3 計りかねる距離感
「はーい、オッケイです! 休憩に入ってください。撮影再開は、一時間後でお願いします」
カメラを下ろして声をかければ、撮影をしていたモデルたちは体を大きく伸ばしながら控室へと戻っていく。
それを見送り、利央は撮ったばかりの写真をパソコンでチェックし始めた。
今日の仕事は、ファッション雑誌の撮影。
利央が担当したのは、どちらかといえば服がメインというより、モデルの雰囲気と服との調和といった芸術性の高い写真だった。
モデルとして選ばれているのも、本業がモデルの者たちと演技や音楽が生業の人たちも選ばれていて、本業のモデルとは違った魅力を持っている。
撮影のコンセプトの話し合いから同席していただけに、利央も思い入れは強い。
白と黒。対照的な衣装と背景に、小物にまでかなり細かくこだわった。
今撮っていたのは白で、無垢と高潔を表している。
「オーケー。次のセットに変えてください」
利央のゴーサインに、スタッフはテキパキと動き出した。
モデルたちも昼休憩の間に、衣装やメイクも変わり、黒──退廃と傲慢のイメージを纏って戻ってくるだろう。
その間に自分も軽く休憩時間を過ごす。
時間を有効活用しようとイメージ図を片手に、片付けるスタッフの邪魔にならない端で、エネルギー補給のゼリーを口にしようとしたのだが、キャップを開けたところで横から掻っ攫われた。
「はい、これ」
代わりに差し出されたのは、利央がよく利用するコーヒー店のロゴが書かれた紙袋だった。
流れのままに受け取ってしまったが、中を開けなくとも鼻に届く匂いだけで分かる。
最も好きなパストラミビーフと新鮮なレタスが挟まれたサンドイッチだろう。
そして、きっちり砂糖とミルクの分量が利央好みになっているコーヒーも入っているはずだ。
かつて同居に近い形で一緒に過ごした時期に、いつも飲もうとする度に隣できっちりと量を把握していた。
なにが面白いのだろうかと気にしていなかったが、数日後に自分でコーヒーを淹れる前に、狂いなく好みの味になっているコーヒーが目の前に出現していたものだ。
「ちょっと、人気アイドルがこんなことしていいの?」
じろりと睨みつけるが、当の本人──陸斗はにっこり微笑むだけだ。
ここまで人気になってしまったら、スタッフの中にファンがいてもおかしくない。それが原因で、仕事がしづらくなるのも、週刊誌のネタになるのもごめんである。
おまけに、昨今はSNSに晒されて炎上なんてことだって珍しくない。
信用している人間以外は、全てがパパラッチだと思っても大げさな話ではないほどだ。
「なんのこと? 僕はただ、ケータリングを頼んでたから、お世話になってるカメラマンにその食事を届けに来ただけ。そんな補助食品だけじゃ、体壊すよ?」
「しょうがないでしょ。作業しながらだと、これのほうが片手が空いて楽なんだから」
「仕事に関して、健康管理は自分が責任をもつべきだって教えたのは誰でしたっけ?」
「はいはい、私ですよ」
しっしと追い払われ、笑って控室に戻ろうとする陸斗の背中に向かって呟いた。
「でも、ありがとう。これはありがたくいただくわ」
「どういたしまして」
にっこりと笑った顔は、アイドルとしてもモデルとしても見せる顔でもなく、満足げな男の顔をしていて思わずカメラに手が伸びそうになったが止めた。
最高の瞬間を切り取るのが仕事の利央にとっては、シャッターを切るのを諦めることはとても難しいことだ。
けれど、今の表情を撮ったりしたら、間違いなく陸斗が怒るか拗ねるかするであろうことは分かりきっている。
仕方がなく、スタジオの片隅に移動して、床に座り込んで紙袋からサンドイッチとコーヒーを取り出してかぶりついた。
味気ない効率重視のゼリー飲料とは違って、みずみずしい野菜と肉の味は食べているという感じで、味覚と共に気持ちも満たされる。
ゆっくりと味わった後に、コーヒーでほっとした時間を過ごしていると、ぞろぞろと足音が近づいてきた。
仕事に戻る時間だと、立ち上がり包み紙とコーヒーカップを一つにまとめる。
「はーい。じゃあ、撮影を再開します」
スタッフも昼食から戻り、モデルたちも黒の衣装に変わっているのを確認して、利央は声をかけると細かい指示を出してカメラを覗き込んだ。
次々とシャッターが切られ、それに合わせてモデルたちは色々な表情を見せてくれる。
モデルとカメラマン。
双方の息が合って、はじめていい写真が撮れる。
利央は、そのためにモデルとのプライベートでの会話やつながりを大事にしていた。
仕事ではないときに食事に行ったり、他の雑誌の写真をチェックしたりもする。
今回は、相手が俳優やアーティストということもあって、そこまで密な時間をとることが出来ないのが残念ではあったが、演じるということを得意としているからか上手く進んだ。
もちろん、異性だった場合には色々と気をつかわなければならない。
週刊誌に変な憶測記事を書かれないように、二人きりでは会わず、それぞれが面識のあるモデルたちと大人数での食事会にしたりするのだ。
「はい、オーケー!」
最後に撮った写真がパソコンに無事転送されたことを確認して、終了の合図を送る。すると、音楽だけが流れていたスタジオの中に音が戻ってきた。
これまでの幻想的な雰囲気が嘘のように霧散して、生身の人間である現実が目の前に広がる。
だから、利央はカメラを覗いて見えるレンズ越しの世界が好きなのだ。
どんなに現実が残酷で疲れるものでも、カメラを覗いた先には現実ではない瞬間が、その時にだけ存在するから。
「お疲れ様でした」
「はい、お疲れ様。今日もいい写真が撮れたわよ」
親交のあるモデルたちとの短いやり取りを終えて、自分の相棒であるカメラを大切にしまい、ファッション雑誌の担当者と共に、パソコンに送られた何百枚という写真の中から使う写真を選んでいく。
これだけ撮っても、ボツになる写真はたくさんある。
光の入り具合や、雰囲気なんかを話し合い、次々と決めていくが、陸斗の写真では意見が割れた。
といっても、担当者の好みが分かれただけの話で、ボツな訳ではない。
「どれも捨て難いんですよね。このとにかく正面からっていうのもいいし、この背中が写ってるのもいいし」
「分かります。特に白の衣装の時の、うっすら肌が透けてる感じなんて、キュンキュンしちゃいますよ」
「そうなのよね。黒い衣装の方はこの挑発的な視線と、スーツのボタンのかかってないところから見える腹筋がたまらないわね」
良い写真が多すぎるのも考えものだ。
雑誌社の二人は頭を悩ませていた。
利央から見ても、自分の撮った写真という自画自賛になってしまうがいい出来だとは思う。
しかし、雑誌には決まったページ数というものがあるのだから仕方がない。
「どうします?」
「うーん……ちょっと編集長に連絡してみるわ」
担当者はスタジオを出て、電話を掛けに行ってしまった。
仕方がなく、写真に微妙な調整を施していると、のんびりとした足音が聞こえてきた。
「利央さん。まだ帰らないの?」
振り返れば、すっかりメイクを落としてラフな私服に着替えた陸斗の姿があった。
「カメラマンは、撮って終わりじゃないんだから。しかも、なかなか帰れないのは……あんたのせいなんだけど?」
「へっ? 僕、なんかヘマした?」
心配そうに眉間に皺を寄せる彼に、言い方が悪かったと罪悪感が押し寄せる。
いい仕事をした人間に言うべき言い方ではなかった。
「違う違う。その逆。写真が良すぎて、担当の人たちが選べないのよ」
「へぇー、そうなんだ。酷いじゃないか、利央さん。使えない写真しかなかったのかと思って焦ったじゃん」
「またまた、自分でもいい仕事したって自覚はあるでしょうが。じゃなきゃ、撮り直しを自分で要求したでしょ?」
「うーん、どうだろう。いいものを作りたいって気持ちはあるけど、写真に関しては利央さんを全面的に信頼してるからなぁ。オーケーが出たら、案外そのままかも」
そう話しているうちに、二人が戻ってきた。
「あ、お疲れ様です」
陸斗がアイドルとしての顔に戻って声をかけると、雑誌社の二人は頬を染めた。
アイドルをしている陸斗は、妙に色気があるのだ。
低い声は耳に心地よく、端正な顔は冷え冷えとした美しさがある。
あまり公には言っていないが、足繁くジムに通って体力と筋力をつけているのを利央は真司から聞いていた。
前は可愛らしい衣装しか着せられていなかったが、最近では大人っぽかったり、色気のある衣装を着せられることが増えているのも無理もない。
時に、アンチには顔だけと書き込まれるが、その努力は見せないだけで計り知れない。
「それで、どうなりました?」
「編集長の許可が出ました。全部使います」
「はい? ぜ、全部ですか? 結構な量ありますけど」
「はい。今回の雑誌には十ページ。反響が大きい場合は、ビハインド写真も入れて、次の号は特別号として発行します」
「ほんとですか?」
うきうきと言い出した担当者の言葉に、当の本人である陸斗は驚いて声を上げた。
「ええ。間違いなく売れるって編集長は思ったみたい。もともと、SNSで次号予告を流した時から、トレンドワードに上がって、海外からの反応もあったんです。今は、ネットで他国の雑誌も買えますからね」
確かに言うとおりで、今はネット通販で少し割高にはなるが何でも手に入る時代だ。
日本だけをターゲットにするより、はじめから広い規模で見ていたほうがいい。
「この子の事務所には?」
「許可を取りました。もともと、世界を視野に売り出すつもりだったみたいで、あっさり許可してくれましたよ」
「分かりました。チェックした写真は全部送っておきますね」
「よろしくお願いします。また、お願いすることもあるかと思いますので」
二人の担当者は、それはそれは嬉しそうに帰って行った。
再び二人になると、さっきまでの雰囲気とは違う利央のよく知る陸斗に戻っていた。
「食事にいかない?」
「なに言ってんの。氷室さんはどうしたの?」
氷室とは、陸斗のマネージャーである。
少し冷たい印象だが、仕事のできる敏腕マネージャーといった感じの雰囲気で、利央と同い年の男だ。
「氷室さん? さあ、忙しいんじゃない?」
「なに言ってるんですか、陸斗」
ゆるりと微笑む陸斗の肩が、がしりっと掴まれた。
「まったく、社長の言うとおりですね。目を離すとこれですか」
「え? なんのことだか」
「社長に言われてるんです。雨音さんとの仕事の場合、目を離すと見失うぞって」
写真を雑誌の編集部に転送していると、小さなため息が聞こえてきた。
「すみません、雨音さん。お忙しいのに」
「いえいえ、氷室さんこそお疲れ様です」
「陸斗は邪魔にならないように連れて帰りますので」
「ええー、なにそれ……聞いてないんだけど?」
「まったく自覚を持ってくださいよ。あなたはただの若者ではないんですよ?」
氷室の言うとおり、陸斗は人気アイドルだ。
CDを出せば音楽チャートを独占するし、テレビに出れば視聴率が上がる。
CMに起用されれば商品が売れ、私物として特定された物は売り切れになるほどだ。
もう、会ったばかりの頃の陸斗とは違う。
自覚を持たなければいけないのは、利央も同じだ。
この間みたいに迎えにこさせたり、同じ屋根の下にいるなんてことは、あってはいけない。
「氷室さんの言うとおりでしょ? ファンを悲しませないのも、アイドルの使命よ。お疲れ様」
冷たく言い放てば、一瞬陸斗の目が大きく見開かれた。
何か言いたそうな表情をしたけれど、氷室がいるからか陸斗は言われたとおりにスタジオを出ていった。
数分後、静かなスタジオの中にLINEの通知音が響いたが、利央は目を向けることなくパソコンを睨みつけ続けた。




