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黒竜王と黄金の太陽  作者: ホシクズノソラ
第三章 蹂躙の森、あるいは跪く竜の鎖
13/27

4.黒龍の咆哮と聖女の祈り

胸糞注意です。

血の表現、刃傷描写があります。苦手な方はブラウザバック推奨します。

 耳をつんざく咆哮が、大空洞の空気を震わせ、岩天井からパラパラと土砂を降らせる。

 カイルたちが恐怖に顔を歪めて耳を塞ぐ中、ステファンだけは鬱陶しそうに眉を寄せた。

「――やかましい。少し黙っていろ」

 ステファンが地を蹴った。

 目にも止まらぬ速さで古竜の懐へと潜り込むと、双剣を抜き放つことすらなく、魔力を凝縮させた左拳をその強靭な顎へと叩き込む。

 ズゥゥゥン!!

 重低音の衝撃波が空洞を駆け抜け、巨体を持つ古竜が、紙屑のように横ざまに吹き飛んだ。

 そのまま反対側の岩壁へと激突し、凄まじい轟音と共にめり込む。


「⋯⋯さて。ようやく静かになったか」

 着地したステファンは、乱れた前髪を無造作にかき上げ、唖然としているソーフィアを振り返った。

 背後の岩壁からは、古竜が悶える地響きが聞こえるが、彼は気にした様子もない。


「⋯⋯いいか、あれはもう『竜』じゃない。誰にも看取られずに果てた、孤独な魂の残滓だ」

 岩壁に叩きつけられた古竜が、苦しげに喉を鳴らす。その隙にステファンは、ソーフィアの隣で静かに言葉を紡ぎ始めた。

「⋯⋯三百年ほど前のことだ。その古竜は、人族との友好の証として、自らの命とも呼べる『逆鱗』を差し出した。だが、当時の人族はそれを絆ではなく、支配の好機として利用しやがった」

 ステファンの瞳に、軽蔑の色が混じる。

「奴らは古竜に従属の首輪を嵌め、無理やり従わせた。だが、逆鱗という核を失った竜の器に、そんな呪縛が長く耐えられるはずもない。魔力は枯渇し、精神は崩壊⋯⋯やがて、その誇り高き魂は狂気に呑まれ、敵味方の区別なく暴れ出す怪物に成り果てた」


 遠くで、カイルが「そんな、嘘だ⋯⋯。竜は王族に従う神聖な⋯⋯」と力なく零すのが聞こえた。ステファンはそれを一瞥すらしない。

「制御できなくなった奴らを、人族は百年ほど前にこの森へ捨てた。都合よく『伝説の古竜の眠る地』なんて物語を仕立て上げてな。⋯⋯ここにいるのは、首輪を嵌められたまま死ぬことも許されなかった、ただの哀れな抜け殻だ」

 その説明の最中、岩壁の瓦礫が崩れ落ちた。

 砂埃の中から再び立ち上がった古竜の首には、皮膚に深く食い込み、腐食した「従属の首輪」が鈍く光を放っていた。


「う、嘘だ! そんなデタラメ、ただの平民のお前が知っているわけがない!」

 狂乱するカイルを、ステファンは冷たく、そして誇り高く見下ろした。

「知ってるさ。⋯⋯俺達、竜人族なら、誰でもな」

「なっ⋯⋯!?」

「ステファンが、竜人族⋯⋯!?」

 衝撃が空洞を駆け抜ける。

 だが、ソーフィアの心に湧き上がったのは、驚きよりも深い「納得」だった。

 人智を超えた強さ、神話のごとき魔術。そして、出会った瞬間から自分の本質を見抜いていたあの瞳。彼が「人ならざる者」であれば、すべてに説明がつく。

――けれど、その納得の背後で、小さな違和感が毒のように回った。

(⋯⋯じゃあ、私は? どうして私は、彼と同じ「無詠唱」で魔法を紡げるの?)

 アンナに導かれ、ステファンに教わり、当たり前のように使っていたその力。

 彼らが竜人族という「特別な存在」なら、ただの人族であるはずの自分もまた、その領域に片足を踏み入れていることになる。

(私は⋯⋯何者なの? 彼の側にいたいと願うだけで、こんな力が⋯⋯?)

 答えの出ない自問。しかし、それを嘲笑うかのように、ソーフィアの胸の奥が熱く疼いた。ステファンの背中を見つめるだけで、体内の魔力が彼と「共鳴」し、歓喜に震えている。

――それが、魂に刻まれた「竜の因子」が、愛しき番を求めて叫んでいる声だとは、今の彼女にはまだ知る由もなかった。


「来るぞ! ソーフィア!」

 ステファンの鋭い怒号にハッとソーフィアは身を翻したが、カタリナは相変わらずヒステリックな叫び声を上げ続けていた。このままでは彼女が「古竜」の標的になる。

「カタリナ! お願いだから、黙って壁際へ! 殿下も!」

「あ、ああ」

 カイルはもはや王族の矜持など微塵もなく、腰を抜かしたまま地面を這いずり、岩陰へと逃げ込んだ。

 だが、カタリナだけは違った。自分より「下」だと信じていたソーフィアに指示されたことが、死の恐怖以上に彼女のプライドを逆撫でしたのだ。

「何よ! 能無しが私に指図しないでよ! これくらい、私だって!」

 カタリナは震える手を無理やり広げ、魔法を展開しようとしている。

「やめて、光を出しちゃダメ!」

「うるさい! 『闇を払う気高き光よ、邪悪な竜を』――」

 暗闇が支配する大空洞に出現した不用意な輝きが爆発的に灯る。それは、ここに「餌」がいると教える合図でもあった。

 古竜の大きな頭部が、音を置き去りにする勢いでカタリナを捉えた。


 詠唱の続きは、肉を断ち切り、骨を砕く、湿った不快な音にかき消された。

「ぎゃ、ばあああああ!?」

 暗がりに、鉄錆の匂いを含んだ「液体」が土砂降りのような音ともに飛び散る。

 絶叫は一度きり。あとは古竜が咀嚼するたびに聞こえる、吐き気を催す様な嫌な音だけが響き渡った。

「ソーフィア⋯⋯」

 隣に並んだステファンが彼女の目を覆おうとしたが、ソーフィアは青ざめながらもそれを震える手で制した。

「冒険者だもの、こういうことがあるくらい、知っていたわ。せめて、あの子の最期だけでも⋯⋯」

 彼女の瞳には妹を無残にも奪われた悲痛さと、それでも現実から逃げない強固な意志が宿っていた。

 ステファンは一瞬だけ苦しげに眉を寄せたが、やがて何も言わずにその手を下ろした。

 代わりに、彼女の細い肩を抱き寄せ、その体温だけを分け与える。

 その後の大空洞に響くのは、咀嚼音とカイル王子の絶望的な嗚咽、そして騎士たちが胃の中のものをぶちまける音だけ。


 かつて「棒切れ」と蔑まれたソーフィアの隣で、優雅に、傲慢に咲いていたはずのカタリナ・ローランという存在は、あまりにもあっけなく「魔物の栄養」へと成り果てた。

(⋯⋯これが、現実。私が足を踏み入れた、冒険者という生き方。⋯⋯そして、ステファンが言った『人族の裏切り』の末路)

 ソーフィアは震える膝を叩き、前を見据える。


「⋯⋯ステファン、アンナと、あなたは竜人族だったのね。だから、あんなに強いのね」

 ソーフィアの問いに、ステファンは無言で頷いた。

「ああ」

「でも、私も無詠唱の⋯⋯」

「それは、お前が『竜の因子』を持っているからだ」

「『竜の因子』⋯⋯?」

「お前が俺の⋯⋯っ、この話は後だ」

 ステファンは言葉を切り、双剣の柄を握り直す。

 彼の背中から溢れ出す魔力が、カタリナを喰らった「亡霊」への嫌悪に呼応して、どす黒く膨れ上がっていく。

「⋯⋯来るぞ。人を喰らって、完全に理性を失った――成れの果てだ」


 みしみしと古竜の体が音を立て、岩のような皮膚が剥がれ落ち、中から新しい皮膚が顔をのぞかせている。それは「脱皮」とでもいうのか、体が一回り大きくなっている。そして巨大な竜の額から歪な形の角が生えてきた。いや、あれは角というより――。

「⋯⋯カタリナ⋯⋯」

 女が古竜の額から生えている。カタリナだったそれは眼球が無く、眼窩から黒い液体を流しながら自らを抱きしめるように両腕を回している。

「人間の魔力を取り込んだか。⋯⋯厄介だな」

 ステファンが低く毒づいた。それはもはや竜ではなく、ただ虐殺を行う肉塊と化していた。


「そっ、ソーフィア! 助けてくれ! 私が悪かった! お前を追い出したのは、侯爵とカタリナに言われたからなんだ! わた、私は悪くない! 私は被害者だ! 私を助けろ、ソーフィア!」

 涙と鼻水と土埃で顔をべしょべしょにしたカイルは岩陰から声を上げた。そのあまりの自分本位な醜態に、ステファンの魔力は怒りで周囲をパキパキと音を鳴らす。


「あなた達は私を捨てた。そして、私もあなた達を捨てたの」

 その声は、泣き叫ぶカイルを黙らせるほどに凛としていた。

「これは仕事だから今は助ける。でも、二度と⋯⋯金輪際私の前に現れないで」

 握りしめたソーフィアの拳は震えていた。



 かつてカタリナだったものはブツブツと何かを呟き、周囲の瘴気を重く、そして濃くしていく。

「お嬢様⋯⋯! 遅れました!ちょっと壁と仲良くしすぎてしまい、抜けなくて⋯⋯」

 アンナがボロボロの体で小走りに現れた。その強気な言葉とは裏腹に、どこか動きにキレがない。

「アンナ! 無事だったのね」

「ええ。ちょっとアバラやりましたけれど、私達からすればこのくらいかすり傷です。⋯⋯多分」

「……アンナ、それは世間では重傷っていうのよ?」

 再会を喜ぶ二人に、ステファンは冷徹な、しかし信頼のこもった声をかける。

「冗談はそのくらいにしておけ。アンナはあの役立たず共を死なない程度に守れ。ソーフィア、お前は俺と古竜⋯⋯いや、『邪竜』か。そいつを倒すぞ。恐らくあの角に核を隠している。俺が露出させるからソーフィアは最大威力で浄化しろ」

「分かったわ、ステファン!」

 二人の息の合ったやり取りに、アンナは不満そうに片眉を上げた。

「私の見せ場はないんですか、ノクスドラク?」

 ちらとアンナを見、ステファンはその凶悪なまでに美しい口角を不敵に上げた。

「しっかり守りぬけば、ソーフィアから報酬が出るだろうよ」

「お嬢様から!? がぜんやる気出ました!」

「――行くぞ!」

 三人は走り出した。



「さあ、見学はこちらで。騒いだら守れないかもしれませんねぇ〜」

 アンナはカイル達を岩陰に押し込んだ。不敬だと騒ぎ立てようとしたカイルを、不敵な笑みで黙らせる。自身も痛むあばらを押さえながら結界を張り、ソーフィアを祈るように見つめた。


 ステファンの動きは、もはや目で追えないほど速かった。双剣は残像を残しながら竜の皮膚を切り裂いていく。

「ソーフィア! やつの体勢を崩せ!」

「分かったわ!」

 「竜の咆哮」とステファンが呼んでいた、ソーフィアの攻撃魔法を発動する。ドッ⋯⋯! と、竜の足に当たったそれは、骨まで溶かし、ぐらりと巨体がよろめいた。

「これで、終わりだ」

 ステファンが空中で一回転し、「カタリナ」が守る角の根元を一閃する。

 ギイイン! と激しい金属音が響き、角に覆われていた核が赤黒く脈打ちながら露出した。

「今だ!」


 ソーフィアは両手を前に出し、祈りを捧げるように目を閉じる。

(――古竜、カタリナ。今度こそ、どうか安らかに)

 ソーフィアの全魔力がまばゆい光となって核へと注がれていった。

 カタリナだった影は、光に包まれて一瞬安らかな表情となり、サラサラと崩れていく。 竜の体もまた、三百年の怨嗟から解き放たれ、光の粒子となって消えていった。


 ――カラン。

 静寂が戻った大空洞に虚しく転がったのは、焼け爛れた「従属の首輪」と、泥に汚れたカタリナの髪飾りだった。


「⋯⋯終わったな。良くやった、ソーフィア」

 魔力切れで膝をつきそうになったソーフィアを、ステファンが背後から力強く抱きとめた。

「⋯⋯うん⋯⋯」

 その体温と鼓動に、ソーフィアは安堵の息を漏らす。

「っ、お嬢様! 避け――ぐっ⋯⋯!」

 突如、アンナの悲痛な声が岩陰から届いた。

「え、アン⋯⋯」

 カチン。――ザシュッ!

 冷たい金属音と、肉が切り裂かれる嫌な音。ソーフィアを抱きとめていたはずの熱が音もなく離れていく。

 何が起きたのか理解が追いつかないまま、ソーフィアが振り返ると、そこには信じがたい光景が広がっていた。

「ス、テファン⋯⋯?」

 首に金属製の輪を付けられたステファンが、腹から剣をのぞかせながらゆっくりと倒れていく。

「ぁ、ああ⋯⋯っ!?」

 ドサリ、と重い音が響いた。

 ステファンの腹部から鮮血が滲み出し、岩肌を染め上げていく。

「あっ⋯⋯ぐぅ⋯⋯」

 ステファンの喉からかすれた声が漏れる。

 彼の首に嵌められた金属の輪――先程まで地面に転がっていたはずの『従属の輪』がステファンの膨大な魔力を強制的に閉じ込めていた。

「ステファン! ステファン!?」

 ソーフィアは悲鳴を上げ、彼に駆け寄ろうとしたが、その行手を遮るように一人の影が岩陰から出てきた。


「お見事でした、ソーフィア嬢。まさかあの邪竜を浄化してしまうとは。古竜を失ったことは残念でしたが、竜人族を手に入れることができました」

 そこに立っていたのは、カイルと共に震えていたはずの騎士団長だった。

「なっ、あなたは、騎士団長!? なぜ、こんな⋯⋯!」

「従属の首輪。まだ使えるとは好都合。――なぜ? 古竜という象徴を手に入れられなかったのは残念だが、この男は竜人族。竜人族の血は素晴らしい薬になる。このまま生かしておけば、永遠に作り続けられる霊薬ができるというわけですよ。良質のね!」

「そうは、させないわ⋯⋯!」

 ソーフィアは震える膝を叱咤し、立ち上がり、魔法を放とうとする。――だが。

「お前は私と来い!」

「痛っ!」

 カイルの声と共にソーフィアの腕が掴まれる。

「カタリナのことは残念だったが、魔法が使えるようになったお前ならば、役に立つだろう。私の為に強くなろうとした心意気に周囲も納得するはずだ!」

 ギリギリとソーフィアの腕をねじり上げるように掴まれ、あまりの痛みにソーフィアは顔を歪めた。

 視界の隅では、アンナが魔力封じの魔道具に囲まれ、頭から血を流して倒れている。助けは来ない。

「⋯⋯っ!」

「騎士団長、『それ』は殺すなよ。国のためにこれから必要なのだからな。ああ、その『霊薬』とやら、どんな味が試してみようじゃないか」

 そう言ってカイルはステファンの腹部から滴る血を指で掬い、舐め取った。すぐに眉をひそめ、不快げに鼻を鳴らす。

「ふん、なんという不味さだ。反吐が出る。⋯⋯まあ、傷の治りだけは早いようだがな」

 カイルは唾を吐き捨てる。

 ソーフィアにとっては、自分の命の一部を分け与えられたような、あの愛おしく熱い「生命の色」。それを、この男はただの「機能的な液体」として侮辱した。

「『改良』のしがいがある。動けぬよう四肢を折っておけ。肉は勝手に繋がるのだろう?」

「御意」

 恭しく礼を取った騎士団長は、ステファンの髪を掴み引きずっていく。血の跡が赤々とその跡を残していった。

「――っ、やめて! ステファンに触らないで! 私は、私はもうあなたの元には戻らない!」

「素直になれ、ソーフィア。あの竜人族がいれば、私は兄上を越えられる。私が王になるのだ! 正妃は無理だが、側妃ぐらいにはしてやる」

「嫌よ!」

 ――乾いた音が大空洞の岩壁にこだました。カイルの無骨な手のひらが、ソーフィアの白い頬を容赦なく打ち据える。そのまま彼女は地面に押し倒された。

「拒否することは許さん。なんなら、いっそのこと既成事実を作っても構わんぞ」

 魔力を使い果たし、起き上がることさえままならない。カイルはニヤニヤと笑いながらソーフィアのマントを剥ぎ取った。

「あの『棒切れ』が。皮肉なものだな、こうも使い道のある『女』になるとは」

「やっ、嫌!」

 カイルはソーフィアの上に乗り、その体重でもって地面に押し付ける。

 ソーフィアの腰にあるナイフに気がつくと、鞘から抜き取った。もがいてもカイルの手はガッチリと手首を掴み、ソーフィアは動けない。ニィ、とカイルはその口元を愉悦に歪めた。

 ビリィッ!

 カイルは、ソーフィアの衣服を無慈悲に切り裂く。薄く、赤い線が白い肌に走り、そこから血が滲み出た。

「いやあああああ!!」

「ほう、なかなかどうして⋯⋯。涙目で睨むその顔も、実にそそるというものだな⋯⋯」

 切り裂かれた布地から、守られるべき肌と下着が無防備に晒される。カイルはその手を、彼女の尊厳の最後の一線へと伸ばした。

 その時だった。


――ド⋯⋯ンッ⋯⋯!

 と古竜よりも重い魔力が爆発した。


「貴様⋯⋯今、何をした⋯⋯?」

 地の底から響くような低い声。遅れて衝撃波が襲い、カイルは吹き飛んだ。


 ゆら、と倒れていたはずのステファンがゆっくりと立ち上がる。ばたばたとその拍子に彼の傷口から血が滴っている。

「ば、バカな⋯⋯! 従属の首輪はどうした!? 四肢は折ったはず⋯⋯。騎士団長は!?」

 カラン、と無機質な音が地面からした。従属の首輪は無残にも真っ二つに割れていた。衝撃波で吹き飛んだのか、騎士団長は岩壁にぶつかり、頭から血を流している。

「何をしたと聞いている⋯⋯!」

 ゴォッ! と黒い魔力が渦巻き、大空洞の中に風を起こした。魔力による風圧でステファンの髪をなびかせたかと思うと、彼の影がみるみるうちに大きくなり――。


「あひゃああああ!!!?」

 巨大な竜へと姿を変える。それを見たカイルは叫び声を上げ、失禁した。

「す、ステファン⋯⋯?」

 ソーフィアは服をかき寄せながらも立ち上がる。古竜よりも大きく、壮大な姿。黒い鱗に覆われ、紅い瞳をらんらんと光らせた黒竜がそこにいた。

『⋯⋯貴様ら⋯⋯俺の番に⋯⋯!! 全員、殺してやる……!』

グオオオオオオ!!!!


 怒りの咆哮が、大空洞を突き抜けた。


 咆哮による地響きで大空洞の天井がパラパラと崩れていく。

「ぎ、ぎゃあああ! こ、殺さないでくれ! 私は王子だ! 王族だぞ!? 私を殺すと、どうなるか分かっているんだろうな! ひいいい!」

 カイルは全身を濡らし、這いずり回る。だが、黒竜の巨大な前足がその逃げ道を塞ぐようにドオオン! と突き立てられた。

『⋯⋯殺すな、だと? 貴様は俺の命よりも尊いものを傷つけた。その報い、死をもって償え』

 黒竜は口を開け、カイルへ向かってブレスを吐こうと――。

「ステファン! ダメ! やめて!」

 ソーフィアはカイルの前に立ち、両手を広げて立った。

「!?」

 直後、ステファンが顔をそらしたおかげで、ブレスは軌道を逸れ、カイルの髪を焦がしながら放出された。数秒後、大空洞の奥、岩が崩れた音がした。

「⋯⋯あひゃ⋯⋯」

 カイルはふっと意識を失い、白目をむいてバタンと倒れた。

「⋯⋯だめよ、ステファン。私、あなたを人殺しにしたくない。こんな、殺す価値のない人なんて、いいの」

 ソーフィアは、自身の何倍もの大きさがある黒竜の、漆黒の鱗に覆われた足に必死に縋り付いた。あまりに巨大すぎて、その腕では抱きしめることさえ叶わない。

「お願い⋯⋯もうやめて⋯⋯帰ってきて、ステファン⋯⋯!」

 黒竜はその荒れ狂っていた紅い瞳をゆっくりと閉じた。禍々しい魔力の奔流が霧散し、巨大な体躯が淡い光に包まれていく。

 光が収まったあと、そこにいたのは、血まみれでボロボロになった一人の男――ステファンだった。

「ステファン!」

 ソーフィアは、その血が今も流れ続ける彼の体を厭いもせず、その細い腕で力一杯に抱きしめた。

「⋯⋯ソー、フィア⋯⋯怪我、は⋯⋯ないか⋯⋯」

 消え入りそうな、けれどいつもの低い声。自分こそ満身創痍のはずなのに、まず彼女の安否を問うその言葉に、ソーフィアの瞳から堪えていたものが溢れ出した。

「それはこっちのセリフよ、バカ⋯⋯っ!」

「悪、い⋯⋯」

 伝わってくるのは、荒い、けれど確かな心臓の鼓動。

 ステファンもまた、震える手で彼女の背中を抱き返し、その肩に深く顔を埋めた。

 大空洞を埋め尽くしていた漆黒の魔力は、夜明けを待つ霧のように静かに消え去っていく。

 カイルたちの無様な鳴き声も、邪竜の怨嗟も、今はもう届かない。

 ただ、互いの体温と、生きているという実感だけが、冷え切った闇の中に確かな光を灯していた。



カタリナ……あんまり出てこなかったキャラなのに……

ここで第三章終わります。

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