⋯ちょっと待って、番を知らないって⋯⋯」
ブランシュはステファンの顔を見た。ステファンの耳は少し赤くなっていた。
「やだ、言ってなかったの!? そんな奥手だったの!?」
ブランシュは驚いたようにパッチリとした目をさらに大きく広げ、口に手を当てた。
「そーなんですよ! この男、ウジウジしてまだ伝えていないのです!」
アンナがはやし立てるように追い打ちをかける。
「ばっ、なっ、タイミングってもんがあるだろう! ⋯⋯いっつぅ⋯⋯」
ステファンは真っ赤になって怒鳴り返した。その時に塞がった傷に響いたのか、腹を押さえた。
「や、やだ!? ステファン、大丈夫!?」
テントは途端に騒がしくなった。
「す、ステファン!? ちょっと、しっかりして! 血! 血が!」
「あら、私としたことが。内臓の損傷は治したけど、表面は塞いでなかったのかしら。まあ、大丈夫よ、かすり傷だと思うわ」
「えっ、でも、こんなに⋯⋯!」
慌ててソーフィアはステファンの体を支える。ブランシュやアンナはニヤニヤ顔でステファンを見ているし、当のステファンは耐えられないというように顔を真っ赤にして顔を背けている。
「⋯⋯うるさい。放せ、かすり傷だ」
「もう少し血を出したほうが落ち着くのでは?」
「黙れ、アンナ」
「うふふ、仲良しね。⋯⋯でも、『番』を伝えずに、そんな近くで⋯⋯よく耐えたわね?」
「いえいえ、理性は崩壊していると思いますよ」
「っ、アンナ、お前は黙ってろ! ⋯⋯その、なんだ、つ、番ってのはだな、その⋯⋯」
ステファンが口ごもる。なかなか説明しようとしない彼にじれたのか、ブランシュはその先を続ける。
「魂レベルで惹かれる、唯一の伴侶ってことよ。それが分かるのは竜人族だけだし、他の種族は分からないのだけど。⋯⋯この男は、大勢の前で自分の妻だと宣言したってわけ」
「つつ妻!? わたしが? ⋯⋯ええっ!?」
ソーフィアはパッとステファンに目を向けると、彼はますます顔を赤くし、ついに片手で顔を覆ってしまった。
「――あんな状況で、お前が傷つけられて、我慢、できるわけ⋯⋯ない、だろう⋯⋯」
片手で顔を覆い、指の隙間からステファンが絞り出した本音。
その甘く切実な言葉に、ソーフィアの心臓が跳ねた、その瞬間だった。
「――なんとッ!?」
不意に、アンナが雷に打たれたような声を上げた。
「ハッ! お嬢様、その上着の下、一体どうなっているのですか! まさか、その、あんな奴に⋯⋯っ!」
「えっ、アンナ? ちょっと、何を――」
ソーフィアが止める間もなかった。
アンナは野獣のような俊敏さで掴みかかると、借り物のぶかぶかな上着を、躊躇なくバッ! と豪快にめくり上げた。
「「っ――!?」」
テントの中に、ステファンとアンナの、裂けるような息を呑む音が重なった。
上着の下。カイルに切り裂かれた服は無惨に破け、ソーフィアの白磁のような、玉のような肌が露わになっている。そしてそこには、痛々しい剣の微かな擦り傷と、滲んだ血の跡が残っていた。
「きゃああああっ!! アンナ、何をするの!?」
ソーフィアは顔を真っ赤にして悲鳴を上げ、慌てて破れた服をかき寄せた。
だが、隣にいたステファンは、彼女の肌に刻まれた「傷」を認めた瞬間、顔の赤みが一気に引き、瞳に禍々しい竜の光を宿す。
「ななな、なんとォォォォッ!! 服が! しかもお嬢様の、この世の至宝たる肌に、傷が⋯⋯ッ!? 私が気を失っている間に、あの糞王子、万死に値する、いや、死すら生温い⋯⋯ッ!!」
アンナは髪を逆立て、瞳を血走らせて咆哮した。
「――今すぐ奴を、『浄化』して参りますっ!」
そして勢いよくテントを出ようとした。
「待って待って待って! アンナ、行かないで!」「そうよ、マグドラク、あれは殺す価値もないわ。沙汰をだすから、待ちなさい」
「くう〜〜っ、悔しい⋯⋯」
地団駄を踏むアンナ。対照的に、それまで赤面していたステファンからは、一瞬で熱が引いていた。
「⋯⋯すまない」
ぽつり、とステファンは低く呟く。彼はその震える指先で、今度は自分自身の手で、壊れ物を包むようにきつく、隙間なく引き寄せた。
「俺が、油断をしたせいで⋯⋯お前に、こんな⋯⋯」
その後悔の滲む声音と、震える体。ソーフィアはそっとステファンの背に腕を回した。
「平気よ。ステファンが助けてくれたんだから、これだけで済んだの。⋯⋯あなたが無事で、本当に良かった⋯⋯」
「ソー⋯⋯」
ぐ、とステファンの重みがソーフィアにかかる。
「えっ、ステファン⋯⋯って、きゃあー! 血! ブランシュ、血が出てきたわ! 止めて、早く止めて!」
感情を昂ぶらせすぎたのが災いしたのか、それともアンナへの怒鳴り返しがトドメだったのか。ステファンは限界を超えた羞恥と貧血により、再び静かに白目を剥いて意識を飛ばした。
いまだに「殺してきます!」と地団駄を踏むアンナに、生死の境にいるはずなのに喜怒哀楽が激しすぎるステファン。そして、涙目になって彼を支えようと大慌てのソーフィア。
あまりにちぐはぐで、けれど愛おしい光景に、ブランシュは腹を抱えて笑い転げた。
「――ふふ、あはははは! おかしい、本当におかしいわ、あなたたち!」
軽やかなブランシュの声が、朝霧の立ち込める森へと溶けていく。
気を失った最強の黒竜、憤死しそうな侍女、そして涙目で必死に彼を抱きしめる「妻」。
大空洞の崩落と共に、重苦しい「運命」の幕は一度下ろされた。
テントの外からは、冒険者たちが焚き火で肉を焼く香ばしい匂いが漂い始めている。
ソーフィアはステファンの温かな重みを感じながら、ようやく、本当にようやく、自分たちの「新しい朝」が始まったのだと実感していた。
アンナの驚きの過去。国外追放って?(すっとぼけ)
強い男が白目を剥いて倒れるのもいいですよね。ふふふ。




