第9話 眠れぬ夜
ノームとタカギから『水氷の勇者アレックス』の話を聞き、ぼくは寝付けないほど興奮していた。
青い髪に、青い瞳。
白銀の鎧をまとった騎士。
まるでゲームに出てくる勇者そのものだった。
あの圧倒的な強さ。
困っている人を迷わず助ける姿。
整った顔立ちに、爽やかな声。
ぼくが子供のころから思い描いていた『勇者』そのままだった。
しかも、その勇者が実際に目の前へ現れて、ぼくたちを助けてくれたのだ。
「かっこいいなぁ……」
気づけば、ぼくはぽつりと呟いていた。
もし彼が勇者なら、自分はなんなんだろう。
きっと村人Aだ。
いや、兵士Aかな?
そんなことを考えて、ひとりで少し笑ってしまう。
それでも、やっぱり憧れた。
ぼくは夜の砦を目的もなく歩きながら、ずっと勇者のことを考えていた。
ついさっきまで、ノームとタカギに文句を言っていたはずなのに……。
いつの間にか、そのことを忘れるくらい夢中になっていたのだ。
なぜ、ぼくが二人に文句を言っていたのか。
それは、あの二人が亜人のことを教えてくれなかったからだ。
二人は最初から知っていた。
ぼくたちが、あんな化け物と戦うことを。
「どうして先に教えてくれなかったのさ。あんな化け物と戦うなんて……」
ぼくが声を荒げても、二人は言い返さなかった。
ただ黙って、ぼくの言葉を聞いていた。
普段、人に怒ることなんてほとんどない。
だからだろうか。
少し怒鳴っただけで、もう気持ちは落ち着き始めていた。
そんなぼくを見て、ノームが静かに口を開いた。
「もし、異人街で亜人の話をしていたら、司はどうしていた?」
「七日間の訓練前だったら? 遠征中だったら?」
ノームは淡々とした口調のまま、ぼくを見る。
「司、お前はどうする?」
ぼくはすぐに答えられなかった。
「……わからない」
そう言って、首を横に振る。
「おそらく異人街から出ないと駄々をこねるだろう」
「訓練前なら、恐怖で訓練どころじゃなくなる」
「遠征中なら、逃げ出していたかもしれんな」
勝手に決めつけられた気がして、少し腹が立った。
でも――否定もできなかった。
「これは司に限った話じゃない。十年間の間にできた、新人への配慮だ」
(何が配慮なんだよ……)
喉まで出かかった言葉を、ぼくは飲み込んだ。
これ以上言ったら、ノームを怒らせる気がしたからだ。
ぼくは唇を引き結んだまま、黙って話を聞いていた。
「初めのころはな、亜人の話を聞けば誰もが怖がった」
「逃げようとする者も多かった」
そこでノームは一度言葉を切った。
「では、監督官や騎士は、そんな異人をどう扱うと思う?」
ぼくは答えられなかった。
嫌な予感がしていたからだ。
「……迷わず処刑した」
その言葉に、ぼくは耳を疑った。
ぞくりと背筋が冷える。
ノームの話は、ぼくにこの世界の現実を突きつけてきた。
「これは全部、実際にあったことだ」
ノームは真剣な目で、まっすぐぼくを見ていた。
その視線が、少し怖かった。
「ひとつや二つじゃない。何百と起きた話だ」
「使えない異人を戦場へ連れて行っても邪魔になるだけだ」
「それを見逃せば、他の異人も当然こう言う」
『なぜ、あいつだけ?』
『だったら俺も嫌だ』
「……そうなるだろ? 司」
ノームの視線がさらに鋭くなる。
ぼくは小さく肩を震わせながら、こくりと頷いた。
ノームが怖いと思ったのは、たぶん初めてだった。
「そうだ。だから見せしめに殺した」
ノームは低い声でそう言った。
「そして、『新人には何も教えない』という暗黙のルールができた」
ぼくは何も言えなかった。
「それに、あれほど酷い戦いは今までなかったはずだ」
「キムも組長会議で言っていた。前代未聞の被害らしい」
「予想だが……半数はやられただろうな」
(半数……?)
(五万人もの人が、あの戦いで死んだってこと……?)
頭の中で数字がうまく現実にならなかった。
でも、想像しただけで体が震える。
あの地獄みたいな光景。
悲鳴。
血の臭い。
それを思い出しただけで、胸の奥が冷えていく。
本当の死者数なんて、とても聞けなかった。
もし知ってしまったら――。
ぼくは、もう戦えなくなる気がした。
「でもよ、生きていれば、あの天使が治してくれるんだろう?」
ずっと黙って話を聞いていたタカギが、焚き火を眺めながらぽつりと言った。
「ああ、そのはずだが、騎士が優先だろうな。我々異人は瀕死であっても後回しだ」
ノームは静かに答えた。
「天使ってなに?」
ぼくが首を傾げると、タカギが「あっ」という顔をした。
しまった――そんな表情だった。
すると、ノームが小さく息を吐いて説明してくれる。
「ああ、天使っていうのは『戦場の天使』と呼ばれる少女がいてな」
「彼女は、ありとあらゆる怪我を瞬時に治せるそうだ」
「俺も直接見たことはない。詳しくは知らんが……美少女らしい」
最後の『美少女』だけ、ノームはわざと強調するように言った。
しかも、ニヤリと笑っている。
その瞬間、ぼくの頭に一人の少女の姿が浮かんだ。
銀色の髪。
優しそうな笑顔。
透き通るような声。
胸がどくんと跳ねる。
「もしかして、その子の名前って『ナー』って言わない?」
思わず前のめりで聞いてしまった。
「ナー? いや……名前までは知らないが」
ノームが不思議そうに眉をひそめる。
なんでそんなことを聞くんだ――そんな顔だった。
「忘れろって言ったろうが。実らない恋だ」
タカギが慌てたように口を挟んできた。
「何言ってるのさ。タカギが思い出させるような話をするからじゃないか」
「うるせぇ! いいから忘れちまえ!」
タカギが怒鳴る。
でも、ぼくは引き下がらなかった。
そんなぼくたちのやり取りを見ていたノームが、何か察したように目を細めた。
「あの悪魔とどこで知り合った?」
その一言で、ぼくの眉がぴくりと動く。
カチンときた。
ぼくはノームを睨みつけた。
たぶん、思った以上に険しい顔をしていたんだろう。
ノームが少したじろいだ。
「悪魔じゃない。女神だ!」
ぼくはぷりぷり怒りながら立ち上がる。
そのまま二人の側を離れようとすると、ノームが慌てて腕をつかんだ。
「悪かった」
「言い直して」
子供みたいに頬を膨らませながら言うぼくに、ノームは困ったように笑った。
「まいったな……」
そう呟いてから、苦笑いを浮かべる。
「あの女神さまには、どこで出会ったんだ?」
ぼくは満足そうに頷いた。
それから、ナーとの出会いを二人に話した。
何度も。
本当に何度もだ。
でも、二人とも途中からうんざりした顔をしていた。
たぶん、もう聞き飽きたんだと思う。
だからだろう。
話題を変えるように、『水氷の勇者アレックス』の話をしてくれたのだ。
最初は、どうしてナーとの話をちゃんと聞いてくれないんだと少し腹が立った。
でも、勇者の話を聞いているうちに、その怒りはすっかり消えていた。
二人は話が終わると、そのまま寝てしまった。
ぼくが目を閉じると、あの地獄みたいな戦場の光景が蘇る。
だから眠るのが怖かった。
そのうえ勇者の話まで聞いてしまったせいで、頭が妙に冴えてしまっている。
「結局、ノームもタカギも、その治療する少女には会ったことがないから、ナーと同一人物かわからないって言ってたな……」
ぼくは暗い砦の敷地を歩きながら、小さく呟いた。
二人が言う『天使』とナーが同じ人物なのか知りたかった。
でも、二人にもわからないらしい。
だけど、あの時。
確かにナーは言っていたはずだ。
『天使って、よく言われるの』
きっと間違いない。
ぼくは、ナーのことを少し知れた気がして嬉しくなった。
だけど同時に、胸の奥がざわつく。
傷を治す力を持っているってことは――。
あの勇者とも仲間なのかな?
そう思った瞬間、なぜか胸の奥がもやっとした。
さっきまで憧れていた勇者なのに、少しだけ嫌な気持ちになる。
自分でも理由がわからない。
(なんだか、今日は情緒不安定だな……)
ぼくは頭をかきながら苦笑いした。
でも、どうしてタカギは忘れろなんて言ったんだろう。
別に忘れるほどのことじゃないと思うんだけどな。
そんなことを悶々と考えながら、ぼくは腕を組み、砦の敷地をあてもなく歩いていた。
敷地内には、ところどころにかがり火が焚かれている。
だけど明るいのは火の周りだけで、その先は闇に飲まれていた。
風が吹くたび、火がゆらゆら揺れる。
遠くからは負傷者のうめき声や、騎士たちの声がかすかに聞こえてきた。
そんな暗がりの中を、異人の少年がひとりでうろうろしている。
普通なら、すぐに看守や異人兵に怒鳴られるだろう。
でも、今は違った。
あの戦いで大勢の兵を失ったせいで、みんな疲れ切っている。
一人の異人を気にかける余裕なんて、誰にも残っていなかったのだ。




