切っても切れないもの
絵を描き始めたのは小学生の頃。
チラシの裏に描いてました。
中学時代は漫画とアニメの模写をしていました。
が、そんなオタクに突然の出会い。
家族が洋楽をもたらしました。
DURAN DURAN
イギリスのロックバンド。
衝撃の出会い。
曲が良い。
それよりも何より、男前が5人。
特にベーシストのジョン・テイラーに惚れました。
少ないお小遣いで収集を開始しました。
雑誌、ビデオ、テレビ番組の録画。
ひたすら鑑賞。
そして、描く。
人体の作りを知り、服のしわの寄り方を知りました。
MVが美しく、色気の追及がここから始まりました。
オタクは継続していました。
高校生になり、美術部入部。
漫画、アニメ、小説好きが揃ってました。
更に洋楽好きが二人もいました。
泥沼です。
部室が近い文化部員が集まってサークルを作り、同人誌を発行しました。
それが同人活動の始まり。
その頃描いたもの。
美術部は県展に油絵を出品する以外は、ほとんど何もしないで遊んでました。
顧問の先生が生徒会と兼任だったので、ほったらかしにされていましたので。
卒業後はデザイン学校に進学しました。
デザイン学校。
右を見ても、左を見ても変な奴ばかりでした。
⋯⋯自覚がないだけで、きっと自分もそう。
美術部であまり教えてもらえなかった、デザインに関するあれやこれやを2年間で詰め込まれました。
一コマ延々と烏口で線を引いたり。
イラストレーションの技法を学んだり。
11階から落としても卵が割れないパッケージを作ったり。
一眼レフカメラを買って写真の技術を学んだり。
広告や雑誌は人の目がどう動くかを学んだり。
濃い2年間でした。
お陰で絵が格段に上手くなりました。
そして第二の衝撃。
日本のバンドに出会いました。
世間はバンドブームでした。
結構描きました。
BUCK-TICKの櫻井敦司さんとか、今井寿さんとか。
リアル寄りの絵だったので、リクエストされて。
1990/02/18
自分用はThe Street Slidersの蘭丸さんと村越弘明さん描いてましたが。
1989/04/08
1991/02/23
沢山のミュージシャンを描いて、私は人間を描くのがますます楽しくなりました。
目、鼻、口、顎のライン。
当たり前ですが、全員それぞれ形が違います。
手、腕、首、肩、腰、脚。
ひとつずつ、観察。
何度も描いて覚えました。
服のしわも観察。
素材で変わる事に気づきました。
髪の毛。
硬さや巻き具合で光の入り方が違いました。
上手く表現できたらいいなあ。
今でもそう思っています。
さて、最近ミュージシャンは描いていないのかというと⋯⋯。
描いています。時々。
『虚飾の水鏡』『死の接吻』のリメイク時に、当時よく聴いていたもので気分を盛り上げていました。
『死の接吻』はThe Lords of the New Church、The Zolge、Manic Street Preachersの影響が大きい作品です。
ずっと一人The Lords of the New Church祭状態でした。
1994年当時は動くスティーヴ・ベイターズ(Vo.)を観る機会が無くて(90年に他界)、彼の壊れっぷりを知りませんでした。
YouTubeで観た彼は、とんでもなく魅力的でした。
美形とは言えない、パフォーマンスも碌でもない。
けれど、妙な色気。時間が溶けました。
で、見つけた画像。
アングル、ポーズ、脚、靴、服のしわの形。最高。
習得するまで描き続けます。
ボールペン一発描きの模写。
一回目はシャープペン、これが二回目。次はペン入れまでしたいです。
『死の接吻』は『虚飾の水鏡』の続編です。
清水暁人がルアード加入後に陥った絶望と再起の物語です。
アルファポリスにあります。
こちらでの公開は予定していません。
が、そのうち気が変わってドカンと公開してしまうかもしれません。




