第7話 撤退と王家の意地
重苦しい空気の中、ロビンが深く椅子にもたれ、大きくため息を吐く。
「何か意見、妙案がある者はいるか?」
その言葉に反応したのはハインケルだった。
腕を組んだまま、静かに口を開く。
「半数以上の兵を失い、現状まともな攻撃手段もありません」
「であれば、今取るべき行動は『撤退』ではないでしょうか」
広間の空気がわずかに揺れた。
だが次の瞬間――。
「何を言うハインケル!!」
マイティが机を叩く勢いで怒鳴り声を上げた。
「ここまでやられて、おめおめと逃げ帰るというのか!!」
怒気を隠そうともしない。
そんなマイティに対し、ハインケルは眉一つ動かさなかった。
「今、我々は敵のテリトリーにいることを忘れてはいけない」
「やつらがいつ攻めてくるかも不明だ」
「ここは一度撤退し、戦力を立て直すべきでしょう」
「敵の戦力だってアレックスが相当削ったはずだ!」
マイティは食い下がる。
「あいつらに、もう戦う余力なんざ残ってねぇ!」
「だったら今、残った数万で叩くべきだろうが!」
しかし、ハインケルは静かに首を横へ振った。
「いや、それは間違っている」
低い声だった。
「報告書を読まない君は知らないだろうが、敵の首領――『クイーン』には、触れた動物を亜人へ変える能力がある」
マイティの表情が険しくなる。
「これは以前、捕虜になった騎士が命からがら逃げ帰ったことで得られた情報だ」
「信ぴょう性は高い」
ハインケルは淡々と続ける。
「つまり、動物さえ集めれば、やつらはいくらでも兵を増やせるということだ」
「だからこそ我々は、敵戦力がこれ以上増える前に叩くため、この遠征を始めた」
広間の騎士たちも苦い顔を浮かべていた。
今まで、亜人がどこから現れるのかは長年の謎だった。
だが、敵が作り出しているのだと知り、すべての点が繋がった。
無限に兵を増やせるのは、王国だけではなかったのだ。
「今思えば……これもやつらの策略だったのかもしれんな」
ロビンがぽつりと漏らす。
眼帯の奥の視線は、ぼんやりと天井へ向けられていた。
「今回のことで思い知った」
「我々は、あまりにも戦いを知らなさ過ぎたのだ」
「反乱軍に、まんまと踊らされていたというわけだ」
ロビンは苦く笑う。
「正面からの戦いだけが戦ではない」
「やり方次第で、圧倒的な戦力差すら覆せる……そういうことだ」
その言葉に、ハインケルは内心で舌打ちした。
今さら気づいたのか、と。
これまで何度も、アレックスと共に戦術の必要性を説いてきた。
だが、誰も耳を貸さなかった。
この世界の人間は、正々堂々を重んじる。
裏をかくという発想自体がないのだ。
だが、今回で理解したはずだ。
まだ遅くはない。
一度バルトラインへ戻り、戦力を立て直す。
そこから学び直せばいい。
そう考えた矢先――。
「撤退はしない」
ロビンが静かに言い切った。
ハインケルが目を見開く。
「なぜです?」
「敵の数は未知数です。ここに留まる理由がありません」
「夜明けまで待つというならまだ理解できます。ですが、本来なら今すぐ撤退すべきです」
ロビンは一度目を閉じ、小さく息を吐いた。
「将軍へ連絡を入れた」
「すると、十万の援軍を率いて、将軍自らこちらへ向かっているそうだ」
「我々には現状維持、この場所の死守を命じている」
「馬鹿な……自殺行為だ」
ハインケルは信じられないというように首を振った。
すると、マイティが不快そうに睨みつける。
「将軍や大隊長の判断に従えねぇのか?」
「規律違反だぞ、ハインケル」
(何が規律違反だ。この筋肉だるまめ)
ハインケルは吐き捨てそうになる言葉を飲み込む。
「規律違反ではない」
「上官の命令には従う」
「ただ――このままでは嬲り殺されると、私は思っているだけだ」
「ハインケルの言いたいことはわかる」
ロビンは静かに頷いた。
「だが、よく聞いてほしい」
そう言うと、一度目を閉じる。
そしてゆっくり開いた。
「我々の敵は反乱軍だけではない」
「王都にいる第二王子派の貴族たちも敵だ」
広間に静かな緊張が走る。
「我々が半数以上の兵を失い、逃げ帰ったと知れれば、第一王子である将軍の立場はさらに悪くなる」
「私は個人的には、トーマが次期国王でも構わんと思っている」
「だが、あの子の背後には王妃マスカレがいる」
ロビンの声がわずかに低くなる。
「あれはいずれ、この王国を滅ぼしかねん」
その考えには、この場の多くが納得していた。
前線都市バルトラインにいる騎士や貴族は、ほとんどが第一王子派である。
もちろん、カール本人の人望に惹かれた者も多い。
だが同時に、王妃マスカレの危うさを警戒している者も少なくなかった。
今は王国が一丸となり、反乱軍へ対処すべき時だ。
それなのに、王妃マスカレはそれを妨げるような動きを見せる。
第二王子派の貴族たちも、それに合わせるように軍事費削減を訴えていた。
ハインケルは静かに息を吐く。
「……わかりました」
「援軍を待ち、対策を考えましょう」
「すまんな」
ロビンが小さく頭を下げた。
王族が、家臣へ頭を下げる。
本来ならあり得ない光景だった。
だがロビン自身、王家の事情で現場へ負担を強いている自覚があった。
だが、ここに残ることも決して悪い話だけではない。
将軍カールが加われば、打開策が見つかるかもしれない。
さらに、十万の援軍には中隊長が二人同行している。
彼らの知恵も借りられる。
何より、十万という兵力は大きい。
それに、失った六万の兵も全員が死んだわけではない。
負傷しながらも生存している者は多い。
そして――『彼女』がいれば、それらも解決できる。
希望を持つしかない。
それこそが、今の彼らに残された最大の武器だった。




